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コドモ発射プロジェクト『なむはむだはむ』前野健太インタビュー

インタビュー

2017.03.10


*このインタビューは城崎アートセンター滞在中の1月20日に行われました。

◎インタビューの前に◎
おそらく岩井秀人と森山未來は本能的にわかっていたのだと思う。いわゆる常識では整理できないものをスタートに置いたこの作品が、スムーズに言語化できるような場所に着地してはいけないこと。そのためには、自分たちと違うタイプの強力な感覚の持ち主がもうひとり必要なこと。そして森山が直感で誘った前野は、本人には自覚がないまま、間違いなくプロジェクトの起爆剤としてここにいる。


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©引地信彦


── 稽古の様子を拝見して、とても驚きました。映画で俳優の仕事を経験済みとは言え、伸び伸びと演技していらして。他のおふたりが“舞台に自由な場を築く”達人ですけど、まったく遜色ないと思いました。初めからあんなふうにいられたんですか?

前野 うーん……、初めの方がもっと伸び伸びできていたんですよ。城崎に来て、1番最初にやったのが『ガイコツ』で、全員持ち場を決めないで始めたんです。それで、僕が体担当になったり、読む担当になったりして、その時が最高に伸び伸びできていたと思いますね。でもだんだん、そうできなくなってきたなとは感じていますね。

── なぜでしょう? 欲が出てきた?

前野 やっぱどこか、ちゃんとやろうとしちゃうと言うか。子どもが発射した、何だかわからないけど凄いものがあるのに、それよりも自分が持っているものの中から出そうとして、それだとおもしろくなくて、縮こまってしまう。

── ちゃんとやることが必ずしもプラスにならないと言うか、その加減が難しい現場ですよね。

前野 そうなんです。特に今日は、筋肉が縮こまりきった状態だったかな。柔軟な時につくったダンスとかフレーズはいくつかあって、そこでは伸び伸び感を出せるんですけど、気持ち的には相当、固まり状態ですね、今。

── それは、全体の方向性が見えてきた、構造が出来つつあるという段階ならではの苦しみではないですか?

前野 あー、それよりも、歌えないもどかしさみたいなものを、どこかで感じているんだと思います、たぶん。いや、歌えないのは別にいいんです。けどこう何か、バーン!と試せていない。歌も含めて、ぶつかることが試せていないのがもどかしいんじゃないですかね。まだ(稽古は)1ヵ月あるんで、そんなに焦ってはいないですけど、けどでも……。

── モヤッとしている?

前野 モヤッとしている。さっきもメシの時に未來さんが「マエケンの歌、バーン!と行くヤツ、城崎では見れんのかなあ」と言ってましたけど、その気持ちはよくわかる。

── でも、バーン!と行くこと=歌、ではないですよね?

前野 そうなんです。歌は、いつでも出せる状態ではあるんです。けど、歌って印象が強過ぎる。今回、3人でつくることにみんな一所懸命になっているんですよ。最初は、子どもから出てきた台本に対して「自分はこうやってみるー!」だったのが、お互いを見る、相手から何が出てくるかちょっと待つような練習も重ねてきて、遠慮みたいなものもたぶんあるだろうし、相手を見る楽しさと言うか、新しいことがまた出てくるかな、まだやれるんじゃないかなという期待もあって。それでまだ上手いこと、自分の歌バーン!みたいな段階に行けていないんですよね。

── 強く歌おうと思えば歌えてしまうけれど、歌に至るまでの気持ちの回路が、今回は自分だけではなくて、3人一緒のものでないと本当のバーン!にならない?

前野 ですね。だって、子どもから発射された言葉がそのまま詩、歌なんですよ。

── メロディがついていない状態で、生まれた瞬間から歌だった。

前野 そう、読んだらもう、そこに歌があるから。それにメロディをつけたら強過ぎると言うか。「ようこそ、おじさんの世界へ」っていう(子どもが書いた)フレーズ、僕、すごく好きで。一応、勝手に曲をつくったんですけど、それもいい歌になっちゃうんです。なり過ぎちゃうから、だったらそういうのは、ひとりでやる時でいいじゃんとも考えたり。

── とすると、今の問題は共同作業の難しさでしょうか?

前野 難しさと言うか、やっぱり未來さんも岩井さんもすごいなあと思って。舞台での見せ方みたいなものが、まあすごい。そこ、僕は何も無いので。

── 前野さんはさまざまなミュージシャンの方と同じステージに立たれていますよね。コドモ発射プロジェクトで岩井さん、森山さんと舞台に立つのは、それとはまた違う感じなんですか?

