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【連載】ひとつだけ 藤原ちから編(2016/11)― ディレクターグ42 岡田利規 短編小説選『女優の魂』『続・女優の魂』

ひとつだけ

2016.11.11


あまたある作品の中から「この1ヶ月に観るべき・観たい作品を“ひとつだけ”選ぶなら」
…徳永京子と藤原ちからは何を選ぶ?
   
2016年11月 藤原ちからの“ひとつだけ” ディレクターグ42 岡田利規 短編小説選『女優の魂』『続・女優の魂』
2016/11/23[水祝]~11/27[日] 東京・アトリエ春風舎

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提供:ディレクターグ42


数日前に、ドイツ・デュッセルドルフでチェルフィッチュの『部屋に流れる時間の旅』を観た。3月に生まれたてのこの作品を京都で観た時に比べて、きっと作品自体も成熟していたし、わたし自身リラックスして観ることができたせいもあるだろう。印象はずいぶん違った。俳優たちの言葉は心地よい世界へとわたしを誘惑しつづけた。しかし同時にそれは、身を委ねては危険な罠のようでもあった。

岡田利規=チェルフィッチュ作品についてはこれまでいろんなところで書いてきたけれど、まだまだその多様な魅力を全然言葉にしきれてないな、とあらためて思い知らされることになった。通訳込みで1時間を超えるアフタートークの聞き手役を務めたこともあり、その会場に満ちていた好奇心を肌で感じることができたのだが、逆にわたしの身に何が起きたかというと、なぜチェルフィッチュがヨーロッパを中心として世界各地で高い評価を得ているのか、かえってよくわからなくなったのである。いや、わからないというのは適切な言葉ではなく、もちろん表層的にはその理由は理解できるし、説明もつく。でももっと複雑な回路をつたって、長い歴史を持つヨーロッパの文化の中に、そしてその土地で現在を生きる人々の多様な感受性の中に、岡田利規=チェルフィッチュは浸透しつつあるのではないか。わかりやすいジャポニズム(エキゾチシズム)とは別のやり方で。



今回、その岡田利規のテクストに韓国の劇団が挑戦する姿を見られるのは、わたしにとってそのこと(たとえば、演劇が海を越えていくこと)を考え続ける良いチャンスでもある。劇団名はディレクターグ42。日本初上陸である。といっても演出家のマ・ドゥヨンは、ソン・ギウン率いる第12言語演劇スタジオの俳優でもあり、多田淳之介(東京デスロック)の舞台に出演するなど、何度も日本にお目見えしている。またドラマターグのイ・ホンイは「新・演劇放浪記」でも語ってもらったように、日本の戯曲をいくつも韓国に紹介してきたほか、岡田利規の『God Bless Baseball』では翻訳や稽古場での通訳も務めた。韓国の若い才能が組んだこのディレクターグ42は日本でどんな上演をするのだろう?

実は日本国内で、岡田利規が書いたテクストを他人が演出するのを観る機会はほとんどない。つまりそのテクストを演出から切り離した状態で味わう機会は、これまで皆無に等しかったのである。読めば、テクスト(戯曲/小説)として独立した強度を持っていることは明瞭なのだが、その潜在的な魅力はもしかしたらまだ十二分には引き出されていないのではないか。他人に委ねられて、初めて見えてくるものもきっとあるわけだから。

特に『女優の魂』はもともと小説であるとはいえ、佐々木幸子のひとり芝居という鮮烈な印象をもって観客の記憶に残っている。わたしは人を食ったような彼女のバージョンがとても好きだけれども、今回、韓国の俳優が演じることで、このテクストはそのイメージから切り離され、また別の顔を見せてくれるかもしれない。

ちなみに『続・女優の魂』は日本では初上演。どんな内容なのか、いったい何が「続」なのかも、わたしもまだ知らない。


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