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【連載】ひとつだけ 藤原ちから編(2017/09)― Q『妖精の問題』

ひとつだけ

2017.09.8


あまたある作品の中から「この1ヶ月に観るべき・観たい作品を“ひとつだけ”選ぶなら」
…徳永京子と藤原ちからは何を選ぶ?

2017年09月 藤原ちからの“ひとつだけ” Q『妖精の問題』
2017/9/8[金]~9/12[火] 東京・こまばアゴラ劇場

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 先日、サッカー日本代表のスタメン表を見て、各選手の所属チームをざっと眺めたらほとんどが海外チームであることに今さらながらに驚いた。隔世の感がある……。中田英寿がイタリアのペルージャに入団した1998年当時はまだ「海外」は日本人選手にとって大きな壁だった。ところが今やヨーロッパの各リーグに日本人選手は散らばっており、重要な戦力として、また価値ある商品として見なされている。中田英寿の渡欧から20年近くたった今、選手たちにとってヨーロッパはもはや単なる憧れの地ではなく、そこで生活しプレーするための現実的な選択肢になったのである。

 こうした変化は、舞台芸術においても起こりつつある。もちろん海外公演の先例がそれ以前にもなかったわけではないが、「小劇場から世界へ」という今の流れの嚆矢となったのは、やはり2007年、チェルフィッチュの『三月の5日間』がベルギーのクンステン・フェスティバル・デザールに招聘されたことだろう。ヨーロッパのマーケットはそこで日本の演劇の「現在地」を知り、価値を見い出した。日本の演劇史におけるひとつの転換点だったとも言えるが、そこで重要だったのは、チェルフィッチュ・岡田利規が、ただ自分の作品が売れることに満足するのではなく、時としてエキゾチシズムにも染まりかねないその欧州マーケットの欲望を読み解きながら、自分(たち)に何ができるかを考え続けてきたことである。そして岡田のフロンティア精神を追いかけるようにして、日本の若いアーティストたちの意識もじわじわと外に開かれていった。わたしはそう考えている。

 それから10年。日本の演劇はどう変化したのだろうか?



 Qの主宰であり、作・演出である市原佐都子は、その非凡な才能が早くから注目されていたが、順風満帆なアーティスト人生を送ってきたわけではない。迷走しているように見えた時期もあった。事実上のデビュー作である『虫』で第11回AAF戯曲賞を受賞(2011年)するなどして彗星のごとく頭角を現したごく初期の頃にしても、その戯曲の言葉の才能は多くの人が認めるところだったとはいえ、果たしてこの人は演劇を続けていくのだろうか、戯曲ではなく小説を書くほうに進むのではないか、と危ぶむ声もチラホラとあった。

 けれどもここに来て、Qはひとつの「脱皮」を遂げつつある。第61回岸田國士戯曲賞の最終候補にもノミネートされた『 毛美子不毛話 』はその変化を強烈に印象づけた。この作品の内容については以前このサイトの 対談 でも語ったので、今ここでは韓国公演のエピソードを付け加えるだけに留めたい。

 Qの初の海外公演となった、韓国(ソウル・マージナル・シアター・フェスティバル)での『毛美子不毛話』の上演は、フェス側が用意したプロジェクターが初日の上演中に故障し、映像も韓国語字幕も投射できなくなるという深刻なトラブルに見舞われた。上演は途中で中断され、20分ほどの協議の結果、入場料を払い戻した上で字幕なしでコンティニューする、という決定が下された。俳優にとってはかなり厳しい環境である。だが出演者である武谷公雄と永山由里恵は魅力的なパフォーマンスを発揮し、ソウルの観客もまた最後まで集中力を舞台に向けることによってその熱演に応えた。その直後の、熱気あるアフタートークに参加したわたしにとっても、忘れがたい夜になった。トラブルを乗り越え、言葉や文化の違いを越えて、俳優と観客とが共に舞台を成立させようとする……そんな美しい光景に立ち会えることは、人生でそう何度もないだろう。

 市原佐都子はというと、とりうるかぎりの真摯な対応をしていたように思うが、トラブルに必要以上に動じることはなかった。万全の状態でお客さんに観てもらえなかったのは申し訳ないし悔しい、とは言っていたとわたしは記憶しているが、一方では、観客の熱気を感じることのできたその特殊な状況を、彼女もまた楽しんでいたかもしれない。少なくとも、自分たちのつくった作品がこの地の観客に届いた、という手応えを得ることはできただろう。

 そしてこのフェスティバルの芸術監督であり、劇団クリエイティブ・ヴァキの演出家でもあるイ・キョンソンは、わたしが尊敬するアーティストのひとりだが、『毛美子不毛話』やその背景にある市原の考え方に強い関心を持ち、超多忙なスケジュールにもかかわらず、遅い時間まで彼女たちと話し込んでいた。韓国人だから日本人だからとかいうような障壁はもはやなかったように思う。今後も彼らの友好関係は続いていくのではないだろうか。



