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【連載】ひとつだけ 徳永京子編(2017/10)― 「表に出ろいっ!」English version”One Green Bottle”

ひとつだけ

2017.11.2


あまたある作品の中から「この1ヶ月に観るべき・観たい作品を“ひとつだけ”選ぶなら」
…徳永京子と藤原ちからは何を選ぶ?

2017年10月 徳永京子の“ひとつだけ” 「表に出ろいっ!」English version”One Green Bottle”
2017/11/1[水]~11/19[日] *10/29[日]~10/31[火]プレビュー公演 
東京・東京芸術劇場シアターイースト

アートディレクション:吉田ユニ


 録画してあった『眩(くらら)~北斎の娘~』を、ようやく観た。北斎の三女で、浮世絵師として素晴らしい才能を持ちながら、女性だったことや、偉大すぎる父の影に隠れて、ふさわしい評価がされていない葛飾応為(かつしか・おうい)、本名・お栄の半生を描いた単発のテレビドラマで、9月に放送されたものだ。ドラマをほとんど観ない私だが、滝沢馬琴の役を野田秀樹が演じると聞いて、録ってあったのだ。
 と言っても、馬琴については『南総里見八犬伝』と『椿説弓張月』の作者という程度しか知識がなく、北斎と交流があったことさえ、このドラマを観るまで知らなかった。番組はお栄が主人公であり、北斎が老年になってからを描いているので説明はなかったが、あとから調べると、馬琴の本の絵を北斎が手がけた時期もあり、北斎が馬琴の家に居候していたことさえあったという。
 そうしたことを知らなかった私は、野田のキャスティングは、江戸時代の戯作者を現代の劇作家に演じさせようという、制作サイドの洒落っ気のひとつだと考えていた。

 馬琴の登場はワンシーンのみ。これも私は知らなかったのだが、北斎は70歳手前で脳卒中を患って寝たきりになり、一時は再起不能と言われた。しかし奇跡的な復活を遂げ、享年90で亡くなる直前まで絵筆を握り続けた。ドラマでは、回復のきっかけをつくったのが馬琴で、完治への特効薬となった柚子酒を教えたのも馬琴という設定だった。
 床につき、目の焦点は定まらず、言葉も発せず、排泄物の世話も周囲がする。人生50年とされた時代の60代後半のその状況を、近所の人々も仕事仲間も、家族も弟子も受け容れつつあるどんよりした空気を切り裂くように、野田演じる馬琴が現れる。「たまたま近所を通りかかった」と言い、静止するお栄を振り切ってズカズカと北斎が伏す部屋に上がり込むと、反応のない旧友の耳元に迷いなく顔を近付け、馬琴は大声で一喝する。
「自分は戯作者としてこれまでたくさんの作品を書いてきたが、自分で良いと思ったものなど、ただのひとつもない。それはお前も同じだろう。これまでの仕事で満足したことなどないはずだ。それなのにここで終えていいのか。まだ道半ばで、やりたい仕事がまだまだ残っているのではないか」

 ハッとした。昨年は蜷川幸雄を、5年前には中村勘三郎を失う時、野田は病室で、ほとんど同じことを言ったのではないか。野田をキャスティングしたのが誰か私は知らないが、馬琴から北斎に向けられるエールに、野田の私的な体験を重ねて見せたのではないか。

 ジャンルは違えど、若い頃から自身の腕ひとつで身を立て、先人のいない荒れ地に道を切り拓いてきた馬琴と北斎は、互いの才能を認め合い、口には出さずとも「あいつがいるから自分も頑張らなければ」と心の支えにしていたことだろう。誰にほめられるより、作品が高値で売れるより、相手に恥じない創作をすることを矜持にした関係。先のせりふは、その一方が逝こうとするのを、もうひとりが引き止める必死の思いであり、さらに言えば、ある境地まで達した芸術家同士にしか通じない言葉だった。
 その緊張感に満ちた深い信頼関係を、野田は蜷川とも勘三郎とも結んでいた。しかし自分の目の前で、もっと長く世の中を照らすはずの、その人がいなければ大きな歯車が確実にひとつ止まってしまう才能が消えていくのを、見送らざるを得なかった。それ自体が理不尽で、悲しさも悔しさもこみ上げただろうが、彼らと同じ厳しさで創作に取り組んできた者として「自分で満足できた仕事など、まだないじゃないか」という感覚は、そのふたりと共有している思いに違いない。
 キャスティングの担当者はそれを理解して、このせりふにふさわしい俳優は野田だと決めていた。深読みかもしれないが、好敵手を逝かせまいとする思いが報われる幸せな結果を、フィクションの世界に用意したのではないだろうか。

 2010年に上演された『表に出ろいっ!』は、野田と、盟友で戦友の勘三郎が、小劇場でがっぷり四ツに組むことを主眼に企画された。実際、ふたつの頭脳と肉体は、電光石火の勢いとスピードで反応しあい、観客を巻き込む旋風を起こしまくった。夫が勘三郎、妻は野田、ふたりの娘を黒木華と太田緑ロランスがWキャストで演じ、たまたま同じ晩にどうしても出かけなければならない用事がある3人が、愛犬の出産のために誰かが留守番をしなければならない問題によって、あっという間に“仲の悪い家族”から“相手を信じない攻撃的な個人”になるまでが描かれる。
 勘三郎との強いつながりから生まれた作品が他の俳優で上演されることはないと思っていたから、再演の話を聞いた時は驚いたが、キャサリン・ハンター、グリン・プリチャートをキャストに迎えると聞いて、なるほどと思った。すでに10年以上も作品を一緒につくり、絶対的な信頼を寄せる間柄であり、英語にすることで、前回とは違う距離感が生まれると思ったからだ。
 そして英語翻訳に、日本人とイギリス人の血を引く俊英、ウィル・シャープが入ったことで、タイトルを“One Green Bottle”『表に出ろいっ!』English versionとするほどに生まれ変わったらしい。自作を自分で英語にし、海外で上演することで、苦労と共に新たな発見や喜びを見出してきた野田が、信頼できる翻訳家と出会って、また別の展開を手に入れたというわけだ。
 さらにイヤホンガイドを大竹しのぶと阿部サダヲが担当。この作業を通して野田は、大竹、阿部をキャストに迎えた『表に出ろいっ!』を夢想しているらしい。この貪欲さこそ、生きている者の特権であり、生き残った者は逝った人を超えなければならないという決意の表れであるように思う。なぜなら、つくってもつくっても「自分で満足することなどない」のが、真のクリエイターだからだ。


≫ 「表に出ろいっ!」English version”One Green Bottle” 公演情報は コチラ
≫ 野田秀樹インタビューは コチラ

野田秀樹

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