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モダンスイマーズ 句読点三部作連続上演 蓬莱竜太 インタビュー

インタビュー

2018.04.18



Photo/村上宗一郎


ひとりの少女の日常から、原発について考えるフィクションをつくる。
それがつくり手の使命だと思う。


新国立劇場や商業演劇、さらに新作歌舞伎の戯曲、テレビドラマや映画の台本など幅広く活躍し、多くの俳優から厚い信頼を寄せられている蓬莱竜太。彼が座付き作家をつとめる劇団モダンスイマーズが、2013年から2016年までに上演した『死ンデ、イル。』『悲しみよ、消えないでくれ』『嗚呼いま、だから愛。』を「句読点三部作」と名付けて連続上演する。再演で検証したいのは、仕事の依頼が次々と舞い込む方法論を捨てて手に入れた、漠然とした、だが予感に満ちた感触らしい──。



── モダンスイマーズの過去の作品は、プロデュース公演などで度々上演されますが、劇団として再演するイメージがあまりありません。それが、3年間に渡る3作を一気に連続上演することにしたのはなぜですか?

蓬莱 この三部作をきっかけに、劇団に新作を書くという僕の意識がかなり変わったんです。それまでは「◯年◯月に劇場を押さえたから、劇団用の作品をつくらなきゃ」という意識だったのが、もう少し自分に寄っていったというか。

── 再演が少なかった理由に、蓬莱さんが、劇団員の皆さんの当時の年齢に合わせて戯曲を書いてきたことがあると思うんです。三部作の1本目に当たる『死ンデ、イル。』は主人公をオーディションで選んだ若い女優さんにしたりと、キャスティングへの意識が大きく変わった潮目のような気がします。

蓬莱 ちょうど劇団内のいろいろな問題が出てきた頃で、このまま続けるかも含め、劇団員全員がかなり危機感を持っていた時期でした。それもあって、新しいことがやりやすかったのかもしれません。それと東日本大震災があって、社会と自分のつながりを作品にしたいという気持ちが自然と芽生えました。『死ンデ、イル。』は創作そのものが個人的なものになっていく感覚があって、それはすごく大事なことかも、と思ったんです。それが次の『悲しみよ、消えないでくれ』でも『嗚呼いま、だから愛。』でも続いた。『嗚呼いま、』が終わって一区切りした感覚があったんですが、次にどこに向かおうかと考えた時に、以前の「この時期に会場を押さえた」に戻るのには違和感が湧きました。
それで、自分の中で書くことへの触手が動くのは何に対してなのかを検証したくなって、思い切って3本全部もう一度やろうというのが連続上演の理由です。

── 最初から三部作として企画したわけではないですよね。でも共通した感覚が3作つくる間ずっとあって、結果的につながった3作になった?

蓬莱 ええ、3作の流れが自分の中ですごく自然だったし必然でもあった。それと、今までとは違うものを書いている、過去のノウハウ、経験値が使えないものに出合っているという感覚がずっとありましたね。

── 意地悪な見方をすると、それほど強烈な感覚なら、検証しなくても良さそうに思いますが。

蓬莱 そこなんですよ。三部作は、勢いでやった部分もあるし、勘のままにやったところもある。確実に何かに突き動かされていたんですけど、その核心がはっきりしなくて。それをたぐり、今の自分と照らし合わせたい。ざっくり言うと、40歳を過ぎて新作を1本つくることが、ものすごく大事な、大変なことになっているんです(*蓬莱は現在42歳)。もちろん30代でも20代でも大事だったし大変でしたけど、比べものにならないくらいシビアになりました。やっぱり、あと何本新作をつくって残せるのか、その作品が自分の中で価値あるものになるのかを考えるようになったんですね。多くの人に観てもらいながら、実験のようなことができる機会はあと何度あるのか。その時に重要になってくるのが、最初の一歩になる衝動だろうと思います。

