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【連載】ひとつだけ 藤原ちから編(2017/05)― 『カルナバル・フェスティバル2017』

公演情報

2017.05.13


あまたある作品の中から「この1ヶ月に観るべき・観たい作品を“ひとつだけ”選ぶなら」
…徳永京子と藤原ちからは何を選ぶ?

2017年05月 藤原ちからの“ひとつだけ” 『カルナバル・フェスティバル2017』
コア期間 2017/5/10[水]~5/21[日] フィリピン・メトロマニラ各地

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フィリピンに通い始めて3年目に突入した。2015年に初めてこのカルナバル(KARNABAL)フェスティバルに呼ばれた時点で、「3年計画になるよ」とは聞いていたけれど、本当にこうやって3年目を迎えることになるなんて、当時はもちろん実感していなかった。そもそも異国での滞在制作は簡単なものではない。ここフィリピンでも泣きそうになるくらい大変なことは多々あった。なのに、ざっと思い返してみて、そうした苦難も含めてすべてが楽しい思い出に感じられるというのは、きっと、とてつもなく幸福なことなのだと思う。

「フィリピン」で「演劇」というキーワードを聞くと、多くの演劇人が真っ先に思い浮かべるのはペタ(PETA=フィリピン教育演劇協会)の存在だろう。黒テントとの交流を皮切りに、ペタが日比の文化交流に果たしてきた役割はとても大きい。そうした交流の歴史の上に今があることを決して忘れてはいけない。とはいえ、ペタも今年で結成50周年。半世紀を迎えている。時代も世代も変わる。今や彼らが大きな劇場を運営しなければならない立場にある、ということは念頭に置く必要があるだろう。(フィリピンのアートシーンの変遷については、鈴木勉『フィリピンのアートと国際文化交流』(2012年、水曜社)が詳しいです。ぜひ。)

もしもあなたが、フィリピンの舞台芸術の「今」や「これから」にその肌で直に触れたいと願うのであれば、なんといってもカルナバル・フェスティバルに来ることをオススメしたい。パフォーマーと観客との親密な距離、エアコンのない劇場、手作り感満載の小道具、まずもって時間通りに始まることなんて絶対ない上演、Facebookのハッシュタグ #KARNABAL2017 に溢れかえる断片的な情報の数々……etc.。自然条件も異なり、半屋内であっても突発的な雨の轟音で上演が中断されることもある。整然としたインフラやシステムの上で成り立っている日本の舞台芸術とはあまりにも異質な体験の場になっている。

ここフィリピンの首都マニラでは、明日は明日の風が吹く。細かいことなんて気にしていたら生きていけない。時計もあってないようなもので、人々はざっくりした約束と確かな信頼関係とによって紡がれる、独特の時間の中を生きている。これはただ「南国気質」という言葉で片付けられるものでもない。彼らフィリピン人が、スペイン、アメリカ、そして日本の植民地時代をどうにか生き抜いてきたという、その被抑圧者としての歴史があることを抜きにして捉えることはできないだろう。7000以上の島々からなり、様々な民族や言語が混在するフィリピンにおいて、彼らは、見た目の陽気さに比べてはるかに複雑な精神性を持っている。カルナバルは、そうしたフィリピンの文化や風土を理解するための「入口」のひとつだと、わたしは感じている。

フェスティバルを運営しているのは、JKアニコチェを中心とするシパット・ラウィン・アンサンブル。40年前にイメルダ・マルコスが建てたPHSA(Philippines High Scool for the Arts)の出身者を母体として誕生したカンパニーである。その意味では彼らはいわばエリートの中のエリートなわけだが、鼻持ちならない感じはまったくない。むしろこんなに陽気でオープンマインドな人間が他にいるのかと思うくらいフレンドリー。とはいえ高度な教育を受けたからこそできることがあるとわかっているし、同時に、その英才教育が西洋の影響を受けていることについても相当に自覚している。彼らにとって芸術とは、みずからの歴史的アイデンティティを問い直すような、手探りの試みなのだと思う。

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今年のオープニングセレモニーは、先人たちに敬意を表するというコンセプトで粛々と行われた。「Strange Pilgrims」の会場もこの場所(野外)になる。


