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ロロ『BGM』再演 三浦直之×曽我部恵一インタビュー

インタビュー

2023.05.4


「自分じゃない言葉が入ってくるのが、今、僕にとってすごく大きい。実際、曽我部さんの言葉はめちゃめちゃすごいです」
                            ── 三浦直之

「(初演時から)今のほうが悪くなったとかネガティブな感覚じゃなくて、意識が高まったんだと思います」
                            ── 曽我部恵一




2009年の活動開始以来、劇団ロロで三浦直之が取り描いてきたのは、ボーイ・ミーツ・ガール、家族、旅、学校と複数あるけれど、改めて振り返るとそれらには「もしあの時、◯◯だったら、△△ではなかったかもしれない」という、想いと現実のズレが共通しているように思う。かと言ってパラレルワールドを願うセカイ系ではなく、登場人物達は、幸運であれ不運であれ、△△を受け入れる。2017年、三浦の故郷が被災地となった東日本大震災を執筆のスタートに創作された『BGM』も間違いなくその系譜にある。友人の結婚式のために車で北上するふたりの男性を軸に、彼らと出会う人、思い出す出来事、立ち寄る場所、その土地の歴史はそれぞれ、思い通りにならなかったさまざまを、笑い話にしたり愚痴ったり歌にしたりして前に進む。9人中6人が新キャストとなった7年ぶりの再演を前に、作・演出の三浦と、音楽と出演を引き受けた曽我部恵一に話を聞いた。


── 初演で音楽と出演を引き受けた江本(祐介)さんに代わって曽我部さんが参加されると聞いて、かなり驚きました。再演で俳優が替わるのは珍しくありませんが、別の人がつけた音楽を新たにつくり直す、そのオファーを曽我部さんにするのかと。

曽我部 いや、むしろ光栄だと思いました。僕がロロの舞台を初めて観たのがこの作品で、すごい感銘を受けたんです。その音楽を担当していたのが江本くんで、彼は友達でもあり、大好きなミュージシャンでもある。『BGM』の音楽もすごく素敵だなと思っていたので、そのパートを引き受けるのはめちゃくちゃハードルが高いですけど、やってみたいなと思いました。

──三浦さん、躊躇はなかったですか?

三浦 ありました。この作品はつくっていくプロセスがすごく大変で、僕が書いたというより、出演してくれた人とか音楽とか、そういうもので出来上がったものなので。だから初演と座組を変えてやっていいものかどうかはかなり悩みました。でも、変わっていく、変えていくことをむしろ肯定的に捉えてみようかと思い、出演者も音楽もゼロから考えてみようと決めました。そこから曽我部さんにお願いすることにしたということですね。

── 変わること、変えることを肯定しようと思った理由は?

三浦 今が新しい作品を書くのが難しいかもという時期で、自分の過去の作品の中で何がやりたいか考えた時に、『BGM』だと思ったのが正直なところです。

曽我部 それってスランプ的な意味合いでの書けない?

三浦 そうです。

曽我部 そういうことって今までもあったんですか?

三浦 はい。というか、定期的にあります。曽我部さんに聞きたかったんですけど、僕、20代の頃に青春とかボーイミーツガールの物語を書いてきて、良くも悪くも「幼い」という言葉をよく言われていたんですね。その幼さと年齢が合わなくなってきて以来、定期的に自分の書く言葉を気持ち悪く感じるんです。それが今で「またこの時期がやって来ました」みたいな。曽我部さんにはそういうサイクルはないですか?



曽我部 気持ち的にスランプってことはあるんですけど、書いている言葉やメロディと自分の乖離というのは、そこまで劇的なタイミングでは訪れないですね。そういうものと自分はわりと一緒に成長していて、10年前を振り返って「若っ!」ってことはありますけど、自分の書いているものに対して「気持ち悪いな」と感じることはそんなにないです。三浦さんのその感覚は、さなぎが成虫になる過程のようなものなのかな。それと、自分に対して正直なんですね。

三浦 もうちょっと聞いてもいいですか? 7年前に書いたものと今の自分とで距離感があって、それをどうするかが僕としては悩みどころで。でもミュージシャンの方って、10年前とかもっと前につくった曲をライブで繰り返し歌うじゃないですか。つくった時と今の気持ちの差はどうしているんですか?