── なるほど。でも40歳で残りの時間を意識されるのは早いですね。50歳を境に「あと何作」と言う方は、たとえばケラリーノ・サンドロヴィッチさんや松尾スズキさんなど、何人もお会いしましたが。

蓬莱 たぶん、KERAさんや松尾さんと僕は根本的に違う。僕の感覚では、50歳まで第一線で生き残っていること自体が本当にすごいことなんです。自分がそこまで行けるかが、まさに今にかかっていて、これまでと違う発明が必要というか、新しい方法を探っていかないとダメだという危機感があります。

── その発明の芽が、三部作にありそうということですね?

蓬莱 あるのかも、ですかね。手応えはもちろん持っていますけど、言ってしまうと、検証したいことの中に劇団を続けるかどうかも含まれているので。

── 劇団を続けていくかどうか問題は、何年かおきに出てくるようですね (笑)。

蓬莱 いやいや、今回はまた切羽詰まっているんです。来年はモダンスイマーズ20周年なので、否が応でも考えますね。

── 「句読点三部作」って「不器用三部作」と言い換えられると思うんです。蓬莱さんが得意としてきたのは、瑞々しい部分はあったけれども、時代を超えたスタンダードな強さのある作品でした。だからこそ多くのプロデュース公演からオファーがあったと思うんですね、不特定多数に届きやすいから。ところがこの三部作に関しては、執筆時の世界に付いたばかりの傷に蓬莱さんがビビッドに反応して、その問題を自分に引き寄せる過程がそのまま作品になり、明確な答えを提示しないまま終わった。答えを提示しない演劇は今どき珍しくはないんですが、答えを提示しない演劇の大半は不条理だったりファンタジーに寄っていたり、あるいはモノローグが大半だったり、構造そのものに観客との距離がある。でも蓬莱さんはあくまでもリアリティに根を張りながらそれをやった。だからとても生々しく、苦く、胸に迫った。だからこそ、そのつくり方がルーティンになってしまうのは違うだろうと思います。蓬莱さんが「検証したい」と思われたのも、そのあたりかなと想像したのですが。

蓬莱 そうなんですよ。単に社会問題に目を向けて書けばいいということではない。僕がやりたいのはおそらく、そうしたテーマの選び方ではなくて、三部作で得たものと、今まで培ってきたものや得てきたものを融合させることなんです。要は、そろそろ自分なりのエンターテインメントを考える必要があるんじゃないかと思うんですよね。今までは来た球を打っていたんですけど、違うやり方を手に入れたい。

── うまく行けば、新しい章の始まりですね。

蓬莱 まだ全然、漠然としていますけど。

── ところで、どうして上演の順番が新しい作品からなんでしょう?

蓬莱 単純に俳優さんたちのスケジュールの問題です。最初は僕も順番にこだわったんです。やっぱり『死ンデ、イル。』から始めたいと。でも、ふと考えたら、古い作品ほど自分の記憶から遠のいているわけで、新作をつくる感覚に近づいていくんですよね。ちょうど『死ンデ、イル。』は出演者も一番入れ替わるし、劇場も変わる。徐々にギアを上げていく感じになっていいなと思いました。今は納得の順番です。

── では1作ずつ、解説をお願いしたいと思います。まず、『嗚呼いま、だから愛。』。夫が自分への興味を失っていると悩んでいる女性が、美人の姉の来訪、友人の妊娠などをきっかけに、幼い頃からの容姿のコンプレックスを爆発させる話ですが、実際にあったパリのテロ事件が、ひとつのエピソードの分岐点になっています。上演時、蓬莱さんはこの戯曲を書くきっかけに「ニュース速報で事件を知った時、なぜかとてもセックスしたくなった」ことがあったとおっしゃっていました。