 ところでこの「脱皮」は、ここ最近のQが少人数でのクリエーションを続けていることと無縁ではないように思う。もちろん2人芝居の『毛美子不毛話』でも、スタッフも合わせると最終的にはそれなりの大所帯にはなるのだが、作品の根幹となる部分については、演出家と2人の俳優とのあいだで密にやりとりしていく中で生まれたはずである。そうなると俳優たちは、ただ受動的な存在ではいられない。創作についての責任の一翼を担う仲間ということになる。

 わたしは「ひとりの演出家と多くの俳優」によって成り立つ舞台を否定するわけではないのだが、それは演劇の一形態にすぎない、という事実は確認しておきたい。むしろ出演者が少ない作品のほうが、渡航費や滞在費が安く済むという理由によって、海外と行き来するためのモビリティ(機動力、移動可能性)を獲得しやすいというのが2017年現在のリアリティである。アーティストも人間であるのだから、「誰と、どこで、どう生きていくか?」を考えざるをえないわけだが、海外をフィールドにするのは今やかなり現実的な選択肢のひとつと言えるだろう。ならば少人数編成によってモビリティを高め、海外との行き来を活発化させるのは、極めて有効な一手になる。

 庭劇団ペニノのように大掛かりなセットと共に招聘される稀有な例もあるが、それはあくまでも作・演出のタニノクロウの鬼才ぶりがその舞台美術=世界観と共に魅力的なものとして認知された、極めて特異な例外だと思う。また冒頭でも触れた岡田利規は、ドイツ・ミュンヘンの公共劇場から数年にわたって現地の俳優たちとクリエーションする計画を託されている。それは演出家としての経験と力量を認められたからに違いないが、その信頼感は、日本の大劇場で(芸能人を含めた)多くの俳優たちを演出することによって培われたのではなく、モビリティの高い、みずからの劇団チェルフィッチュの海外公演を重ねていく中でこそ得られたものであったはずだ。

 Qに話を戻すと、市原佐都子はおそらくそういったことを戦略的にあざとく考えているわけではない。単純に、自分にとってベストの創作環境を探っていくうちに、たまたま今は少人数でクリエーションをする時期に差し掛かっているにすぎないだろう(たぶん)。今後、大劇場での演出を志向する方向に行くのか、それとも海外へのモビリティを高める方向に行くのか、あるいはまったく別の第三の道を見つけるのかはわからないが、ともあれ今回の新作『妖精の問題』もまた、竹中香子というたったひとりの俳優での上演となる。市原と竹中は、この夏、沖縄に滞在して稽古をしたらしい。それもやはり、少人数だからこそ可能なモビリティの為せる技ではないだろうか。

 竹中香子は、市原佐都子の桜美林大学での卒業制作『虫虫Q』に出演していた。大学卒業後、彼女は当時フランス語もほとんどできないにもかかわらず単身フランスに渡り、パリのコンセルヴァトワールを経てモンペリエ国立高等演劇学校の過程を修了し(フランスの国立高等演劇学校を卒業した日本人は彼女が初めてらしい)、引き続きあちらでも舞台俳優を続けている。簡単には想像できないようなチャレンジである。日本から遠く離れた異国にひとりで乗り込み、母語ではない言語で(しかも言葉を武器とする)俳優として身を立てるということ。群を抜いたタフネスがなければできないことだが、彼女だって、最初から強かったわけでは当然ないだろう。

 つまり、ここ──『妖精の問題』の上演される今──が2017年の演劇の「現在地」なのである。

 Qはきっとこれからも海外公演を重ねていくだろうし、その戯曲やステイトメントもまた各地の言葉へと翻訳されていくに違いない。ただし、この 韓国語のページ のように、Qというその劇団名だけは、翻訳不可能な記号として存在し続けることになりそうだ……。

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Q『毛美子不毛話』が上演されたソウル・テハンノの劇場入口とパンフレット。2017年6月28日、筆者撮影。



≫ Q『妖精の問題』 公演情報は コチラ

Q

市原佐都子が劇作・演出を担うソロユニット。2011年より始動。モノローグを基調に生きることの不条理さ・混迷する世界で輝く人間の生命力を女性の視点で語る。俳優の身体に重きを置く演出ながら、言葉による表現・リズム感を重視した作風が特徴。人間の行動を動物を観察するかのような目線で捉え再構築した作品からは、命の力強さ躍動感を直接浴び るように感じることができる。2011年、戯曲『虫』で第11回AAF戯曲賞受賞。2017年、『毛美子不毛話』が第61回岸田國士戯曲賞最終候補。2020年、『バッコスの信女 – ホルスタインの雌』で第64回岸田國士戯曲賞受賞。 ★公式サイトはこちら★