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KAAT神奈川芸術劇場プロデュース『ビビを見た!』松井周 インタビュー

インタビュー

2019.06.6




今はみんな感覚に対して鈍感になっている。
視覚的なことを1回、横に置いておいて、
他の知覚でも演劇を感じることができるはずなんです。


今の日本に「作風が変態」という認識が好意的に定着している演劇作家がいることは、反語のようになるが、とても健全なことだと思う。だから、松井周はひとつの希望であり、その稀有なスタンスが成立するのは、松井が奇をてらっているのではなく、ただ自分の内側を掘り進め、そこで見つけたものを、多くの人と共有できると信じているからだろう。今回の発掘物はとりわけ深いところから掘り出された。唯一無二の作品で熱狂的な支持を得ながらも活動期間は短く、伝説の存在だった大海赫(おおうみ・あかし)の絵本を舞台化するのだ。松井は、大海の『メキメキえんぴつ』という絵本を小学生の時に読んで、決定的な影響を受けたという。岡山天音、石橋静河という注目のキャストを主演に迎え、演劇を“観る”ことを根本から問う作品を目指す。



── 以前から取材の中で、松井さんが『メキメキえんぴつ』について話すのを伺っていたので、同じ大海さんの『ビビを見た!』を舞台化されると知った時は、とてもうれしくなりました。企画の経緯を教えてください。

松井 昨年、『グッド・デス・バイブレーション考』をやった時もそうだったんですけど、KAATで作品をつくる時は、まず白井(晃)さんと話をするんです。深沢七郎さんの『楢山節考』をベースに『グッド・デス』をつくったのも、埋もれている文学作品を掘り起こして題材にしていきたいという意見が一致したからで、今回、白井さんから出た提案の中に、カレル・チャペックの『山椒魚戦争』がありました。そこから、日本の戦争ものに興味が湧いたんです。国会図書館に通って戦時中に書かれた戦意高揚ものの文学を調べたりもしたんですが、内容が単純過ぎてとても演劇にはできない。いろいろ考えるうち、直接的な戦争の話ではないんだけれども、『ビビを見た!』にはそういう感覚も流れているから行けるんじゃないかと提案したら、それが通りました。いつか大海さんの作品を舞台にしたいと考えていたので、すごくありがたかったですね。

── 大海さんの作品と松井さんの出会いは?

松井 小学3、4年生だったと思うんですけど、『メキメキえんぴつ』を読んだのが最初です。たぶん親が買ってきたんだと思いますが、はじめは絵を見るだけで恐くて、ちょっと見ては押し入れの奧に隠して、しばらくして引っ張り出してページを開いては「ギャー!」となってまた隠すみたいな。だから僕の、トラウマ文学ならぬトラウマ絵本です(笑)。『メキメキえんぴつ』は、ひとりの男の子がある人から、それを使うとメキメキ成績が上がるという鉛筆をもらって、本当に勉強ができるようになるんだけど、途中で飽きて使うのをやめると、鉛筆が襲ってくるんです、刺してきたりして。男の子が鉛筆を削ったり噛んだりして攻撃すると、さらにやり返されて、結局、鉛筆の暴力に負けて良い子になる。最後は完全に洗脳されて、兵隊のように規律正しく生きていくようになるんです。

── 児童文学なのに、バッドエンディングなんですね。

松井 特に教訓もなく、絵柄も含めてそのまま投げ出された感じがすごく恐かった。『ビビを見た!』は、結構あとになって読んだんですけど、やっぱり同じテイストがあって、教訓めいたものはないし、最後はこちらにポンと投げ出されたように終わる。『メキメキえんぴつ』と違うのは、人間があるパニック的な状況に遭遇した時に、集団でおかしくなっていくことが描かれているんです。そこで誰かを助ける人もいるし、そうじゃない人もいる。でも、どっちが良いとか判断しない描き方で。

── 『ビビを見た!』の原作を拝読しましたが、読者に委ねている部分が大きい一方で、絵が具体的に内容を反映していたり、あとがきに「種明かしします」と言って作者本人がテーマを解説していて、大海さんは、決して読者を煙に巻こうとしているのではないとわかります。そのあたりのバランス感覚が、とてもおもしろい作家さんですね。

松井 『ビビは見た!』の復刊に尽力されたよしもとばななさんもどこかで書かれていましたけど、他にいない存在だと思います。

── 絵と言葉が同時に出ているというか、この物語にはこの絵でなければ、という強い必然性も感じます。

松井 絵本の絵、物語を説明する絵として提示されているのでなく、脳裏に残り続ける絵ですよね。怖いけど、どこか可愛いというか、ユーモアがある。さっきトラウマ絵本と言いましたけど、自分の中にあるブラックユーモアのルーツみたいなものがこの人だという確信があります。

── それほど思い入れが強く、また、松井さんの中に絵が強烈に残っている作品を、自分の手で舞台にしようとした時、プレッシャーも大きいのでは?