曽我部 それね、あるんですよ。20年ぐらい前につくったのを「この曲やりたいな」って気まぐれに引っ張り出す。それをみんなで合わせると、最初はすごく恥ずかしい、今なら絶対こんな表現や展開はしないと思って、当時の自分が透けて見えるというか、稚拙に感じてしまって。じゃあそれをどうするかっていうと「とにかくやってみよう」ですかね。みんなで音を出していくと、そのギャップがちょっとずつ埋まっていって、今の歌い方になっていく。アレンジとか言葉を変えちゃう人も(ミュージシャンの)中にはいるんですけど、僕は、昔のほうに今の自分を寄せるでも、昔の曲を今に無理やり引っ張り寄せるでもなく、やっていくうちにわりといい感じに間が縮まっていくので、それを信じます。『BGM』の話に戻ると、さっき、初演を観て感銘を受けたと言いましたけど、その時は「これは今の自分に、今の時代にど真ん中の作品だな」と思ったんです。で、今回、音楽をつくり直すために映像で見返して、やっぱり僕も、時代との距離感、今の自分との違いを感じて、それを縮めていく作業をするんだなと理解しました。たぶん三浦さんも、振り返ったときに、今の自分とちょっと離れている部分があったんでしょうね。

三浦 一番感じたのは、言葉が今の自分からすると青く感じられるものが多いということ。良く言えば、愛についててらいが無いと感じました。もうひとつ、言葉の量が違うんです。最近はどんどんせりふが短くなっているので「この頃は書きたいことがいっぱいあったんだな」と。でもそこには当時の自分の切実さを思い出すので、それを否定するんじゃなく、そこにちゃんと敬意をもってつくりたいなと思っています。

曽我部 再演と聞いた時、もっと(戯曲を)書き直すのかなと思っていたんですけど、ほぼないですよね。

三浦 はい、まだ変わるかもしれないですけど、現時点では一ヵ所だけです。でもやっぱり再演は難しいですね。僕が「ああ、今、演劇が生まれたな」とワクワクする瞬間って、言葉、体、空間、俳優、音とかの演劇の要素、そのどれかが主導権をもって引っ張っていくんじゃなくて、全部が相互に作用していくというか。今ここに空間が生まれて、そこに俳優が立った、そこに言葉が生まれて、その言葉が作用して音が生まれて、その音に引きずられて空間が変わっていく──。そうやってお互いがずーっと影響を与え続けていって全部が動いていくような関係になるのが、すごくワクワクするんですね。でも再演はテキストが最初にあるから、その存在に全部が引っ張られがちで、それをどう崩せるか、どうやって相互の関係性をつくっていくかを考えています。さっき曽我部さんが言っていた今と過去の距離感のちょうど良いところに着地させるため、試行錯誤している感じです。
あともうひとつ曽我部さんに聞いていいですか? 今僕が言った、演劇をやる時に言葉とか体とか空間が相互に作用するみたいな話で、ミュージシャンの方ってよく質問で「歌詞が先ですか、曲が先ですか」と聞かれると思うんですけど、歌詞とメロディって完全に分離しているわけじゃないだろうし、声や楽器もあるし、音楽が生まれる時って(それらの要素は)どういうふうに関係しあっているんだろうといつも考えます。

曽我部 音楽もね、本当に相互作用なんです。「この言葉を歌にしたら良いんじゃないかな」というアイディアがあったとして、そこに対する新しいメロディ、あるいは自分の記憶からよみがえってきたメロディだったり、いろんなものから歌の容れ物が出来上がっていくんだけど、そこに自分をどう入れるかなんですよ。そこにスポッと自分が入れた時に歌が生まれるって感じで。その曲をどう歌いたいか──大きい声で歌いたいのか、低い呟くような声で歌いたいのか──もありますし、その容器は、いろんなタイミングとか偶然とか縁、そういうものが上手くつながって出来るんですよね。だから言葉が先、メロディが先というものでもないし、いろんなものが揃っても、そこに入る自分がなければ歌は生まれないんです。結局、自分が歌を求める心がないと出来ないんです。

