演劇最強論-ing

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【配信舞台レビュー】ウンゲツィーファ『モノリス』

作品を未来へ。劇場を部屋へ。

2023.02.2


世代の異なる3人の演劇人に、2022年度にEPADが収集した舞台作品の配信可能リストから1本を選び、レビューを書いてもらった。

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ドキュメンタリーもあったからこそ画面越しでも観客になれた──ウンゲツィーファ「演劇公演『モノリス』制作ドキュメンタリー/兵庫void」

Text:テヅカアヤノ(劇作家・演出家)
https://www.texissyu.com/


■緊張をほぐしてくれたドキュメンタリーのパート

コロナ禍になり、もう3年が経とうとしています。その間に配信で見ることができる舞台作品は多くなりました。それでも、映像で演劇やダンスを観ることは私にとってハードルの高いことでした。観る環境を整えなきゃいけないし、劇場という非日常を楽しみたいのに、配信ではそれができないと思っているからです。家で演劇を観るということ自体は非日常ですが、家を非日常にしたいわけではなかったので、舞台作品を配信で観ることに積極的になれなかったのです。

「演劇公演『モノリス』制作ドキュメンタリー/兵庫void」は、いわゆる舞台作品の映像とは違っていました。ウンゲツィーファが2022年10月に東京と兵庫で上演した『モノリス』の映像と、その創作の前後や合間を撮影したドキュメンタリーの2つのパートを合わせて、1つの作品にしたものだったのです。
タイトルを目にしたとき、“演劇公演”とも“ドキュメンタリー”とも書いてあり、いまいちよくわからないまま観始めたのですが、そうは言っても私の中には、1番最初に映るのは、俳優が舞台上にいる姿だろうという思い込みがなんとなくありました。ところが再生して最初に出てきたのは、作・演出家の本橋龍さんで、しかも、作品とは関係のない、ショッピングモールのイオンの話からスタートしたのです。ギョッとしたし、なんだか一気に緊張がほぐれて、思わず笑ってしまいました。

ウンゲツィーファのこともよく知らず見始めたのですが、HPを見るとフライヤーが掲載されており、そこに「モノリスとは、とあるSF作品において、地球外知的生命体が人類の進化を促す為に用いた石版状の物体である。」とありました。この作品ではどうやらジュースの自動販売機がモノリスとされていて、舞台下手に位置していました。“舞台下手”と書きましたが、上演場所は劇場ではなく倉庫のような、空きテナントのような空間で、奥にはシャッターがあります。壁には黒いビニールシートのようなものが3枚並んでかけられ、そのせいで外からの光は僅かに漏れるだけで、会場の外は見えません。一方で外の音はまる聞こえで、車が通るとセリフが聞こえにくくなります。普通、上演中のセリフが聞き取りにくいというのはストレスでしかないと思いますが、この作品はそうではありませんでした。
その理由を考えたのですが、上演パートと上演パートの間にあるドキュメンタリーパートが、知らない劇団の作品を配信で観ているという緊張をほぐしてくれたように思います。そこでは、俳優同士、演出家、美術家など、演劇作品を生成する役割を持つ人たちが緩やかな空気の中で、にこやかに、そして真摯に作品について話していました。時には、当人たちにしかわからない何か怪しげなことも。

■映像から感じるホームビデオのような温かさ

上演作品の登場人物は幼なじみらしい3人で、月日が経つごとに、友達、同僚、かつての友達など関係性が変わります。『モノリス』のフライヤーには、石版の説明だけではなく、モノリスという物体について「客席にいる我々からズレた空間や時間。」という言葉が書いてあります。「それは、ぽつねんと、そこに立っているのでしょうか」とも。3人の関係性の変化は、自動販売機(モノリス)が変わらず立っていることで際立ち、理不尽にも不条理にも思える彼らの変化がシームレスに見えたのは、交互に映し出される上演パートとドキュメンタリーパートのシームレスさと繋がっていると感じました。

3人は何かと自動販売機の前に集まり、そのたびに飲み物を買いますが、その飲み物が作中で飲まれることは一度もなく、地面に置かれます。そして話が進むごとに、缶ジュースやペットボトルだけでなく、たばこ、スマートフォンも置かれ、自動販売機の前にものが増えていきます。
変わっていく関係、増えていくモノたちの中で3人は上演の終盤、「俺たちはここにいまーす」と繰り返します。そのセリフを聞きながら、地方都市の夜をぼんやりと明るくしてくれる自動販売機(モノリス)に私自身が救われたことを思い出し、同時に、東京で今この映像を観ている私は、モノの多さに紛れて「ここにいる」と主張している何かを無視しているかもしれないと思いました。繰り返される「俺たちはここにいまーす」は、大人になった3人だけでなく、子供時代の彼らの言葉かもしれないし、もしかしたら自動販売機(モノリス)の言葉かもしれない──、そう考えていたとき、舞台奥につられていたビニールシートの真ん中が引き落とされました。会場の奥行きがグッと広くなり、画面に外から差し込む光があふれました。その場にいたら、シートの向こうの道路を通る車や通行人が見えたかもしれません。「ここにいまーす」という言葉が立体的になったように感じました。

映像のエンディングは、公演初日に誕生日を迎えた俳優のお祝いで、その人に向けたスタッフや共演者のコメントでした。本橋さんのコメントの中に「半分ファミリーみたいな」という言葉があり、私がずっと感じていた、確かに演劇の作品を観ているけれど、どこかホームビデオを観ているようだという感覚が納得できました。

この映像を観たあと、ウンゲツィーファのHPやSNS、You Tubeなどを調べていたら、「劇生」という言葉と出合いました。「劇生とは造語で、創作に関わった人々のことである。大きく役割で分けているが、其々が影響を与え合うことで一つの演劇を生成している。そこには観客も含まれる。」とありました。『モノリス』を観て、ここに書かれている観客とは、劇場でウンゲツィーファの公演を観た人だけではないのだろうと考えます。
ホームビデオのような温かさで、上演のみではなく創作過程も含めた映像作品にしたことで、画面越しの私も「劇生」となることができたように感じます。



視聴環境:iPad&イヤホン



撮影:菅原広司 

脚本・演出:本橋龍 (ウンゲツィーファ)
出演:豊島晴香 黒澤多生(青年団) 藤家矢麻刀(PURISSIMA) 一野篤
2022年 
Void、ギャラリー南製作所

視聴はこちらから
https://www.youtube.com/watch?v=QDl197h6i_4
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テヅカアヤノ(てづか・あやの)/1997年福島県生まれ。2021年に演劇・ダンス・ファッションショーなどシームレスな創作活動を展開するTeXi’sを設立。澁谷千春とともに主宰を務め、脚本・演出・舞台監督を手掛ける。これまでの上演作品に『G+(CHON)=』(2021年)、『水に満ちたサバクでトンネルをつくる』(2022年)、『Aventure』(2022年)。

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