松井 そこはもう、皆さんの力を借りるしかないと思っています。俳優も照明も美術も衣裳も、この原作を読んだらそれぞれ感じるものが絶対にあるはずですよ。読んだら「こうしたい」というイメージが湧いてくると思う。その力を借りようと考えているので、そんなにプレッシャーは感じていません。だって無理ですよ、ひとりでは。もちろんイメージはありますけど、僕の頭の中だけで理屈を付けてやってみても、きっと原作に負けてしまう。大海さんの世界は完全にできあがっているので、僕らがすべきなのは、大海さんの絵に頼らず、刺激を受けて、それを消化しながら何をやり、何を禁じ手にし、どこまで行けるのかな、ということです。



── 上演台本を読ませていただきました。物語部分はほぼ原作に即していますが、オープニングに、松井さんがこの作品の世界観に接続する、演劇としての入口をどうつくるかが具体的に提示されていて、冒頭がひとつの山場だと思いました。

松井 この話の主人公はホタルという名の少年で、もともと目が見えない。それが突然、7時間だけ目が見えるようになるところから始まるので、舞台版のひとつの大きな軸が“見る”だと考えました。でも見ることと見えないことは密接に結び付いているので、そこを形にしたかったんです。
この作品とは別に、僕はずっと、視覚的なものを1回、横に置いておいて演劇を他の知覚でも感じることができるはずだと思っていたんです。で、主人公が盲目という作品はそんなに多くはないので、その状態をお客さんに体験してもらうのにこの作品は最適なんじゃないかと考えたんです。階段を昇る動作ひとつでも、見るという回路を閉じたり開けたりすることで、体の別の感覚──聞くとか触るとか、温度や湿度などに敏感になること──を使って体感してほしい。今ってやっぱり、感覚に対してみんな鈍感になっていると思うので、それはひとつ、今回の作品の狙いとして用意しています。
ちょっと話がズレてしまうかもしれませんが、うちの親戚が脳梗塞が原因で、言語障害と失音楽症になったんですね。言語障害というのは、話したいことがあっても言葉が出て来ない。だから会話をしながら、この人は何が言いたいんだろうと想像するわけです。つまり、こっちが回路を開けることになる。この言い方は適切ではないかもしれないですけど、どこかが欠けているというか、自分と違う状態の人と向き合った時、僕のほうで、普段は入らないスイッチが自然に入るというのは、とても豊かだと思うんです。頭で考える想像力ではなく、違う器官にも想像力があって、そこが働くんだと思うと、ちょっと楽しい。

── 見えない繊毛みたいなものが人間には生えていて、それは常に周囲に反応して、取るべき態度を脳に伝えている。その繊毛が相手に凹みを感じ取った時に、凸の態勢を取るように各器官に伝達するようなイメージですかね。

松井 そうかもしれません。音が小さかったら耳を澄ますとか、見えづらかったら目を凝らすとか、そういう感覚をその場で起こすことができるのが演劇だと思うので、それを上手く使って、お客さんの感覚の幅を広げてみたいんです。

── それをオープニングで実践するわけですね。そして物語部分が進むと、羽根が生えていて小さな妖精のようなビビと、ビルも踏み倒す巨人のワカオが登場するので、そのあたりをどう表現されるのかも気になるのですが。

松井 ビビとワカオは対照的で、ワカオは破壊担当、ビビは儚さの担当だと思っています。ビビはワカオから逃げているけれど、きっとふたりは離れられない。ふたりの特徴が自然の恐ろしさであり美しさでもあるというのをどう表現できるかには、自分でもすごく興味があります。その両面を出してくるのが大海さんなので。

── 原作で非常に暗喩的だと思うのが、ホタルの目が見えている間、他の人が盲目になるという設定です。

松井 そこがすごいところですよね。目の見えない乗客たちが、ものすごいスピードで走る列車に乗っている。で、もしかしたら運転士も目が見えないかもしれない、という。みんなが盲目になって、ある方向に猛然と進んでしまっているというのは、それこそ大海さんの現代社会の見方だと思います。書かれたのは1970年代ですけど、社会はますますそうなっていますし。

