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中堅クライシス  第1回 赤堀雅秋【前編】

中堅クライシス

2016.04.22


 誰もが新人として登場し、人生が成功のうちに終わることを夢見る。だが、その間にある中堅の時間が最も長く、過ごし方が難しい。多くのつくり手が脱落していくこの時期に、どんな問題が生じ、どんな選択が存在するのか。中堅の季節にいる人に、これまでの岐路や、今、乗り越えようとしている壁を聞き、その経験と対処を共有したい。

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第1回 赤堀雅秋(劇作家、演出家、俳優、映画監督) 前編

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赤堀雅秋(あかほり まさあき)
1971年、千葉県生まれ。1996年、SHAMPOO HATを旗揚げ(のちにTHE SHAMPOO HATに改名)し、以降、全作品で作・演出・俳優の三役をこなす。劇団外でも、東京グローブ座『殺人者』、音楽劇『ヴォイツェク』など数々の舞台で作・演出あるいは劇作で活躍。俳優としても『モテキ』『鈴木先生』『岸辺の旅』『怪奇恋愛作戦』など多数の映像作品、『南部高速道路』『オセロ』に出演。2007年上演の『その夜の侍』を自ら脚本、監督した映画(山田孝之、堺雅人主演)が2012年度新藤兼人賞金賞、第34回ヨコハマ映画祭森田芳光メモリアル新人監督賞を受賞。2013年には第57回岸田國士戯曲賞を『一丁目ぞめき』(上演台本)にて受賞。今年6月18日より、監督第2作となる『葛城事件』(三浦友和主演)が新宿バルト9ほかで公開。



 かつて演劇で食べていく方法と言えば、俳優ならテレビ出演、劇作家や演出家なら外部のプロデュース公演のオファーを受ける、劇団は大きな劇場で公演を打つというのがほとんど唯一だった。現在44歳の赤堀雅秋が、俳優志望の仲間と劇団THE SHAMPOO HAT(以下、シャンプー)を結成したのは1996年。この時期は分岐点で、97年にチェルフィッチュを立ち上げた、赤堀より2歳年下の岡田利規は、それとはまったく異なる、かつ、今日のスタンダードとも言える──海外マーケットも視野に入れ、助成金を積極的に活動資金に採り入れる──道を歩んでいる。現在、シャンプーは活動休止中。赤堀は、光石研、大森南朋、田中哲司、麻生久美子らを迎えて好評を得たプロデュース公演『同じ夢』の全国ツアーを3月に終え、監督2作目となる映画『葛城事件』(1作目の『その夜の侍』は12年に新藤兼人賞を受賞)の公開を6月に控えている。

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──この連載を始めた動機のひとつが、今、中堅に位置する人達が、雑な言い方をすると「プロデュース公演派」と「助成金派」に二分されていることがあります。その人達が演劇を始めた20年ぐらい前がちょうど端境期(はざかいき)で、そのあたりから一気に助成金が一般的になりましたが、赤堀さんはいわば“最後のプロデュース公演派”のおひとりに見えて。

「徳永さんが言っていることは何となくわかる気がします。国から金をもらって公演するのを当たり前に考えている人達には、俺はすごく抵抗があるので」

――どちらが良い悪いということではなくて、私が問題だと思うのは、観客も「助成金派」と「プロデュース公演派」の一方しか観ない人が増えている気がすることと、いわゆる商業演劇と呼ばれるプロデュース公演でも、優れた社会性を持った作品はあるし、多くの人を劇場に集めることは社会に演劇の存在感を示すひとつの有効な方法なのに、そこが軽んじられる空気があり、それは理解が進んでいないこともあると思ったからです。
 こういう構造的な話は、本来はプロデューサーに聞くべきなのかもしれませんが、日本の現状は、劇作家や演出家がそこも考える役割を背負っていますよね。赤堀さんはまさにそこで……七転八倒されていると思うんです。


「(似たキャリアの作・演出家の中では)俺が1番、クライシスを象徴しているっぽいですもんね。ただ、この数年、シアターコクーンという大きな劇場の仕事をするようになったから余計に顕著に見えるんでしょうけど、危機感なら10年ぐらい前からずっと感じていますよ。厳密に言えばその時々で内容は違っているのかもしれませんけど、長塚(圭史)くんや倉持(裕)くんと話す度に、そういう話題になっていました」

――10年前は、たとえばどんな危機感を?

