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【連載】ひとつだけ 藤原ちから編(2017/02)― アイサ・ホクソン『HOST』

ひとつだけ

2017.02.12


あまたある作品の中から「この1ヶ月に観るべき・観たい作品を“ひとつだけ”選ぶなら」
…徳永京子と藤原ちからは何を選ぶ?
   
2017年02月 藤原ちからの“ひとつだけ” アイサ・ホクソン『HOST』
2017/2/17[金]~2/19[日] 神奈川・横浜にぎわい座 のげシャーレ

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Eisa Jocson “HOST” Photo: Andreas Endermann, tanzhaus nrw


「今度またフィリピンに行くんですよ」と呑み屋で話すたびに、ニヤケ顔になる男たちに出会う。疎ましい。彼らの思い出の背後にこびりついている、差別意識が疎ましい。酸いも甘いもいろんな物語があるとは思うから、ひとくくりにはしたくない。でも、ある時期の日本人が買春ツアーやフィリピンパブを通して「フィリピン」を知り、今もそのイメージの残像に囚われている、という事実に、時おり、やるせない気持ちにさせられる。

確かに、出稼ぎのために日本に渡ったフィリピーナたちはいた。今や日本ではフィリピンパブも激減し、その存在はすでに忘れ去られつつあるが、フィリピンの友人たちは、今でも彼女たちのことを「ジャパユキ」と呼んでいる。この呼称には、畏敬の念と侮蔑とが入り交じったような複雑な響きがあるのかもしれない。いずれにしても、「ジャパユキ」さんたちが海を渡って移動したのはまぎれもない事実であり、そこにはかなりの勇気や覚悟が必要だったはずだ。

マニラのスラム街を歩いていた時、わたしはある「ジャパユキ」さんに出会った。彼女はわたしが日本から来たと知ると、懐かしそうな目をして、日本語で語りかけてきた。十代の半ばであるだろう娘と息子は、戸惑いを帯びた目で「日本人」としてのわたしを見るのだった。父親は、と訊くと、ここにはいない、と彼女は言った。



アイサ・ホクソンの『HOST』は、そんな「ジャパユキ」への関心に端を発して創作されたと聞いている。『Death of the Pole Dancer(ポールダンサーの死)』や『Macho Dancer(マッチョダンサー)』など、彼女はこれまでもセクシャルな夜の労働者にフォーカスした作品をつくってきた。ヨーロッパでの活躍が目立つが、「パフォーマンスと社会変革」を標語とする カルナバル・フェスティバル のディレクターチームの一角を担うなど、出身地のフィリピンでも活動している。

彼女のパフォーマンスを評するにあたって、わたしは何度か「vulnerability」という概念を用いてきた。書籍版の『演劇最強論』でも書いたように、この概念はわたしにとって重要なものだ。「vulnerability」には「脆弱性」という訳語もあるが、わたしはそんな意味でこの言葉を使いたいのではない。実際、アイサのダンスはかなりの強度を持っており、弱さからは程遠いのだから。とはいえ彼女のダンスは、鎧のように身体を塗り固めていくマッチョなものとは違って、むしろ「強さ」そのものに問いを投げかける。

例えば『Macho Dancer』は、一見「強い」ように見える夜の労働者の振る舞いをみずからの身体にインストールすることによって、その「強さ」に眠る社会的欲望を可視化し、そして、解体するような作品だった。いわば、彼らの身体に埋め込まれた権力構造をあぶり出し、狙撃するのである。ただし物陰からターゲットを狙うスナイパーと違って、彼女は公然と舞台の上に立ち、みずからの肢体を晒す。その無防備にも思える「vulnerability=傷つきやすさ」を湛えた彼女のダンスは、しなやかに「強さ」を乗り越え、世界をがんじがらめにするような強固なシステムを崩していく。

おそらくこの『HOST』もそうした作品になるだろうと予想している。タン・フクエンというプロデューサー、そしてアルコ・レンツというドラマトゥルクを擁するアイサ・ホクソンの諸作品は、極めて戦略的である。戦略のあるダンス、というのは、日本のコンテンポラリーダンスのシーンからするとかなり珍しいものかもしれない。だからこそわたしは、この作品を特に若いダンサーに観てほしいと願っている。アイサたちのやり方をそのまま受け入れなくていい(そんなことは無理だろう)。ただ、「なぜアイサ・ホクソンがこの世界で必要とされているか?」を考えてみてほしい。そして、自分の身体がいずれ世界にアクセスする可能性をぜひとも感じてほしい。


P.S.
2月11日~19日はTPAM2017( 舞台芸術ミーティングin横浜 )が開催され、今年も国内外からたくさんの人たちが横浜にやってくる。この『HOST』は横浜ダンスコレクションの作品だが、同時にTPAMフリンジにも登録されている。

TPAMはフェスティバルではなく、舞台芸術のプロフェッショナルが集うミーティングの場、という性格が強い。なので一般の(作り手ではない)お客さんはやや疎外感を味わう場面もあるかもしれない。しかし舞台芸術が存続し、この世界の様々な状況に対して力を発揮していくためには、どうしてもこのような場は不可欠である。ここでは単に作品が売り買いされるだけではなくて、情報、意見、哲学、危機意識といったものが交換される。そのせいか、今やTPAMは、日本から世界への窓口というだけでなく、世界的なコミュニケーションのプラットフォームとしても認知されつつある、とわたしは感じている。

特に近年はアジア諸国から多くの人々が招かれるようになり、「アジアのハブ」の様相を呈しつつある。日本の若いアーティストや制作者が、プチ留学のつもりでTPAMに参加してみるのはアリだろう。昼間は公演を観たりレクチャーや討議をした人たちが、夜はアマゾンクラブというバーに集結する。公用語は英語で、雰囲気は喩えるならまるで上海租界の阿片窟のようだが、そんなにビビる必要はない。わたしも大抵、酔いつぶれるまでそこにいます。


≫ 横浜ダンスコレクション2017 アイサ・ホクソン『HOST』 公式サイトは コチラ

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