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【連載】ひとつだけ 藤原ちから編(2017/07)― あごうさとし『アトリエ劇研』

ひとつだけ

2017.07.8


あまたある作品の中から「この1ヶ月に観るべき・観たい作品を“ひとつだけ”選ぶなら」
…徳永京子と藤原ちからは何を選ぶ?

2017年07月 藤原ちからの“ひとつだけ” あごうさとし『アトリエ劇研』
2017/7/18[火]~7/19[水] 京都・アトリエ劇研



 劇場がなくなったところで演劇は滅ばへんし、そんなヤワなもんちゃいますわ、ほな河原乞食にでも戻って一丁やったろやないですか! ……そういう矜持はわたしにもあるし、実際、ハコモノではない場所が劇的空間に変わる瞬間を何度も目撃してきたのだから、劇場がないならないでやれることはあるだろうと思う。とはいえ、音や光を魔法のように扱える劇場の灯が消えてしまうのは、やっぱりさみしい。

 アトリエ劇研(げっけん)は、京都の小劇場文化のシンボルだった。東京の演劇人にも馴染み深い劇場であったはずだ。それが、この夏で33年間の歴史の幕を閉じる。関東で長い時間を生きてきたわたしには、関西、特に京都の演劇・ダンスに携わる人たちがどのような喪失感を抱いているのか、浅い想像しかできない。

 劇研消滅までのカウントダウンはすでに始まっている。縁(ゆかり)のあるアーティストたちは、それぞれのやり方でオマージュを捧げている。例えば6月の、ドキドキぼーいず『生きてるものはいないのか』(作:前田司郎、演出:本間広大)や、したため『ディクテ』(作:テレサ・ハッキョン・チャ、演出:和田ながら)は、アトリエ劇研の黒い壁(ブラックボックス)を大いに活用した上演だった。それは、この劇場で育ってきた若い演出家たちからの、御礼とお別れの挨拶だったのかもしれない。

 最後のディレクター(芸術監督)としてこの劇場の灯を落とすのは、あごうさとし。支援会員やアソシエイト・アーティストといった制度を普及させることで、京都における、いや日本におけるこの小劇場のプレゼンスを高めてきた。みずからもアーティストでありながら、同時に、他人の創造環境をサポートできる人物は、そんなにはいない。もしも、若い時分を香港で過ごし、知的でヘンテコな作品をつくり続けている彼が、劇場運営や人材育成から解放され、自身の創作のみに集中することができたら……とわたしは夢想してみたりもする。ともあれ彼が、彼にしかできないユニークな仕事をしているのは確かだし、それらも含めた活動の総体が、「あごうさとし」なのだろう。



 その彼の最新作は、その名もズバリ『アトリエ劇研』。主役はなんとアトリエ劇研の立て看板で、無人劇である。宣伝文句には次のように書かれている。

舞台には、看板とそれを照らす簡素な照明がたかれているだけです。30分にもみたない時間をかけて、照明は消えていきます。特別な仕掛けはございません。
仮に、舞台に立ってみたいという方がおられましたら、どうぞ舞台にお立ちください。
もう2度とない時間を、皆様と過ごすことが出来れば幸いです。


 この照明を担当する川島玲子には、数日前、たまたま韓国・ソウルでお会いした。彼女は、日本の若い劇団の海外初公演(Q『毛美子不毛話』)という一筋縄では行かない現場を、技術面・精神面で大きくサポートしていた。劇研のスタッフである彼女にとって、今回の、構造としてはシンプルな(だが何が起こるかわからない)公演は、どのようなものとして映るのだろうか。



 なお、あごうさとし演出による、俳優のいる演劇を観たい人は、直前の7月12日(水)~17日(月)におおにし荘(KYOTO ONISHI SOU )で上演される『リチャード三世』にぜひ。残念ながらわたしはまだ関西の俳優について無知なのだが、そんなわたしでも気になる俳優たちが出演している。『アトリエ劇研』とのセット割引もあり。

2017/7/12~7/17『リチャード三世―ある王の身体―』について詳細は >> コチラ




 最後に。

 アトリエ劇研の精神を継ぐような新しい小劇場が、京都駅の南側、東九条エリアにつくられようとしている。東九条は、東山トンネルの工事等のために1920~30年代あたりから朝鮮人が集住するようになった町であり、また、いわゆる被差別部落があったとされる地域でもあり、それゆえに「京都」のパブリックイメージからは遠ざけられてきた。ここでは書ききれないような複雑な歴史や文化を持っている。(わたしは自分の作品をこの地域でつくろうとしているので、その過程で、何度か、とてもユニークで心の温かい人々に出会っている。いつかそのことについて書ける日が来るといいなと思うけど、まだ、何もかも始まったばかり……。)

 このエリアを「活性化」したいというのは、京都市の意向でもあり、将来的には京都芸大の移転も計画されている(「京都駅東南部エリア活性化方針」)。おそらくこれから有象無象の「アート」がこの地にやってくるに違いない。その現象はこの土地に何をもたらすだろうか? 若いエネルギーが流入するのは好ましいことだろう。けれどもそれが、この地域の歴史や文化を蹂躙するようなものであってはならないとわたしは強く思う。

 実はあごうさんにある劇評(岩渕貞太 『UNTITLED』 )を依頼されたのがきっかけで、昨年あたりから京都に来る機会が飛躍的に増えた。そんな経緯もあり、わたしは京都を訪れるたびに、あごうさんがうんうん唸りながら、額に脂汗を浮かべ、劇場設立のために奔走する姿をちらちらと横目に見てきた。おそらく、大人の事情をかいくぐる必要もあるだろう。それでも、あごうさんがひとりひとりと顔の見える関係を築いてきたことで、この地で生きる人たちとのあいだに、徐々に、ゆっくりと、信頼関係が生まれようとしている。

 東九条にかぎらず、日本の各地において、「アート」と「地域」を繋ごうとする試みはまだ始まったばかりだ。正解はない。簡単な処方箋はない。参考となる事例もまだまだ少ない。その現場に入っていくアーティストひとりひとりの倫理や叡智が問われている。きっとこの新劇場創設の動きも、単に「京都の演劇文化を延命させよう」という枠組みには留まらないだろう。わたしにはこの劇場は、異なるバックボーンを持つ人々同士が共に生きていく未来を構想するための、大事なラボになるように思える。もちろんそれには時間がかかる。だから「100年続く劇場」にわたしは賭けてみたいし、自分にできる形で協力したい。新劇場設立のための クラウドファンディング にはそういう気持ちで参加する。



 ただ、あごうさん。くれぐれも健康にだけは気をつけていただきたい。わたしはもうこれ以上、他の人にはできない貴重な仕事をする、同世代のアーティストや制作者が斃れることを望まない。


≫ あごうさとし『アトリエ劇研』 公演情報は コチラ

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