「俺の場合で言うと、劇団を始めてちょうど10年経ったあたりですよね。演劇を何とか仕事にできるようになって、次の話、また次の話と追われて、それはそれで幸福ではあったけど、ずっとこの調子でいいのだろうかと最初に考え始めた頃だったと思います。具体的に言うと、上を見るとKERA(ケラリーノ・サンドロヴィッチ)さんや松尾(スズキ)さんがいて、あの人達はつくる作品もおもしろいし、本多劇場とか、当時の自分にとっては大きい場所にばんばんお客さんを集めている。そういう才能に羨望を感じて、でも自分には敵わないってことに絶望を感じた。なんとかしなくちゃと言いつつ、何をすればいいのかわからなくて、結局、目の前の仕事をただやり続けて、そのまま10年来ちゃっているんですけど」

――公演を打つのは100%自分達のお金、という考え方しかなかった上に、成功した例が少なかったから、先行世代で売れている人達は、今以上に特別な存在だったかもしれません。それと10年ぐらい前は、小劇場のいくつかの劇団から、人気のある劇作家、演出家、俳優を組み合わせて公演を打つ、いわば小劇場内プロデュース公演が乱立した時代でもありました。そういう企画専門の会社がいくつかあって、多くの人が振り回されました。

「プロデュース公演というのは結局、その時々の客寄せパンダ的な存在が必要なんですよね。小劇場であっても、基本は興行なので仕方ない部分は当然あるし。俺が偉そうに言うことじゃないけど」

──では、現在の危機感は?

「いやもう同じところでぐるぐる回っています。公演の規模が大きくなった分、問題の規模も大きくなって。
 たとえばシアターコクーンでやるということは、とても大仰になりますが、俺にしてみたら、サッカーに例えると日本代表みたいなものなんですよ。サッカーの手練れが集まって、勢いのある試合をやるべき場所。でも現実として、サッカーをやったことない人を選手として呼んでくることがある。“ボールを手で持ったらダメだよ”という説明から始めなくちゃいけない人を1ヵ月で“日本代表の試合だ”と思って観にくるお客さんの目にもちゃんと映るものにしなきゃいけない。そのことの不毛さというか、こっちが感じる心の痛さというか……。
 だから野田秀樹さんが、ワークショップを必ずやって、そこからキャストを決めていくのはすごく健全だと思うし、長塚くんもそういうふうに考えてつくろうとしているんじゃないかと思いますけど。
 もちろん自分も、お客さんにはそんなことはバレないように、最低限のところまでは引き上げようと最善は尽くすんですけど、果たしてそれがちゃんとできているかはわからない。だから毎回、満身創痍になって終わります。
 つまりプロデュース公演云々の問題って、少なくともここ10年とか15年とか、根本は何も変わってないですよね。むしろますます、テレビ的なわかりやすさ──いわゆる感動とか──でお客さんを呼ぶ傾向が強まっているし、観る人もそういうものを求めて来るようになっていると思います。だからそういうスパイラルは、この先もが続いていって、状況はもっと二極化していくんじゃないですか。
 だとしたら、つくり手でも観客でも“あっちには乗りたくない”と考える人がいて然るべきですよ。モノをつくる立場からしたら、自分達のやりたいことをちゃんと理解してくれるであろう人達の前でやるほうが、表現としては健全ですもん」

──実際、民間であれ公共であれ、プロデュース公演を経験して「もう2度とやらない」と表明する人、そこまで行かなくても、非常に慎重になるつくり手はいますね。

「でも俺はそこにも危険も感じるんです」

──どんなことですか?

「何年か前にある地方の劇場に呼ばれて、俺が作・演出で、地元の役者さん達をオーディションして集めて公演をしました。それは、市から出ている金で成り立っている企画で。劇場のスタッフさんも、集まってくる役者さんも、演劇のことは好きだし、いろいろ考えていることはわかったんですけど、突き詰めていくと必死さが感じられない。少なくとも俺は、生ぬるく感じてしまったんですよね。制作にしたって、もし大赤字になっても自分達に火の粉がふりかかってくるわけではない。役者さんも、人間とか人生を体現してくださいとなった時に出てくるものが薄いし、作品を多くの観客に伝えたい、浸透させたいという想いがあまりないように受け取れたんです。
 そこには2年携わって、その間、役者さんの責任感が少しでも生まれればと、制作の人に、交通費だけでもいいからギャランティを払うようにしてくださいとお願いしたりもしたんですけど、そんな一朝一夕にうまくいくもんじゃないでしょうからね。俺のやったことが正しいかどうかもわからないですし」

――公共の劇場とも関わる機会があったなら、劇場法の話もどこかで耳に入りましたよね? それはどう聞いて、どう考えたんでしょう?

