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【連載】ピックアップ×プレイバック 藤原ちから編(2017/07)―山内健司『END OF DEMOCRACY』(「岸井戯曲を上演する#11」より)

ピックアップ×プレイバック

2017.07.30


作品を観た数だけ、綴りたい言葉がある。
いま、徳永京子と藤原ちからが “ピックアップ” して “プレイバック” したいのは、どの作品?


2017年07月 藤原ちからのピックアップ×プレイバック ⇒ 山内健司『END OF DEMOCRACY』(「岸井戯曲を上演する#11」より)

上演・出演:山内健司
主催:blanClass
戯曲・企画:岸井大輔
司会:佐藤朋子
2017/7/22[土]~23[日] 
神奈川・blanClass


 *

 
 人が集まると場所ができる。人がいなくなれば、その場はなくなる。
 かけがえがなくて、はかない場所もあれば、愛しているけれど2度といきたくない場所もある……


 あなたはこの不思議な文章を、何だと思うだろう? 小説か、日記か、手紙か、詩か、それとも歌詞か……? 実はこれは戯曲。岸井大輔が書いた『東京の条件』の冒頭部分だ。この戯曲はこの後わずか5行で終わる短いものだが、あなたならこれをどう「上演」するだろう?

 「岸井戯曲を上演する」という、横浜のアートスペースblanClassで、2016年9月から月1回、11ヶ月連続で行われたこの実験的なシリーズは、その名の通り、劇作家・岸井大輔の戯曲を、様々なアーティストが「上演」するものだった。わたしは11回のうちわずか3回しか立ち会えなかったが、正直、もっと騒がれてもいい画期的な企画だったと思う。

 このサイト にアーカイブされている参加アーティストの肩書きを見てもわかるように、ジャンルにこだわらない人選になっている。そもそも岸井大輔自身が、ジャンルを越境……というかそもそも境なんてないかのようなジャンルレスな動きをしているためでもあるだろう。しかし、世界的に見ても突出して「ジャンルの壁」が厚い都市である東京では、岸井の活動は何やってんだか不明のアウトサイダーとして映りかねない。実際、演劇の「正史」からはまっとうな評価を受けているとは言い難い。例えば、「劇作家」を名乗って長年活動してきたにもかかわらず、(岸田國士戯曲賞を主催する)白水社が2016年に刊行した『日本戯曲大事典』からも、その名前はこぼれ落ちてしまっている。不思議な体裁をとる岸井の劇作スタイルが、(戯曲の成立基盤を問うような)その斬新な批評性にもかかわらず、未だに評価の土俵にすらあがっていないという事実。けれども、白水社を批判して済むだけの話でもないだろう。正直わたし自身、ニッチな(?)企画を日本各地で行っている岸井大輔の活動を、追いきれていない。彼をアウトサイダーに甘んじさせている現状については、批評家の看板を掲げる以上、わたしにも責任の一端があるだろう。

 ともあれ、岸井大輔のそうしたアモルフ(無定形)な活動に刺激を受けたアーティストは数多い。何を隠そう、わたしもそのひとりであり、もしも彼と出会っていなかったら自分が今のような活動をしていたかどうかも極めて疑わしい。あ、そういうのもアリなのね、と彼の自由な発想から学んだ人はけっこう多いはずだ。この「上演」シリーズに多種多様なアーティストが参加したのも、岸井の戯曲や思想に(全面肯定ではないにせよ)そそられる人たちが少なからずいたからだろう。

 特筆しておきたいのは、シリーズの参加アーティストの中に、いわゆる演出家はごく数人しか含まれていないことだ。戯曲を「上演」するのは演出家である、というのは今ではまるで演劇の常識であるかのように見なされているが、職業としての演出家がヨーロッパに登場したのは19世紀後半になってからであり、その歴史は実はとても浅い。仮に演劇の歴史を2500年と見積もったとして、演出家が活動したのはせいぜいその6、7パーセント程度の期間にすぎない計算になる。

 演劇は演出家だけのものではない、という当たり前の事実を、ここで再確認しておきたい。このシリーズでは、俳優、ドラマトゥルク、舞台美術家など、演出家以外のポジションをとる人々も「上演」を試みた。それは演出家に独占されてきた「上演」の権利を奪還し、演劇をもっと自由なフィールドへと解放/開放する試みでもあった。

* 

 2017年7月22、23日の夜に、「岸井戯曲を上演する。」シリーズの最終回が横浜のblanClassで開催され、7組のアーティストが「上演」に挑戦した。その大トリを務めたのは山内健司。「現代口語演劇」の牙城である青年団を、その草創期から支えてきたベテラン俳優である。青年団=平田オリザ氏との出会いについては以前 このインタビュー でも語ってもらったが、きっとこの語りの雰囲気からも察していただけるように、山内はそのキャリアにもかかわらずちっとも権威ぶることなく、若い演出家や俳優たちと気さくに仕事をしている。ごく最近では、スイッチ総研の常連俳優としてもすっかりお馴染みだ。まあ、そんなことを言っても、きっと彼は「な~に言ってるんですか、ただ一緒に遊びたいだけですよ、やだなぁもう~」と一笑に付すだろう。