── ホタルだけ目が見えることを、盲人だらけの世界では証明できない。非常に怖いですね。

松井 いろいろな読み方が出来る本なんです。

── そしてキャストですが、ホタル役の岡山天音さんとビビ役の石橋静河さんに、とりわけ期待が高まっています。

松井 このキャストで出来るのがうれしい、そう言える座組です。ホタルとビビに関して言うと、これはもう、ベストですね。イメージもぴったりだし、ふたりとも芝居が出来ますし。あまり「こうしてほしい」という希望か無くて、彼らが『ビビを見た!』をどう読んできたかを聞くところから稽古をしています。

── 樹里咲穂さん、久ヶ沢徹さんという出自の異なる配役も、松井さんの演出作では新鮮です。

松井 ご一緒したことのない方とやりたいという希望が僕にあって、KAATの方と相談しました。樹里さんは宝塚出身ですが、たぶん、僕が宝塚劇場(東京)でもぎりのバイトしていた時に拝見しています。宝塚の方はチャレンジ精神が旺盛だし、しかもベースがしっかりしているので頼もしいですよね。久ヶ沢さんは、昔、サモ・アリナンズで拝見していると思うんですけれども、先日、ある舞台を拝見して、やっぱりすごくおもしろかった。自分のシーンは自分で責任持ってつくる、おもしろくする、というのが伝わってきて、とても良かったです。樹里さんはお母さん役で固定ですが、久ヶ沢さんには警官とか運転士とか、いろいろ演じてもらいます。見終わってお客さんが「あれもあれもあれも同じ人だった?」と思い出して驚くぐらいがいいと思っています(笑)。瑛蓮さんは岩松了さんの作品でも存在感を発揮するベテランですし、師岡(広明)君は長い付き合いで信頼しています。

── 原作が「世界は広くて人生は短くて、何もかもは見られないけれど、自分は本当に大事なものを見た」という話なので、それでも原作を全く裏切らないと思います。

松井 本当にそうですよね。人々がパニック状態に陥るシーンも、一時は50人くらいいたらいいなと思っていたんですけど、逆に小さくやろうと思っています。ミニマムにパニック状態を感じさせた方がおもしろいはずだと。

── 最後に、小学生の頃に読んだ時と、こうして舞台化のために繰り返し読む中でと、松井さんの大海作品に対する印象は変化しましたか?

松井 最初にお話ししたように、自分にとっての「大海さんの世界」みたいなものがずっとあって、それは変わっていません。今はそれを、なんとか上手くたくさんの人に知ってほしいという気持ちです。それは絶対に……これもまた変な言い方かもしれませんけど、世の中を良くすると思う。なぜなら、こんなふうにユーモアがありながらも絶望的な世界を描いていて、しかも絶望だけで終わらせない表現があるというのは、僕にとって希望だし、(演劇作家として)すごくやりたいことだし、多くの人にとっても有益じゃないかと思えて仕方ないんですよ。ラストはぜひ観てほしいのでここでは言いませんが、救いというものがどういうふうに訪れるのか、すごく腑に落ちる。世の中が良くなったのか悪くなったのかはわからない。でも、大海さんの出した答えというか、ホタルがたどり着いた場所は、少なくとも僕にはすごく納得出来るものなので、皆さんにも知ってほしいです。

── 大海さんは公演をご覧になるんですか?

松井 来てくださいます、それも3回ぐらい。アフタートークにも登壇してくださる予定です。舞台化のお願いでお会いしたんですが、とても明るくておもしろい方でした。

── それは楽しみが増えました。ありがとうございました。



インタビュー・文/徳永京子

KAAT神奈川芸術劇場プロデュース『ビビを見た!』公演情報は ≫コチラ

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松井周(劇作家・演出家・俳優)の主宰する劇団。 青年団若手自主企画公演を経て、2007年に劇団として旗揚げ。松井周が描く猥雑かつ神秘的な世界の断片を、俳優とスタッフが継ぎ目なく奇妙にドライブさせていく作風は、世代を超えて広く支持を得ている。 作品が翻訳される機会も増え『シフト』『カロリーの消費』はフランス語に、『地下室』はイタリア語に翻訳されている。 『家族の肖像』(08年)と『あの人の世界』(09年)で第53、54回岸田國士戯曲賞最終候補にノミネート。 『自慢の息子』(2010年)で第55回岸田國士戯曲賞を受賞。 ★公式サイトはこちら★