「“こういう法律ができるんだ、演劇人にとってすごいことなんだ”と熱く教えてくれた人もいて、自分なりにその時はいろいろ考えていたんですけど……忘れちゃったなぁ(笑)。劇場法に限らず、助成金とか芸術監督とかいろんな言葉が聞こえてきて、セミナーに参加して勉強しようと思ったこともあったんですが、なぜか体が拒否して(笑)、結局、行きませんでした。偏見ですけど、ちょっと気色悪いイメージで」

──気色悪いイメージ?

「劇団を旗揚げした時から、自分としては、いわゆる市井の人々、一般の人たちに向かって、たとえば俺だったら千葉県船橋市の中学校の、演劇なんて何にも知らない同級生の想像力をどう喚起させるかということを1番の命題にしてやってきた気がするんです。でも劇場法とか助成金とかって、そっちのほうを閉ざしていく流れのように思えるんですよ。実際の事実関係じゃなくて、俺の観念的なこと、ド偏見なんでしょうけど、最初から演劇や芸術に興味を持っている、わかっている、ある一定の人たちに向かっていくような恐怖感、気色悪さを、感覚的に持ってしまったんですよね」

――じゃあ、シャンプーは助成金を一切もらわずにやっていたんですか?

「いや、ある時期からもらっていましたね(笑)」

──もらっていたんだ(笑)。

「劇団に関しては、やっぱりもらわないとどうにもならないんです。全ステージ満員に入ったとしても、劇団員のギャラなんかほとんど入ってこない状況で、そこをプラスにするためには、ザ・スズナリでもチケット代を6千円ぐらいにしないと成立しません。だから藁にもすがる思いで、それは。言っていることと完全に矛盾していますけど」

――先ほど赤堀さんが言った恐怖感、気色悪さですけど、ひもとくと、助成金を受けることで、そういう事実は生まれないとしても、公的機関と契約が結ばれるような、充分な自由がどこか損なわれるような感覚でしょうか?

「ああ、それもあるかもしれませんね。でも深く掘り下げも調べもしないで言っているだけですから、新橋のガード下でダメなサラリーマンが、出世した同僚の悪口を言っているレベルとまったく変わらないです」

──そうとは言い切れない大切なことのような気がします。それだけの強い拒否反応は、おそらく直感的なものですよね?

「すごく青臭い言い方しかできないんですけど……。俺らは五反田団やハイバイとは仲が良くて、以前は、青年団に入ればアゴラの稽古場を使えるとか、助成金の出し方とか、教えてもらったこともあるんです。前田(司郎)くんからも岩井(秀人)くんからもよく“なんで再演をしないんですか? そっちのほうが効率的じゃないですか”と言われたり。親切で言ってくれたのはわかるんですけど、当時はひどく腹が立ったんですよね。
 と言うのは、何のためにモノをつくっているんだよって。効率的とか合理的とか、そういうことでやっているんじゃないんだよって想いが自分にはある。……なんて偉そうに言いながら、毎回、脚本を書くのが遅くて、関係者に迷惑をかけていたんですけど。
 まぁ、そういうことがいろいろ重なって、アレルギーみたいになっているところはあります」

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――あえてお聞きしますけど、赤堀さんは、何のためにモノをつくっているんですか?

「もちろんお金も欲しいですけど、かっこいい言い方をすると、1番大事なのは衝動みたいなものじゃないですか。今というものを掻きむしって、爪の間に残ったもので何かつくりたいというような、そういう衝動みたいなものでしかつくれないと思うし、そうじゃないとやる意義があるのかって思うんですよ。劇団なんて、ほとんど一銭にもならないようなところでやっている以上は。
 基本的にそういう面倒臭いつくり方をしているから、再演にしても、かつて書いたものに今どういう折り合いをつけて、どういうモチベーションで世に発信すればいいのかとかいちいち突き詰めて考えて、納得しないとできないんです。合理的に、あれは評判がよかったからまたやりましょう、とは行けないんですよね。だから『その夜の侍』(07年。赤堀の代表作と言われることが多い)を再演してくださいと言われても、絶対にそんなことはしたくない。……つって2年後ぐらいにパルコ劇場とかでやってたら笑ってください(笑)」

――再演には再演の苦労があるし、岩井さんや前田さんがどういう意味で効率的と言ったのかはわかりませんが、赤堀さん自身、公演をして「今回は100点だ」ということはきっとなくて「ああすればよかった、こうすればよかった」と反省したり後悔したりですよね?