三浦 めっちゃおもしろい話ですね! すごくわかる気がするし、演劇との違いも感じます。
曽我部 なかなか大変なんですよね(笑)。歌をつくろうと思っても型しか出来ない時はいっぱいある。自分がそれを歌う準備が出来ていないってことだと思うんですけど。でもそれを誰か、例えばアイドルの人とかがスッと上手く歌ってくれることもある。だから、曲が良いとか、この歌詞がすごいとかっていうことでもないんですよ。

── そういう感覚を持つ方が、音楽兼出演というポジションに入るのは、三浦さんにとっても作品を見直す大きな助けになるのでは?

三浦 初演は僕が歌詞を書いて江本さんに音楽をつけてもらったんですけど、今回は歌詞も曽我部さんにお願いしました。自分じゃない言葉が入ってくるというのが、今、僕にとってすごく大きいですね。実際、曽我部さんの言葉はめちゃめちゃすごいです。この作品の中にあるモチーフをちゃんと掴んでくれた上で、僕からは絶対に出てこない言葉があるから。それをしっかり捕まえて、大事に大事に育てられたらって思っています。



── 曽我部さんは『はなればなれたち』(2019年)でもロロに出演されましたが、演技はお嫌いではない?

曽我部 前回、すごく楽しかったんです、みんなでつくりあげていく感じが。普段、バンドをやっている時は、個人プレーじゃないですけど、(担当するパートは)メンバーに任せたって感じで、それがどうなっていくかはもうその人にしか権限がなくて、うちは3人なんですけど、3人がそれぞれいるステージなんですよね。もちろん「この人がこうやっているから自分が存在してる」というのはあるんですけど、演劇は最初から最後まで共同作業という感じで。

三浦 今回も積極的にワークショップとかにも参加してくれて、曽我部さんの取り組み方、本当に尊敬してます。

曽我部 いえいえ(笑)、経験出来ないことばかりなので楽しいです。例えばストレッチの教室とかダンスのワークショップとかもすごく勉強になるというか、自分の音楽のほうにもフィードバック出来る。ハラスメントの講義もあったんですけど、受けて良かった。ああいうことは音楽の現場ではまだ全然なくて、それを知ってまた音楽の現場に戻ると、自由が増えるというか、気付くことがあるんです。

三浦 そう言ってもらえるとありがたいです。せりふに関しても、曽我部さんは何か意図があるのかもしれないですけど、そういうものを感じないというか、ひと言ひと言、その場で生まれてくる感じが良いんですよね。シーンをどう組み立てるかっていうより、その言葉が今ここで初めて出てきたように言えるって、すごく素敵だなって思います。
曽我部 難しいですよ、お芝居は。歌の言葉の出し方はいつも自分で考えているんですけど、俳優さん達って、どういうキャラクターとしてお客さんに伝えたいかっていうのがたぶんあると思うし、そのキャラクターが物語の中でどういう存在なんだって考えてやっていらっしゃるじゃないですか。僕はそこまで出来なくて、この言葉を言う時に、じゃあどんな言い方が普通なんだろうとか、そこに自分は真摯に向き合えるんだろうかというようなことしか考えられないんですよね。稽古の最初の頃、台本を3回みんなで読んで「どんな違いをつけましたか?」と聞かれたじゃないですか。あれも僕はあんまり差がつけれなかった。ただ、そこを僕が目指しても間に合わないので(笑)、とにかく「この言葉を誠実に言えるか?」ということを一生懸命やろうと思ってるんですけど。

── 曲は初演と同じシーンで歌われるんですか?

