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『cocoon』藤田貴大×原田郁子インタビュー

インタビュー

2015.07.27


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演劇や音楽は日々更新していけるから、
今日さんは僕らにこの作品を託したんだと思う。

 演劇は戦争を描けるのか──。爆撃の激しさや被害にあった人や町の惨状を伝えるなら、映像や写真にかなわない。「戦争は良くない」とストレートに訴えるなら新聞記事でいい。演劇でしかできない方法で戦争を切り取り、観客に“その時間”を実感させることはできるだろうか? その高いハードルを飛び越えて見せたのが、一昨年のマームとジプシーの『cocoon』だった。原作は今日マチ子の漫画で、第二次大戦末期に、日本国内で唯一の戦場となった沖縄で、負傷兵の看護のために10代の女子学生で結成され、多数の被害者を出した「ひめゆり部隊」がモチーフになった作品だ。2011年の演劇シーンに大きな衝撃を与えた同作が、2年ぶりの再演で、東京芸術劇場を皮切りに、物語の舞台である沖縄公演も含めた全国ツアーを果たす。作品そのものだけでなく、その背景にも眼差しを向けて創作に臨む、作・演出の藤田貴大、音楽担当の原田郁子(クラムボン)に話を聞いた。

最初に言われたのは「沖縄に一緒に行きましょう」

 ―― 原田さんと藤田さんの出会いから教えてください。

原田 辿っていくと飴屋(法水)さんですね。飴屋さんがマームとジプシーの『Kと真夜中のほとりで』(11年)を観て、すごくおもしろかったという話を音響のzAkさんにして、zAk さんが私に薦めてくれたんです。観に行って「舞台でこんなことをやっている人達がいるんだ」と衝撃を受けて、そこからは、観られるものは全部観ようと。

藤田 そのあとは全部観てくれてますよ。

原田 自分が音楽をやっているから、何を観るにしても音楽という観点からになってしまうんですね。舞台で流れてくる音──その流れ方とか、どういう音を流すか──でつくる人を知るというか。普通の舞台は、生身の役者達がいる後ろでBGMとして音楽が流れていくと思うんですけど、マームとジプシーはその空間全体が音楽みたいに見えた。反復する動きもそうだし、ある短いフレーズだけを切り取って何度もループさせていくのも、サンプリングの手法と同じ。これをつくっている人はきっとすごく音楽が好きで、しかも耳のいい人だろうなと思ったんです。声のばらつきさえも立体的で、音楽に見えました。その気持ちよさと気持ち悪さみたいなのを直に観るのが初めてで、すごくびっくりしました。

 ── 気持ち悪さというのは?

原田 (動きが次第に激しくなるので)役者さんの息も上がってくるし、声も上ずっていく、せりふも正確には聞き取れないところが出てくる。普通、そういうものって完成に向けて磨いていくというか、(ほころびを)消していくと思うんです。なのに、無骨なものをそのまま突きつけられたみたいで、生々しかった。

藤田 確か、かなり突然来てくれたんですよね、開演間近に「今日、原田郁子さんが来るよ」って聞きました。僕はその頃、ちょっと頭がおかしいぐらい尖っていたから(笑)、郁子さんのことはもちろん知っていたしリスペクトしていたけど、そういう人にほど観てほしくない時期でもあった。「絶対にけなされて終わるんでしょ」みたいな状態で。……我ながらめんどくさい(笑)。

原田 うん、ややこしい(笑)。

 ── 一緒に作品をつくりましょう、という話はどちらから?