蓬莱 創作のモチベーションとしては、とにかく川上友里さんという存在を知ったことが大きかった。パリのテロのことは、悲惨な事件と人間の生殖本能の関係について考えるきっかけになったんですが、そのあたりがまだぼんやりしている時に川上さんに出会って、バチン!というものがありました。
でも3作の中で執筆に1番苦しんだのがこれでした。執筆もそうですけど、演出に迷いましたね。自分のやりたいことはある、伝えたい空気もあるんだけれども、果たしてそれがお客さんの何のためになるんだろうと。そんなもの、お客さんのどこにも触れないかもしれないし、触れたところで何の振動も起こさないかもしれない。そういう不安がずっと消えませんでした。

── アクロバティックでしたが結果は、日本の夫婦のセックスレス、パリのテロ、そして容姿のコンプレックスが見事に掛け合わされました。

蓬莱 初日が開けて客席の反応を見た時に、届けたいものが届いているとわかってすごく安心しました。でもつくっている間は本当に怖かった作品です。


『嗚呼いま、だから愛。』過去の上演より


── 次は『悲しみよ、消えないでくれ』。亡くなった婚約者の実家でもある山小屋で、周囲の同情を受けてプラブラしている男の悲しみのメッキが次第に剥がれていく物語でした。

蓬莱 酷い男なんですよ、主人公の男が。古山(劇団員の古山憲太郎)に当て書いてんですけど(笑)。古山は、ほとんどの人が「お前、それは良くないよ」と注意せざるを得ないことをしておいて、いたって真剣に「本当に俺が悪いのか?」と考えているようなヤツなんです、特に男女関係で。僕は古山の言動を見ていて「それは女性を怒らせるよ」と思いつつ、どこかで「うん、わかるよ」とも感じている。ただ僕は、それを言ったら終わりだと知っているから言わないだけで(笑)。

── 蓬莱さんは古山さんより1回多く人間に転生しているのかもしれないですね(笑)。

蓬莱 まぁ、全部が他人事ではなく、僕も恋愛もしますし、いろんな人を不幸にしてきたのかもしれない。努力したつもりで駄目だったこともいっぱいあります。そんな中で「本当に僕が悪いのか? 悪いのはわかっている上でもう1回聞くけど、僕だけが悪いのか?」を問うてみたくなったんですね。それは男女問題だけじゃなく。さまざまな人間関係に言えることだと思ったので。

── 主人公だけでなく登場するほとんどの人が外側の皮をはがされ、「さて、どうする?」な状況に追い込まれますね。

蓬莱 僕のイメージとしては、法律だったりその場所の常識だったりに裁かれたあとに、裁いた側に対して問いたい本心の言葉、というのがありました。夫婦でも親子でも友人でもいいんですけど、ふたりの人間がいたら、彼らの間に起きることは、そのふたりだけがわかっているルールや空気感によって決まるじゃないですか。たとえ周囲の人には理解できなくても、そこで成立していれば何の問題もない。でも一方が急にいなくなって、ふたりの間ではオッケーだったことを他の人が検証して「酷い」と言われる場合がある。「いや、あいつはそれでいいと言っていたし、自分たちの間では成り立っていたんだ」ということは立証できないわけです。言い張るほど、周囲との軋轢が深まるばかりで。

── それ、誰の身にも起きうることですね。

蓬莱 さらに怖いのが、この作品の中でいなくなるのは主人公の婚約者ですけど、お父さんから見たその女性と、恋人から見た女性は、同一人物であってもまったく違いますよね。妹から見た姉、友達から見た彼女という場合も全然違う。ひとりの人間がいなくなること自体、悲しくて辛いですけど、それがもたらす遺された者への影響がいかに大きいかも描きたかったんです。


『悲しみよ、消えないでくれ』過去の上演より


── “不在”というテーマは三部作最初の『死ンデ、イル。』とも重なりますね。これは、被災して叔母さんと仮設住宅で暮すようになった女子高生が、いつの間にかどこかに行ってしまう話で、蓬莱さんが実際に起きた事件に反応したことも驚きましたが、東日本大震災という出来事の大きさに反してとても繊細な物語だったことが刺さりました。

