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【連載】ひとつだけ 徳永京子編(2017/05)― 木ノ下歌舞伎『東海道四谷怪談―通し上演―』

ひとつだけ

2017.05.28


あまたある作品の中から「この1ヶ月に観るべき・観たい作品を“ひとつだけ”選ぶなら」
…徳永京子と藤原ちからは何を選ぶ?

2017年05月 徳永京子の“ひとつだけ” 木ノ下歌舞伎『東海道四谷怪談―通し上演―』
2017/5/21[日]   京都芸術劇場 春秋座
2017/5/21[日]~31[水] あうるすぽっと

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 とにかく『東海道四谷怪談』(以下、『四谷怪談』)という脚本が好きだ。手元にある岩波文庫は1988年発行の第15刷で、この時点でも旧字旧仮名遣いなのだが、校訂を手がけた河竹繁俊氏の仕事が優れていることもあるのだろう、初めて本を開いた時、一気に読み終えた。

 作者である四世鶴屋南北の書く言葉は、ト書きさえも語呂がよく、まるで一筆書きのようにせりふとつながっている。その一筆書きは躍動的で、読んでいる間、私の目を足にした。視界に入った文字が、たとえ知らない単語でも、あるいは「お袖(そで)さん、此男(このおとこ)の言事(いうこと)を、必眞事(かならずまこと)にせまいよ」という現在と異なる漢字表記でも、ビュンビュンと先に進ませたのだ。「実は血が繋がっていた」「実はそこにいて話を聞いていた」など、歌舞伎お得意のご都合主義的な設定は、この『四谷怪談』にもたくさん出てくるのだが、文体のリズムでそれらも気にならない。つむじ風に背中を押され続けているような前のめりのそのスピードは、江戸の町の生活のリズムのようにも感じたし、運命の渦に巻き込まれて破滅していく作中の人々の脈のようにも思った。

 南北は、読んだ人間が登場人物の多くと呼吸を合わせられる狂言が書ける。200年以上の時間を隔てた人間でさえそうなのだから、当時の歌舞伎役者が読んだなら、その人物の行動がたとえ理不尽でも、頭で理解するより先に腑に落ちたのではないか──というのは勝手な妄想で、いくら江戸時代の歌舞伎役者でも演じることはそんなに簡単ではなかったとは思うが、それでももう少しこの妄想を続けさせてもらうなら、演出家がいなくても成立した歌舞伎の秘密の一端を、覗いたような気もした。

 もうひとつ、『四谷怪談』を初めて読んで感動した私の気持ちを言葉にするなら「ここには、あらゆる物語が入っている!」になる。
 タイトルには怪談とあるが、そんなカテゴリーは関係なく、恋愛劇であり、家族劇であり、政治劇であり、歴史劇であり、SM劇であり、人情劇であり、人間ドラマであり、不条理劇なのだ。しかも、恋愛ひとつ取っても、純愛、熱愛、初恋、失恋、横恋慕、不倫、倦怠期、近親相姦、生き別れ、死別と、およそ恋愛で思いつく限りの形態とその派生の形が採り上げられている。「結ばれなかった美しい初恋を描く」なんて焦点を絞らない。美しさ、儚さ、不可解さ、滑稽さ、悲しさ、醜さと、恋愛が持つ側面を次々と見せて、血や泥まで添えて差し出す。他のモチーフに関しても同様に貪欲だ。

 どんな作品でも、観客を驚かせることをまず考えたと言われている南北なので、「驚きの連続」とか「飽きない」といった観客の目線は常に考えていたと思われるが、それよりももっともっと根源的な作家としての欲望──自分は世界を丸ごと書きたいのだ、という壮大なエネルギーをこの物語に感じるのだ。
 先に、ご都合主義的な設定でもスピードが落ちないと書いたが、この話は同時に、駆け抜けるスピードでもかわせない、濃いエピソードが次々と展開する。つまり、驚くほど速くて、呆れるほど濃い。(ちなみに、この狂言を書いた時、南北は71歳だったそうで、なんとパワフルな老人だろう)

 これほどすごい脚本だから、部分を抜き出しても成立する。事実、多くの興行はコンパクトな形で上演されている。でも、考えてほしい。作家が「丸ごと世界を書きたい」と奮闘し、それが大成功した奇跡的な物語は、最初から最後まで通して観るのが自然だ。世界を丸ごと捉えた芝居を見るには、それなりの時間が必要なのだ。

 そして木ノ下歌舞伎が、再びそれに挑戦する。2013年のフェステバル/トーキョーで6時間をかけて上演された“通し”をブラッシュアップするという。しかも今度は劇団公演として実施に漕ぎ着けたというのだから、応援せずにはいられない。
 4年前の『四谷怪談』は、正直に言うと、物足りない点がいくつかあった。伊右衛門の人物造形の弱さ、お岩と伊右衛門の関係の淡白さなどで、主宰で補綴の木ノ下裕一と、演出の杉原邦生の意識は、人物の複雑な心理を掘り下げるよりも、6時間をどう色分けし、いかにそこに人物を配置するかに向いていたように感じられた。
 だがこの間、4年という実質的な時間以上の経験を、木ノ下は昨年からの10周年記念「木ノ下“大”歌舞伎」や文化庁芸術祭・新人賞の授賞、杉原は平成28年八月納涼歌舞伎『東海道中膝栗毛』の構成などで積んだはずだ。出演俳優も、成長は同様だろう。カードを何枚も増やした彼らが、南北の野心に挑む。広く深いその世界を、ふたりはどう再読し、どんな取捨選択を経て、決定版を打ち出すのか。その行方を新たな気持ちで目撃しようと思う。


≫ 木ノ下歌舞伎『東海道四谷怪談―通し上演―』 公演情報は コチラ

木ノ下歌舞伎

歴史的な文脈を踏まえつつ、現代における歌舞伎演目上演の可能性を発信する団体。あらゆる視点から歌舞伎にアプローチするため、主宰である木ノ下裕一が指針を示しながら、さまざまな演出家による作品を上演するというスタイルで、京都を中心に2006年より活動を展開している。主な上演作品に『義経千本桜』(2012)、『黒塚』(2013|急な坂スタジオプロデュース、2015)、『東海道四谷怪談—通し上演—』(2013|フェスティバル/トーキョー)『三人吉三』(2014|KYOTOEXPERIMENT、2015)他。 ★公式サイトはこちら★