藤田 僕です。やっぱり、以前からすごく気になる人だったんですよ。観てくれた感想もぽつぽつ聞いたりして、考えていることにすごく近い部分があると感じていたし。郁子さんと言うか、クラムボンは波とか海とか水をよく歌っているんですけど、今思えば、そういうところが僕らと親和性が高かった。

 『K〜』の翌年に『マームと誰かさん』シリーズ(藤田とひとりのクリエイターとコラボレーションして、本公演とは違う形の作品をつくるシリーズ。歌人の穂村弘ら異色の相手とほぼ月替わりで創作した。今日マチ子も『cocoon』の前にこのシリーズで藤田と初共作を果たした)を始めた時には、僕は一緒にやりたいと思っていました。それでマームの制作の林(香菜)に「郁子さんには今日さんの回を必ず観てほしい」と連絡してもらったんです。でも来てもらっても、まだ気楽に話せる関係じゃなかったから、すごく緊張して、『cocoon』の原作がなかなか渡せなかった。

原田 その時は、ただ「読んでみてほしい」って渡されました。でも帰りにみんなでラーメン屋に行った時に林さんが「郁子さん、今年の予定はどうですか」って軽いタッチでスケジュールを聞いてきて(笑)。

藤田 しかもそこには僕、いなかったんですよね(笑)。

原田 何だろうと思ったら「藤田が今度手がける舞台で、一緒にやってほしいと言っているんです」と。うれしいのと恐ろしいのとで、カウンターに並んでみんなでラーメンをズルズルやっているタイミングだったんですけど「ちょっと、一旦、ストップ」みたいな(笑)。

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 ―― では、スケジュールがうまく空いていて『cocoon』に参加されることに?

原田 空いてはいなかったです(笑)、クラムボンのツアーが控えていましたから。でも、何がなんでもやろうと思いました。どう関わるのか、どういう順序で進んでいくのかもまったく未知だったんですけど。最初に言われたのは「まず、一緒に沖縄に行きましょう」でした。

 この作品のバトンを受け取って、考え続けていくしかない

 ―― 『cocoon』舞台化のリサーチのための沖縄旅行ですね。今日さんや出演者の皆さんも一緒に、沖縄の防空壕であるガマや、集団自決があった場所など、戦跡を回られたと聞いています。

藤田 『マームと誰かさん』が終わって2ヵ月後ぐらいでした。郁子さんとはその時に初めて、いろいろ話したかもしれない。

原田 藤田くんの地元の北海道の話を聞いたりしましたね、海に対しての感覚の違いとか。

藤田 今日さんはよく海のことを「どん詰まり」と言うんですけど、僕は海を越えたら上京できる、外に出られるという感覚が強かったんですよね。でも沖縄の海は、戦時中の話を聞いたからかもしれないけど、完全に行き止まりだったというイメージが掴めましたね。ようやく走って逃げて海岸まで来たのに、結局、海はものすごい数のアメリカの戦艦に埋め尽くされていた。そこに行けば助かると思っていたのに、そうじゃなかったという……。

原田 今日さんはどこの方?

藤田 二子玉川(笑)。

原田 そうなんだね、知らなかった。じゃあ今日さんは関東、藤田くんは北海道、私は九州で、海ってものに観てきた景色も違うし、関わり方も違ったんだね。

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 ―― 2年前の『cocoon』は、具体的にどう作業を進めていかれたんですか?

原田 最初はぼんやり、映画のサントラみたいにシーンに充てるインスト(インストゥルメンタル曲)をつくっていくのかなと思っていたんですけど、藤田くんは、私の曲の歌詞はもちろん、そこで歌おうとしていることとか、背景みたいなことも汲み取って「このシーンにはこの歌、この音が必要だと思う」という言い方をしてくれて。稽古が始まって実際のシーンにはめていった時、自分の曲が全然違うふうに聴こえて「こういうことがあるんだ」と驚きました。

藤田 大きい曲というか、スタジオで録らなきゃいけないような曲も書いてもらって、それは僕もレコーディングに立ち会いました。でも、郁子さんが空き時間にiPhoneで録った曲を送ってきてくれて、それでハッとすることも結構ありました。もちろんミーティングとかも重要なんだけど、それじゃわかりきれないっていうのが僕の中で体感としてあって。一緒に真っ暗闇の岬に立った時の感覚は言葉にならないし、最初の沖縄は、郁子さんは僕らよりも長く滞在して、あとから曲を送ってくれたんですけど、それを聞いて“こんなに激しいことを思ってたんだ”ってわかったし。