蓬莱 社会的なことを書くのが始まったのはここからでした。福島の人が何人も仮設住宅から消えている、蒸発するという話を聞いて、どういうことなのかすごく気になった。ただ、取材にも行きましたけど、福島や震災の話を書きたいわけじゃなかったんです。天災、人災は、善悪として喋るべきではないと僕は思っているので。僕が描きたいのは、そこからもたらされる影響なんです。
ニュースでは出てこないことが、震災─仮設住宅─蒸発の間にあって、そこには不幸だけでなく幸福もあるだろうし、その幸福が次の不幸をもたらすこともあって、誰かの人生を変えてしまう。それが書きたかった。原発がどうこうのレベルではなく、ひとりの少女の日常から原発について考えるフィクションをつくる。演劇でも映画でも小説でも、それが表現をつくる人たちの使命のひとつじゃないなのかと考ええました。

── ビリヤードの最初のひと突きが地震だったとして、玉が次々と当たっていくように、津波と原発事故、仮設住宅の建設、そこで暮す人々、誰かの蒸発と続く連鎖反応の、ひとつひとつの玉の詳細であったり、玉同士のぶつかる様子を記すのがフィクションのつくり手の仕事だと。

蓬莱 まさにそうです。

── 初演の時、ハイバイの岩井秀人さんがご覧になって、おそらくご自分たちがなさっている現代口語演劇と比較して「ストレートプレイでこんなにすごいことをやられたらたまらない」とおっしゃっていたのが印象的でした。

蓬莱 実はそこ、かなり意識的だったんです。つまり、せりふのフィクション度をすごく下げた。三部作ともそうしていて、これがそのトライの最初なんですけれども、それまでやっていなかった、話し声が重なってしまったりとか、肯定とも否定とも取れるような曖昧な相槌とか──日常会話あるあるですよね──を忠実に再現して採り入れました。だからずっとモダンを観てきた方からすると、かなり違う手触りの作品だったはずです。それこそハイバイや五反田団の匂いに近いところもあったのかもしれません。

── 今の説明を聞くと現代口語演劇のセオリーですけど、実際の舞台はせりふの密度が高く、お客さんの目の前で事件も起きるので、従来のストレートプレイのフィールドにしっかり立っている印象で、申し訳ないことに蓬莱さんの工夫に気が付きませんでした。再演では“モダンスイマーズ流現代口語”をしっかり確認したいと思います。

蓬莱 よろしくお願いします(笑)。

── 三部作と言いつつ1本1本独立した話なので、どれを観てもらっても成立しますが、せっかくなのでできれば3本全部観ていただきたいですね。

蓬莱 はい。「どれを観に来ていただいても大丈夫」という気持ちではあるんですけど、『嗚呼いま、だから愛。』を観て興味を持っていただいて、そのまま全部観ていただけたらうれしいです。

インタビュー・文/徳永京子

モダンスイマーズ 句読点三部作連続上演
『嗚呼いま、だから愛。』公演情報は ≫コチラ
『悲しみよ、消えないでくれ』公演情報は ≫コチラ

モダンスイマーズ

舞台芸術学院での同期である西條義将(主宰)と蓬莱竜太(作・演出)の出会いによって発足。劇団メンバーは、同学院の古山憲太郎、津村知与支、小椋毅と生越千晴(新人)の6名で構成されている。人が生きていく中で避けることのできない機微、宿命、時代性を作家の蓬莱竜太が描いていく。作品ごとに全く違うカラーを提示しながらも多くの人々を惹き付けるドラマ性の高さには定評がある。丁寧に創りあげる演技空間は体温を感じさせ、機を衒わない作品はいつも普遍の力を宿している。最近稀になってきた“劇団力”も評価され、その結束力も魅力の一つである。 ★公式サイトはこちら★