演劇最強論-ing

徳永京子&藤原ちから×ローソンチケットがお届けする小劇場応援サイト

【連載】ひとつだけ 藤原ちから編(2018/04)― dracom Rough Play とある高校生の戯曲『海での…。』他、芥川龍之介作品1本

ひとつだけ

2018.04.12


あまたある作品の中から「この1ヶ月に観るべき・観たい作品を“ひとつだけ”選ぶなら」
…徳永京子と藤原ちからは何を選ぶ?

2018年4月 藤原ちからの“ひとつだけ” 
dracom Rough Play とある高校生の戯曲『海での…。』他、芥川龍之介作品1本

2018年4月26日(木)19:30  大阪・OPA_Lab
≫公式サイトはこちら



昨年、この「ひとつだけ」のコーナーでやはりdracomというカンパニーについて言及した時「正直わたしはdracomのあまり良い観客ではなかった」と書いた。それで言うと、去年わりとちょいちょい関西に滞在していたおかげで、彼らの運営するスペースOPA-Labに何度か足を運ぶことができた。少しは「良い観客」に近づくことができただろうか?

OPA-Labは、最寄り駅がJR・千里丘駅か阪急電鉄・摂津市駅で、言うなれば、京都と大阪のあいだに位置する。自分たちのスペースだから、劇団・地点のアトリエ・アンダースローのように、定期的に上演したり企画を打ったりできるのが強みだ。そういう、「しょっちゅう何かやってる」場所があるのは、観客としてもありがたい。時には終演後にビールでも呑みながらダラダラできるのもいい。寂しさも慰められるというものだ。作り手と観客それぞれの生活が、作品を通して地続きに繋がっているような気持ちになれる。

名前を出してしまったので恐縮ながらこのまま比較させていただくと、劇団・地点がしっかりとした劇団員制度をとり、稽古や上演の積み重ねを通じて、ハイレベルなプロフェッショナリズムを志向しているとすると、一方のdracomはだいぶゆるく見える。象徴的なのが「登録メンバー制」だ。劇団員とは異なり、タスクがほとんどない。参加したい時にその意志を表明すれば、ほぼdracomの活動に関わることができる。まだ1度も俳優として参加したことのない、登録だけしているメンバーもいるらしい……。それでいいのか、と思うけれど、それでいいのだ……ろう。「ゆるい」と書いたが、それは各々の自主性が尊重されている、ということでもあるのだから。



このように、メンバーそれぞれのモチベーションが今のところ許されているdracomだが、だからこそ生まれた(?)好企画もある。それが「dracom Rough Play」である。

この企画に参加表明した俳優たちは、本読み1回、稽古1回、そして本番、とわずか3日の拘束期間で上演に臨むことになる。彼らはこの稽古期間にみずからノートに書いたメモだけを頼りにするしかない。戯曲そのものをこっそり読み返すことは禁じられている。つまり、うろ覚えで本番に臨むしかないのである。



……こう書くと単なる余興のように思われるかもしれないが、そうではない。あくまでも元の戯曲を尊重する姿勢は崩さないという決まりごとがあり、俳優は真剣そのものだから、むしろキツイはず。舞台に立つにあたって頼りになるものがほぼない中で、俳優たちは、混濁する記憶の海の中に、失われた台詞を必死で探しにいくしかない。

一般に演劇公演では、俳優が上演中に台詞を探しにいったら演出家に激怒されるのがオチだろう。なぜいい歳にもなって怒られるかといえば、そこには演出家を頂点とする権力構造があり、俳優は作品に貢献するという名目の下でその権力に従っているからだ。それは演劇の現場では当たり前のこととされている。あまりにも当たり前すぎてほとんど感覚が麻痺している場合もあるだろう。が、この権力構造によってこそ演劇作品の「強度」が担保され続けているという事実は、 肝に銘じておかなくてはいけない。そして、批評家も含めてほとんどの観客はこの「強度」にこそ魅せられ、感動しているという事実もあるのではないか。もちろん、権力=悪ではない。しかし、この種の権力によってしばしば暴力が発生しがちであるという事実もまた、忘れるわけにはいかない。あくまでも良い作品をつくるためという名目の下、演出家の俳優に対する苛立ち、怒り、わがまま、暴力は、正当化されてもしまう。

dracomのRough Playの創作現場は、こうした演劇にありがちな権力構造からはずいぶん距離をとっているように思える。まず演出家である筒井潤もまた、俳優のひとりとしてこのRough Playに参加している。上演する戯曲を選んでいるのはほぼ彼だろうから、その点ではアドバンテージはあるとしても、他の俳優たちとかぎりなく近い条件であり、その意味ではかなりフラットな関係性を結ぶことに成功しているように見える。

そしてそれ以上に、「台詞を何度も反復して覚える」という演劇では当たり前とされてきたメソッドがRough Playには存在しない。つまりそのような反復によって得ることのできるはずの強さと美しさを、俳優たちは身にまとうことができない。彼らは記憶の海をさまよいながら、必死で立ち、何かを口にする。そこで、誰にも(おそらく本人にも)予期できなかった、変なことが起きてしまう。その瞬間は実にスリリングであり、前回3月に観たRough Playでわたしは、俳優たちの口からふっと出てくるエクトプラズムのような言葉(または言葉未満の何か)をとても美しいと感じたのだった。



……ここまで書き忘れていたが、観客にはあらかじめ戯曲(上演台本)が配られている。だから俳優たちの脳内でどのような記憶の旅や捏造や混乱が生じているのか、想像して楽しむことができるだろう。そして上演後に、各場面を思い出しながら俳優たちとおしゃべりするのもまた楽しいかもしれない(たぶん、お菓子やビールにありつきながら)。上演は映像として記録されYoutubeにアップされる。以下のURLからから過去のdracom Rough Playをすべて閲覧することもできる。が、言うまでもなく、現場で、まさにその瞬間に生まれてくるエクトプラズムを見届けるのが、きっと楽しい。


≫過去のdracom Rough Playの映像はこちら

演劇最強論枠+α

演劇最強論枠+αは、『最強論枠』の40劇団以外の公演情報や、枠にとらわれない記事をこちらでご紹介します。