曽我部 箇所は同じですけど、たぶんまったく質感が変わっちゃったなというのはあって。「変えなきゃ」という意識は全然なかったんですけど、自然と変わってしまって、それで三浦さんにもOKをいただけたのでいいのかなと思っています。初演は無邪気な、さっき三浦さんが「愛に対しててらいが無かった」と言ってたけど、そういうところは音楽にもあって、それに感銘を受けた僕も、その時はそうだったんでしょうね。でも今は「こっちに向かってもあっちに向かってもいろんな問題があるな。でも、どこに行ったとしても、いろんなもの抱えながらでも、前に進まなきゃいけないよな」という自分の現状みたいなものがあって、それはどうしても出さざるを得ないというか。最初は、初演の世界観──みんな無邪気で季節は夏で仲良く旅をして──、みたいなところで何か出来ないかと四苦八苦したんですけど、それだと前の江本くんと三浦さんとの共作を超えられないし、今の自分が感じている旅だったり夏だったり、みんなで踊ることだったりを書かないとだなと思ってつくりました。



── 曽我部さんが感じられた「無邪気な夏」的な印象と、今この時代との違いについて、もう少し詳しく話していただけますか?

曽我部 初演を(映像で)見直して、みんな信じているものにまっすぐ向かっていると感じて、「あれ? こんなだったっけな?」と思ったんです。ということは、今の自分はそこから遠いところに──戻ったのか進んだのか知らないけど──いるんだと気が付いて。ただ、今のほうが悪くなったとかネガティブな感覚じゃなくて、意識が高まったんだと思います。この時は震災から5、6年ということもあって、いろんなことにピュアに向かえた。今は、ピュアに向かっていって見えなかった問題点を、もっと勉強して見えるようにしてきた人達がいるんじゃないかと。今回、稽古に入る時に三浦さんが“『BGM』の課題図書”みたいな感じで本を選んでくれたんですね。その中の一冊、LGBTQの本を読んだら、やっぱり初演の頃には、こういう感覚は無かったなと感じました。そういうことを意識せざるを得ない時代になったとも言えますけど、数年でこんなにも変わったんだな、進化したんだなって思いました。

── さっきお話に出た、一ヵ所だけ変えたというのはどこか教えていただけますか?

三浦 泡之介とBBQの関係性です。「ふたりは付き合ってるの?」と聞かれた時に、初演では「恋愛感情かどうかとは違うレベルで好きなんだ、人間として愛してるんだ」みたいなトーンのせりふだったんですけど、再演するにあたって、震災やLGBTQの本をいろいろ読んだんですね。台本は基本的に手を入れないと決めていましたけど、差別を助長するような表現があったら直そうと読み直していて、「人間として愛してる」という表現は、ゲイの当事者の人達を透明化するというか、ゲイの人達の歴史の中で、ちゃんとカミングアウトして権利を勝ち取って来た歴史を無下にしていると思ったので、ふたりは同性愛者であるとわかるように変更しました。

── ストーリーには大きく関わらないかもしれませんが、ロロという劇団の創作の姿勢が初演時と変わったことを示す大きな変更ですね。それは曽我部さんがおっしゃった進化のひとつと感じます。ゴールデンウィークに横浜まで足を伸ばして観てほしいですね。

三浦 はい、旅行する気分で観に来てほしいです。



取材・文:徳永京子

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ロロ

2009年より東京を拠点に活動する演劇集団。 漫画・アニメ・小説・音楽・映画などジャンルを越えたカルチャーをパッチワーク のように紡ぎ合わせ、様々な「出会い」の瞬間を物語化しながら演劇の枠を拡張した活動を展開。三浦直之・初監督映画『ダンス ナンバー 時をかける少⼥』(製作:ロロ)がMOOSIC LAB 2013 準グランプリ他3冠を受賞。あうるすぽっとシェイクスピアフェス ティバル2014『ロミオとジュリエットのこどもたち』(作・演出:三浦直之)ではロロメンバー出演をはじめ、CM、ドラマ、映画など各⽅面でも活躍中。代表作は『ロミオと ジュリエットのこどもたち』『LOVE02』『あなたがいなかった頃の物語と、いなくなってからの物語』など。『ハンサムな大悟』で第60回岸⽥國⼠戯曲賞最終候補作品ノミネート。★公式サイトはこちら★ ★いつ高シリーズ特集ページはこちら★