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山内健司 写真提供:blanClass


 その山内健司が今回の「上演」のために選んだ岸井戯曲は『END OF DEMOCRACY』。夢の中で「僕」は老人になっていて、孫らしき子供と対話している。そこは民主主義国家が消滅した世界、という設定になっている。A4で1枚に収まる分量だし、会話をベースにしているためにとっつきやすくも見えるのだが、後半はやや観念的・哲学的な対話になっていて、一歩間違うと頭がこんがらがりかねない、手ごわい戯曲だ。

 以下、山内の「上演」の流れについて書いてみるけれど、どうか、わたしのつたない記述に引きずられずに、実際に何が起きていたか、想像することを楽しんでいただきたい。



 blanClassの、白い壁の、ほぼ正方形の空間がある。そこに斜め45度にスーッと空白が引かれ、観客席は2つに分かたれる。モーゼの道のように。山内健司は、窓際に小さな茣蓙(ござ)を敷くと、blanClassの大きな窓をすべて開け放つ。時刻は20時半頃。夏とはいえ、外はすでに暗い。照明が落とされ、暗闇と静寂とが訪れる。わたし(=観客)の目は、その薄い闇にだんだんと慣れていく。山内の姿がぼうっと浮かび上がる。彼は、このあたり(蒔田)の丘に囲まれた地形と、そこに吹く「谷間の風」について語る。

 京急電車の走る音。風の音が鳴る。

 そして彼は、吉良氏という豪族と、その世田谷の城下町にあったボロ市について語る。ボロ市は、終わらない。高度経済成長も、第二次世界大戦も、明治の近代化も、徳川の封建体制も、秀吉の戸籍調査でも、戦国時代の戦乱でさえも、ボロ市を終わらせることはできなかった。450年間。だから、たとえこの国がなくなっても、ボロ市は続く……と。

 そこから、仮定の話が始まる。やはり吉良氏の城下町だったここ蒔田にも、ボロ市がありえたはずだと。そして、一人二役の芝居が始まる。


「こちら、何売ってるんですか?」
「現代演劇、売ってまーす」
「え?」
「現代演劇、売ってまーす。いかがですか?」
「え、めずらしいですね……。どこでやるんですか?」
「まあ……野外?」
「え、どういうのやるんですか?」
「まあ……オリジナル?」
「へえー。じゃあ、現代演劇、ください」
「ありがとうございます。じゃあね……きょうは大岡川でやります。ついてきてください」


 そして彼は、斜め45度のスペースに敷いたブルーシートの上に椅子を置き、そこに腹筋のような姿勢で腰掛けると、おもむろに語り出す。


 夢で、老人だった。意外なほどに幸せな老境であるらしかった。心地よい風が麻痺しかけた僕の指先を抜ける。膝には毛布がかけられ部屋は整頓され、家族がいてしかも大事にされているようだった……


 そう、ここから岸井大輔の『END OF DEMOCRACY』が、一字一句そのままに発話されるのだった。山内は、腹筋の体勢で、足をあげたまま語ることで、みずからの身体に負荷をかけていた。この老人の「麻痺しかけた」身体のように。

 孫との対話が始まる。


 「おじいちゃんは若いころ、民主主義を信じていたの?」
 そうだった。もう40年も前に革命が起こり、地球の上から徐々に民主主義の国は消えた。いまや民主主義を謳っているのは朝鮮民主主義人民共和国くらいのものだ。
 「んー。信じていたというか、まあ、良いものだとは思っていたよ」

 先にも書いたように、戯曲の後半は、やや観念的な難所へと入っていく。

 ……きみは民主主義といったが、しかし、主義とはなんだろう。少なくともきみにも、何かの主義があるのではないか。デモクラシーというけれど、なら、クラシーとは何かを考えてみる道もある。ちょっと退屈そうな顔をしたね。うん、民主主義をやっつければ、それで気分はいいかもしれない。でもね。それでは、君はけして満たされないんだよ。きみは、僕を理解したいんじゃないのかい。


 このくだりに埋もれている「ちょっと退屈そうな顔をしたね」というフレーズ。話の流れからするとまったく「無駄」な一文である。けれども、これはきっと岸井大輔が意図的にこの戯曲に忍ばせたサインだろう。呼吸のアクセントにするための。山内はそれを見逃さなかった。その証拠に、この「無駄」なフレーズを喋る時だけ、宙に浮いた両足を地面の上に戻し、身体の負荷をスッと解いたのだ。そして山内は言った。


 ちょっと退屈そうな顔をしたね。


 それが、場の空気をゆるめるものだったのか、それとも別種の緊張をもたらすものだったのか、わたしにはわからない。ともあれ、このひとことによって、戯曲の言葉にあらためて血が通っていくのを感じた。