原田 私は本当に舞台のことはわからないから、そういうものを渡してみるしかない。でも意外なところをおもしろいと感じるんだなって思いました。あと、やり取りがすごく早いです。

 ―― 遡って原田さん、原作の『cocoon』の感想を教えてください。

原田 女の子達が、いるのは戦時中なんだけど、甘いお菓子や好きな人のことを想像したり想ったり、置かれている状況と頭の中はときどきすごく別で、それは誰も奪えないし、その想像はいくらだってしていいんだということが描かれていて、その感じはまさに歌とか音楽とも通じるなと思いました。戦争を扱う作品ではなかなかない切り口だったので、この人は精神的にパンクだなと。それとたぶん、今日さんは描き切っていないことがまだあるんだろうなと思いました。絵も決して描き過ぎていなくて、余白をすごく感じましたし。最後の最後に主人公のサンが「生きていくことにした」と決心するんですけど、それは戦後の始まりのことなのか、もしかしたら彼女の頭の中の想像なのか、すべては夢なのか、読み手がどう受け取ってもいいように終わっていて、それさえも繭の中のことなのかなと考えてゾッとしたんです。「この物語は全然終わらないんだ、今日さんは何かすごいものを残したな」と。作品からも今日さんからも「どう?」って聞かれている感じがしましたね。だからこの作品の音楽をつくるには、バトンみたいなものを受け取って、そこから考え続けるしかないんだと思いました。

藤田 再演の前に、郁子さんと青柳(いづみ。藤田作品に多く出演する女優で、『cocoon』の主人公を演じる)と僕でリーディング・ライブをして回ったんですよ。なぜかと言うと「公演をすればいい」ではないんですよね、この作品は。今日さんの漫画に対して、音楽や演劇の言葉という自分達の分野で何をつくってレスポンスするかを僕らは常に考えて(行動に移して)いる。再演では、郁子さんが今日さんの漫画から感じたハテナみたいなものが、次の人達にバトンタッチできるようにしているつもりです。

生き残った人達の選択まで描けるかが、再演の挑戦

 ―― ハテナの答えを出すのではなく、ハテナを次に渡す作業をしている。

藤田 それが結構重要だと思っています。

 ── あえてお聞きしますが、それはなぜですか?

藤田 今日さんがやっている(漫画という)ジャンルの強みは、僕や郁子さんがやっていることよりも確実にあるんです。でも僕らのようにライブではないから、ある場所で止まっている部分はどうしても出てくるんですよ。

原田 自分がどれだけ変化しても、描き上げた本はもう加筆できない。

藤田 たぶん僕は、他の演劇作家の人よりもライブってことを意識していると思うんですけど、更新していけるんです。日々新しい演出を加えるのが更新ということではなく、その日、劇場に来てくれた人とちゃんと(コミュニケーションを取り合うことが)やれるじゃないですか。それは演劇や音楽のすごい特権で、だから今日さんも僕らにこの作品を渡したかったんじゃないかと思う。安易に舞台の中で「これが僕的な『cocoon』の答えです」なんてことは絶対にやりたくないし、原作が持つ曖昧さみたいなものも、ちゃんと舞台の中で生き続けてさせるのが重要だと思います。

原田 『cocoon』の話をもらってからマームの舞台を観ていると、すべてに海が伏線としてあって、それは藤田くんが『cocoon』に向かって走り始めていたんだと思うし、2年前に一旦終わってからも、私はどこかでずっとcocoonでくらった破片が刺さったまんま、物事を見ていたんですよね。だから(終わったかどうかの)境界線はどこにあるのかなっていう感じがしているんですよね。

藤田 それは『cocoon』だけじゃない、考えても考えても答えが持てないことって、ものすごく多いじゃないですか。そういう、答えがないものを答えがないままどれだけちゃんとやれるかということが、今の──言葉にすると大それた感じになるけど──、時代だったり、この国の感じだったりにおいて重要なんじゃないかと思いますね。「わかんない」と投げやりになるんじゃなくて「わからなくてキツいわ」と言いながら考え続けること。わからないから考え続けなきゃいけない生き地獄にいるわけじゃないですか。その状態をたぶんやりたいって思っていて。