「そればっかりですよ」

――再演のメリットって、そこに手を伸ばしていくことがひとつあると思います。初演で思うようにできなくて悔しかったこと、気付いたことを、再演でクリアしたいというモチベーションはないですか?

「ないですね。だったらそれを課題にして新作をつくったほうがいい。つってまた同じミスを繰り返すんですけど(笑)」

――だからですかね、赤堀さんがよく、以前書いた作品のせりふや設定を新しい作品にそのまま持ってくるのは。

「それはあるかもね。じゃあ俺、再演してるのか。はい、再演してます」

――その現象を「部分再演」と名付けるとして、部分再演なら誰よりもしていますよね。

「そうですね、ハハハハ。矛盾がひどいですね、さっきから。ハハハハハ」

――あのー、いくら危機について聞くのが主旨とは言え、好感度を上げるインタビューになりそうもなくて、ごめんなさいね(笑)。

「まったくならないですね、いいですけど(笑)」

──まじめな話、赤堀さんの舞台を観てよく思う「これ、前にも観たシチュエーションだ、聞いたせりふだ」というのは、赤堀さん自身が、かつての作品に残した想いを成仏させられていなくて、でも新作で先に進もうとすることから起きる現象なのではないですか?

「その通りかもしれない。“成仏”ってのはいい言葉ですね。確かに成仏できていない子がいっぱいいるなぁとはよく思います」

――プロデュース公演の話に戻りますが、大きい劇場で劇団公演をし、商業公演でも活躍の場を広げていった先輩達を見て、羨望と絶望を感じたという言葉が先ほど出ましたが、それでもそっちが自分の進む道だと自覚的に選んだ瞬間はあったのでしょうか?

「誰かに師事したわけでもないし、もともと芸能人になれればいいやぐらいなところから始めた超ミーハーな出自なので、単純にすごろくみたいな考え方があったんだと思いますよ。パルコでやりたいな、コクーンでやりたいなという。で、実際に早くからやっている長塚くんに対してジェラシーを持ったりとか(笑)。
 それと結局、食っていくために来た仕事をやる、ということですよね。そっちを選ぶと決めた瞬間なんてなくて、たまたまやってきたことがすごろく的なものにハマったというか。……これはあくまでも自分の予想ですよ? 正直、なんでこれが俺のところに来たのかなと思う仕事はいくつもあって、考えるに、最初は俺よりももうちょっと上の人達のところに話が行ったんだけれども、断られ断られ、じゃあアイツでいいかってことになってここに来たのかなって。それがはっきりわかる時もあるし、昔、ある先輩演出家の方から“赤堀くん、そんな仕事はやらなくていいよ。ダメだよ、やっちゃ”と言われたことがあったんですけど、あなたはそれを断っても飯が食えるかもしれないけど、俺はそれをやってかないと飯が食えないんですよと思ったこともありました。
 それで自分自身に言い聞かせたのは、生活のために引き受けたとして、せっかくそういう(劇団公演ではできない会場やキャストで作品をつくる)機会があるなら、大きいところでやるというのはどういうことなのか、いわゆる芸能人と仕事をするのはどういうことなのか経験して、ちゃんと自分の血肉にしていこうと。そういう経験を積んでいって、いつかパルコやコクーンが呼んでくれないかなと思いがありながらやっていました。
 だからコクーンから依頼が来たときは、単純にすごくうれしかったですよ。いきなりコクーンかと思う人もいたかもしれないけど、自分の中では、ああ、やっと呼んでくれたという気持ちでした」

――階段状のステップではなくて、ぐるっと遠回りで歩いてコクーンにたどり着いた感じですね。

「そうね。いろいろ面倒臭いね、矛盾だらけだし……。『殺風景』(14年。シアターコクーン初進出作品)のパンフレットに徳永さんが書いてくれた寄稿文じゃないけど、俺みたいな演劇人は扱いづらいですね(笑)」

──師匠がいないのに新しい作風ではないからポジショニングしづらい、不器用と照れが混じってクオリティが安定しないから評価されづらい、というようなことを書きましたね。後半のインタビューでは、コクーンでの実際の演出について聞かせてください。今、大きな劇場を使いこなせる演出家が少ないというのは、日本の演劇界の問題なので。

──いいですよ、失敗談ならいくらでもありますから(笑)。

>>第1回 赤堀雅秋 【後編】はこちら


取材・文・写真:徳永京子

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