 腹筋の体勢に戻った山内は、やがて最後のフレーズまでたどり着く。


 確かなことは、あなたも私も予想できないことが起きるということだけです。だから、その日が来るのを楽しみに待ちましょう。


 その瞬間、赤いロープの束がスーッと滑り降りてくる。彼はそれを手にすると、尻を地面につけたままの姿勢で、大岡川に見立てたブルーシートを這いずるように、海の方角へとゆっくり下っていく。2017から始まり、2016、2015、2014……と西暦をカウントダウンしながら。

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山内健司が上演した岸井戯曲『END OF DEMOCRACY』 写真提供:blanClass


 ここは、路上観察に長け、また横浜の歴史オタクでもある山内のパッションが静かに発揮されたシーンだったと思う。黄金町の青線のこと、私立探偵・濱マイクの事務所のこと、オリンピックに合わせてつくられた都橋商店街のこと、美空ひばりの『悲しき口笛』のこと、米軍による接収のこと、空襲、関東大震災……。けっして多くは語られず、ごくミニマムに削ぎ落とされた言葉で、歴史的事実はたぐり寄せられる。それは、わたし(たち)と無縁のものではなかった。わたし(たち)は、山内のカウントに合わせて、みずからの人生を遡る旅をしたのだった。生まれるよりずっと前の世界……横浜がまだ海だった頃の世界まで。

 ペリー来航まで遡った山内は、やがて元の場所へと戻り、身体にザイルを結びつける。そして今度は赤いロープで天井へと昇っていきながら、2018、2019、2020……とカウントを増していく。おそらくは「あなたも私も予想できないことが起きる」という「その日」を目指して。2050までカウントした時、山内は「ここまで生きてられっかなあ」とつぶやいた。わたし(たち)はどうだろうか?

 そして、ほぼ天井の2100まで登ったところで、照明がフェードアウトして「上演」は終わる。

 *

 ……。

 以上は、初日の「上演」の流れである。

 「上演」は、二度と同じようにはやってこない。取り返しのつかないものとして生まれては消えていく。特に、作り手がコントロールしやすい劇場を離れて「上演」を行う場合、いろんな不確定要素が入り込んでくる。例えば、窓から吹き込んでくる「谷間の風」にしても、初日は爽やかだったが、2日目には少し生暖かいものに変貌していた。

 決定的な違いを生んだのはラストシーン。2日目はザイルに不具合が生じて、途中から上に昇れなくなったのだった。山内はなんとか力技で昇ろうとしたものの、2025、までカウントしたところで、一歩も動かなくなってしまった。


 「ダメか……。この辺で死んじゃうんだな……」


 山内が呻くのを聞いて、わたし(たち)は思わず「ええっ……!?」と声を洩らしてしまった。ザイルの不調は明らかだったから、仮に初日を観ていなくても、この不吉な言葉が予定外のものであることはただちに理解されたであろう。それはまるで呪いのような言葉として響いた。山内は無駄と知りながらもうひと踏ん張りだけして、2030、2040……と呟いたところで、照明はフェードアウト。2日目の「上演」は終わった。

 「上演」は、二度と同じようにはやってこない。取り返しのつかないものとして生まれては消えていく、その瞬間のできごとについて記述すること。わたしは今、そういうものをこそ書きたいと考えている。2日目のラストシーンをスルーしてこの文章を書くことは、わたしにはできない。けれど、このできごとをただ言葉にしてしまうのでは、不吉な呪いをさらに反復・強化するだけで終わるのではないか?

 彼にはまだまだ元気でいてもらわないと困る。先に紹介したインタビューにもその片鱗が現れているはずだが、彼のように、若者たちと同じ地平に立って一緒に「遊び」ながら、その背中で何かを伝えられるおじさん=俳優=アーティストは、滅多にいない。

 だから、呪いには呪いで返そう。このおじさん=俳優=アーティストは、少なくとも2050あたりまで余裕でピンピン生きるだろうね、とここに書いておこう。「上演」がもしも呪いの力を持つとしたら、そのカウンターである劇評もまた、呪いの力を持ちうるはずだと信じてみたい。



 ところで、山内の演じる売り子は、架空のボロ市で「現代演劇」を売り、それを野外で上演した。これは、岸井大輔が実際に世田谷のボロ市で「現代アート」を売っていた、という光景にインスパイアされたものだという。こんなふうに、演劇やアートが、劇場や美術館を飛び出して外に出ることも、今ではさほど珍しいことではなくなってきた。

 2020……2050……2100…………。想像してみよう。未来において演劇は、いったいどこでどのように「上演」されるだろう?

藤原ちから

1977年高知市生まれ、横浜在住。批評家、編集者、BricolaQ主宰。12歳で単身上京し、東京で一人暮らしを始める。以後転々とし、出版社勤務の後、フリーに。武蔵野美術大学広報誌「mauleaf」、世田谷パブリックシアター「キャロマグ」などの編集を担当。現在は演劇批評を中心に様々な記事を執筆。辻本力との共編著に『〈建築〉としてのブックガイド』(明月堂書店)。徳永京子との共著に『演劇最強論』(飛鳥新社)。演劇センターF創設メンバー。また、遊歩型ツアープロジェクト『演劇クエスト』を各地で創作している。 ★公式サイトはこちら★