それにしても独裁者の夫人イメルダによって創設された国立学校が、やがてリベラルで柔軟な彼らを育成したという事実はなんとも皮肉である。いや、それは皮肉というより、歴史の必然なのかもしれない。彼らの親の世代はまさにその独裁者マルコスを倒した1986年の「ピープルパワー革命」を経験している。シパットには母親がアクティビストだというメンバーもいるし、カルナバルの参加アーティストのひとりであるイッサ・ロペスは監獄で生まれている(両親がマルコス政権下で投獄されていたため)。彼らにとって「歴史」や「革命」は、自分たちの生命や存在理由と地続きのものなのだ。日本では「革命」はしばしば危ういロマンチシズムを伴う言葉として響くが、ここフィリピンでは、革命はけっして絵空事ではない。

フェスティバルディレクターのJKアニコチェは「革命のためのリハーサル」という言葉を好んで使う。だが彼らは単純な反政府的なイデオロギーによって動いているわけではない。より良い社会や政治とはどういうものなのか、ひたすら熟慮を重ねている(例えばドゥテルテ大統領に対する彼らのアンビヴァレンツな反応はとても興味深い)。カルナバルはまさにその実践編であり、未来に向けたリハーサルなのだろう。毎年たくさんのティーンネイジャーたちが、目をキラキラさせてボランティアとして参加している。カルナバルは、若者たちに経験を手渡す場にもなっている。

資金面では、日本の国際交流基金アジアセンターが大きくサポートしている。その意味では非常に日本と縁の深いフェスティバルでもある。しかしここにあるのはただジャパンマネーを当てにしたお金だけの関係ではない。この3年間、基金の担当者である桶田真理子さんは、カルナバルの理念や個々のアーティストの活動をとても深く理解し、情報提供など様々な形で協力してくださった。日本から招聘された武田力、石神夏希、そしてわたしという3人のアーティストも、ただお呼ばれした外国人ゲストとして振る舞うのではなく、様々な場所に赴いて人と会い、とにかくいろんな回路を通じてフィリピンを理解しようと努めてきた。

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武田力がラルフ・ロンブレス(左)とつくったタコヤキ屋台。自転車に取り付け、スラムに赴く。


いったん今年でひと区切りとなる節目のカルナバルだが、3年目はまさに今始まったばかり。ぜひ今からでもジョインしてほしい。実際にフィリピンに来ることが難しくても、せめて、自分に関係のある情報だと感じてほしいと思って、この文章を書いています。

今年2017年のカルナバルは《分散型》のフェスティバルとなりそう。まずコアなフェスティバル期間が5月(5/10~21)と10月に分散。そのあいだは若手育成プロジェクトが行われる予定。かなり長期的なプロセスになっている。

会場もまた分散している。中心はケソン・シティだが、メトロマニラの各地で上演が勃発することになりそう。例えば武田力は『The octopus is an octopus, but it is ____.』を都市の路上やスラム街など複数の場所に出向いて上演する(タコヤキを焼く)。石神夏希はスモーキー・マウンテン(ゴミの山)のあるパヤタス地区で『ギブ・ミー・チョコレート!』を上演。他のフィリピンのアーティストたちも、それぞれのやり方で様々なコミュニティやフィリピン社会にアプローチを試みている。わたし自身は昨年マリキナ・シティで上演した『演劇クエスト』がそれなりの達成感に繋がったので、今年は別のアプローチ(新シリーズ)にチャレンジするつもり。ここには何か、そうした創作意欲やインスピレーションを掻き立てるものがあるから。

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JKアニコチェの右腕的存在であるサラ・サラザール。この図のようにカルナバル2017は《分散型》となる。


フェスティバル終盤の5月20日夜から21日朝にかけては、「Strange Pilgrims」という誰でも参加可能なパフォーマンスパーティが開催される。歌でも踊りでもその他のパフォーマンスでも、いっちょやったるか、という人は飛び入りで参加してみると楽しいかも。

マニラは、コツをつかめばワクワクする都市だけれども、日本のようには安全ではないので、 「初めてのマニラ、カルナバル(2017年版)」 をまとめました。渡航の際の参考にどうぞ。


≫ 『カルナバル・フェスティバル2017』 公演情報は コチラ

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