前野 違いますね。それは……何だろうなあ、音楽は論理的なところがしっかりある。例えば、和音、コードとか。今回、(子どもの言葉から生まれる)詩情みたいなものがコードになるのかなと思っていたんですけど、そういうことでもなかった。舞台には舞台のコードがあって、ふたりはちょっと通じ合っているんですよ。そこは僕がもうちょっと追いついていかなきゃいけなくて、それができたら、自分も観ている人ももっとおもしろいと思うんですけど。

── もちろん音楽も身体的な感覚が大事なんでしょうけど、舞台はさらにそこに頼る部分が大きいかもしれません。

前野 だからですかね、ギターを弾こうとして「まだ楽器じゃないな」と思った時があったんです。まだ歌になっていないものを扱うから、楽器の音じゃなくて自分の音、例えばペットボトルを叩いてポコポコとか、身体を叩いてパチンとか、そういう音のほうが合っているんじゃないか、そういう音でもっと反応していけたらいいなと思いました。楽器って、その楽器が持っている音がはっきりあるじゃないですか。それを当てはめるのは簡単なんですけど、今回は違う。もっと俺の中から出て来る音があって、それが鳴ったら、もっとおもしろくなる。その究極はきっと、声なんですけど。

── その欲求って、音楽を経由していますけど、俳優さんっぽいと思います。演技の定義や自分の役を勝手に固めず、ゼロから探そうとしている俳優さんが言っている言葉に聞こえます。

前野 んー、じゃあ、もしかしたらそうなのかなあ。

── 映画では、こんなふうに悩まれたりはしなかったんですか?

前野 あんまりなかったです。ダダダダダーッと始まって、気付いたら縛られて叩かれて、だったので(笑)。1週間で撮影全部終わってましたもん。こっちは城崎で2週間でしょ? で、東京に戻ってまた稽古できるわけで、考えられないですよ。贅沢な分、悩めるんでしょうね。

── 悩んでいるのは前野さんだけでなく、岩井さんも森山さんも他のスタッフも同じように見えましたよ。

前野 何か、気が合うんですよね。良くしてくれるんです、皆さん、僕に。気を遣ってくれて、髪を切りに行っただけでもワーワー言ってくださるんで、うれしいと言うかありがたいと言うか。バンドとか音楽をやってる人たちは、そんないちいち反応しないですよ。舞台の人たちは物腰が柔らかい。育ちがいいのかな、わからないですけど(笑)。

── 物腰が柔らかくない人もたくさんいますよ。それはさておき、段取りやせりふを覚えるのにまったく苦労されていないように見えますが。

前野 歌詞を覚える感覚でやれば、割と苦じゃないです。そもそも何に対しても準備したい方なんです。意外に思われるかもしれませんけど、即興はそんなに得意じゃない、向いていない。かなり準備をしないとアドリブはできませんし。自分のライブも、とにかく準備して、準備して、準備して。ひとりで2時間のステージをやるとして、前日にちょこっとリハして、では絶対に無理なんです。前日も前々日もその前もスタジオに入ってみっちり準備します。

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©引地信彦

── その準備は、さっきおっしゃった、今やっている贅沢な作業とは違う?

前野 全然違います。今は、新しい感情、感じ方、身体の反応を探して、それを組み合わせている。少し前は「こういうせりふがあります、こう覚えましょう」という作業もありましたけど、もうほとんどやっていないですから。今はやっぱり、バーン!というものが出せるか、壊せるかという段階ですよね。それは明日(成果発表会)に向けてなんですけど。やっぱあれかな、このあともう少し稽古したほうがいいかな……。*この時すでに20時過ぎ

── 最初に戻りましたね(笑)。前野さんのそのモヤモヤは、おぼろげにでも最終形と言うか理想がみたいなものがイメージされていて、まだそこに届かないモヤモヤなのでしょうか? それとも、どこに行き着けばいいのか皆目わからないモヤモヤなのでしょうか?