原田 うん。今回もきっと、楽日もあるし、スケジュール的には一旦終わると思うんです。だけどその先を続けなきゃいけない。終わりがないことをやっていると思いますね。

藤田 再演をするから『cocoon』という作品の命が続いたなんて僕らは思っていなくて、公演がなくてもたぶん郁子さんと会えば沖縄の話をするし、考えるのを止めないし、僕らの沖縄観は更新されていくと思う。そういうことに着手しちゃったんだな感じがあります。

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 ―― 演出も音楽も、初演からかなり変わっていますよね?

藤田 全然違うよね。

原田 一からです。再演のために役者さんのオーディションをし直しましたけど、それと同じ。おもしろいのは、私の以前の曲を藤田くんが今回使いたいと言ってくれて。

藤田 シビアさが変わった気がするんですよ。戦争だったり、時代に対しての感覚が。郁子さんが過去に歌っていた曲が、今、必要なものだと聞こえてくるのは、初演の時よりも何かほどけた部分もあり、堅くなった部分もあるということで。具体的に言うと、初演の2013年は、やっぱり2011年の(東日本大震災の)ことからまだそんなに時間が経っていないという感じだったけど、そこからもう少し時間が経って、今はまた違う社会的な問題がいっぱい出てきている。そういうことが今度の音選びにも繋がっていると思います。

 ── さっき原田さんがおっしゃってた、初演の時から原田さんご自身も、お仕事にもどこかに必ず『cocoon』の破片があったという感覚は?

原田 受け取ったのが、たぶんとても大きなもので、それがすぐ(作品として)出ているかはわからないんですけど。クラムボンの『yet』(今年2月発売)という曲の歌詞に「いっせーのせ」という言葉を書いて、それはやっぱり『cocoon』の初演にあった女の子達の掛け声の力みたいなのが、ずーっと耳にこびりついていたんです。と同時に、どうしても次の世代のことを考えるようになりました。

藤田 それもあるね。僕、今年30歳になって、次の世代が現れてくるという意識が強まったかもしれない。

原田 vacantでやった『カタチノチガウ』(今年1月)の最後の最後で、青柳さん(が演じた女性)に子どもができる。ラストシーンのサンという主人公の姿、2015年の『cocoon』に対して藤田くんに伝えなくちゃと思ったことと、それは完全にシンクロしていたんです。2年前には、そこまで及ばなかったんですけど、原作にはない部分なんですけど、託された未来、というものをいつかは次に託していく、ということについて、藤田くんと話しました。

藤田 こんなふうに言っていいのかわかりませんけど、次の世代をつくる、子どもをつくるってことを、生き残った人達はしているんですよね。周りで人が次々と死んで、死体の中で息を潜めていた人も、そのあと結婚して子どもをつくって生きていく選択をしている。それって、ものすごいことじゃないですか。沖縄のことで言えば、そういう歴史があって、今、沖縄の人達はいろんなことを受け入れたり、戦ったりしながら生きている。今年はそこまで描けるか。その部分で僕は緊張しているし、郁子さんも、今回出演してもらうことになった飴屋さんも同じじゃないかと思います。

(ローチケ演劇宣言!より)

取材・文/徳永京子


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マームとジプシー

藤田貴大が全作品の脚本と演出を務める演劇団体として2007年設立。同年の『スープも枯れた』にて旗揚げ。作品ごとに出演者とスタッフを集め創作を行っている。同じシーンを高速でくり返すことで変移させていく「リフレイン」の手法を用いた抒情的な世界で作品ごとに注目を集めている。2011年6月〜8月にかけて発表した三連作「かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。」で第56回岸田國士戯曲賞を受賞。また、2012年より様々なジャンルの作家との共作を発表。2013年沖縄戦に着想を得た漫画家・今日マチ子の傑作「cocoon」の舞台化に成功。2015年「cocoon」の再演にて沖縄含む全6都市にて巡演。 ★公式サイトはこちら★