前野 子どもから出て来た言葉、あそこにあるポエジーに対して、もうちょっと何かできるんじゃないかと言うか……。
 例えば「ようこそ、おじさんの世界へ」だったら、この前ちょっと飲みながら3人で話したんですけど、俺は、あの言葉はめちゃくちゃ強いから余計なことはしない方がいいという考えだったんですけど、ふたりにはアイデアがあって試したんです。俺は酔っぱらって(ふたりが試したことに)「あれはもっと、よくわからないところから聞こえてくるような言葉なんだ」みたいなことを言って、それに対して未來さんが「そこまで言うんだったらマエケンが歌をつくった方が早いんじゃない?」的なことを言ったんですね。何かね、そこの、コドモが発射した詩情みたいなものが、バーン!と出たらいいなと思っています。
 1番最初に(子どもの言葉に出合って)感じた驚きが、形はわからないけど、バーン!と出る。俺が歌わなくても、それが出ればいいな、と思っていますね。ただ、歌った方が確実に早いなっていうのはあるので、そのもどかしさ、ですかね。その詩情みたいな、ポエジーを表現するために、新しいこと、新しい組み合わせをやって、それで出るんだったら最高ですけどね。
 それは、僕がこれから歌っていく上でもすごく大切なことになる。幅が出るか味が出るかわかりませんけど、そういうことも出来るんだってわかれば最高ですよね。今の自分には訓練してきた歌がもうあるので、近道はすぐ見つかるし、ある程度のものは出せる。だけどそこが今回出てくれれば、俺はほとんど出なくてもいいなって。例えば上演時間が60分あって、全部出なくても全然いい。

── さっき森山さんにお話をうかがったら、岩井さんと前野さんが言葉に敏感だから、自分は敢えてそっちには行かないとおっしゃっていたんですが、前野さんは前野さんで、言葉でも音楽でもないところで──詩情という言葉を使ってらっしゃいましたけど──、今回でしか生まれない表現を探していらっしゃるんですね。表現と言うと最終的なアウトプットに聞こえますけど、過程を全部ひっくるめてのアウトプットにしたい。

前野 うんうんうん。それが出るんだったら歌わなくてもいい。何らかの形になって、それが巨大化して、舞台の上に出るんだったら、自分が引くことも全然いい。

── それ、めちゃくちゃ難しい挑戦だと思います。

前野 最初にやったときは、子どもが書いた文章に刺激されて、すごいパワーが出てたんですよ。全員が「うわ、これめちゃくちゃおもしろい!」と盛り上がって。今ちょっと全員が引き算していると言うか、お互いに牽制している部分も出てきて、ちょっと硬くなっているんですけど、あの時の柔らかさみたいなものを取り戻せたら、夢じゃないと思うんですよね、そのすごいことも。で、それを練習した上で常に出せるようになったら最高だなと思います。たまたま出るんじゃなくて、出せるテクニックが出来たらすごいことでしょうね。

── それまた高い理想ですね。でもそこまでの道筋が描けていることが、今の段階ではとても大事だと思います。

前野 そうかもしれないです。僕は音楽のライブの醍醐味しかまだ知らないんで、本当のところはわかりませんけど、それができたら、舞台ならではの快感みたいなものが得られるかもしれないな、なんて。もしかしたら舞台の醍醐味って、ピークに行くことがじゃないかもしれないので、全然、偉そうなことは言えませんけど。

── このあと東京の稽古を挟んで本番がどうなるか、楽しみにしています。

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城崎アートセンターにて。撮影:徳永京子

◎インタビューの後で◎
この取材の翌日、城崎町民の人を中心に、約500人の前で『なむはむだはむ』の成果発表が行われた。その終了後、誰よりも笑顔で饒舌だったのは前野だった。ある媒体のコメント取りをたまたま隣で聞くことができたのだが、まだ汗が引かない物理的なテンションだけでなく、悩みがすべて解決した人の軽やかさで「ここでの滞在は恋人以上ですよね、朝から晩までずっと一緒で」と楽しそうに話していた。この取材後の深夜までの稽古と、実際に観客を前にしたパフォーマンスで、明らかに何かを掴んだようだった。その何かはきっと、ここで語った高い理想の実現だったのだと思う。「舞台の醍醐味はピークに行くことじゃないかもしれない」と重要な指摘を初舞台前にした人なら、それぐらいの奇跡は起こせるはずだ。

【取材・文】徳永京子

ハイバイ

2003年に主宰の岩井秀人を中心に結成。相次いで向田邦子賞と 岸田國士戯曲賞を受けた岩井が描く、ありえそうでありえないそんな世界を、永井若葉・川面千晶・鄭 亜美・長友郁真といった外部公演でも評価の高いクセ者たちのおかげで「ありそうだぞ、いやこれが世界そのものだ」って思わせちゃうのがハイバイ。 代表作は 「ヒッキー・カンクーントルネード」「ヒッキー・ソトニデテミターノ」「て」「夫婦」「ある女」「おとこたち」。★公式サイトはこちら★