演劇最強論-ing

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【連載】これから演劇を始める人のための演劇入門 ENTRANCE=EXIT, FOR STARTING THEATER ― 第0場 はじめに

これから演劇

2018.06.5



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     *  *  *

第0場 はじめに

 あなたが、どこかの島で生まれ育ったとします。
 ひょんなことで、あなたは演劇(theater)に興味を持ちました。
 そうですね……例えば、あなたの大好きな小説家が感想を書いていた、とか。

 あなたは演劇を観てみたい、なんなら自分でもやってみたいと思いました。
 でも、演劇ってどこでやっているのでしょうか。
 劇場の建物の中……でしょうか?
 けれども、あなたの島には劇場らしき建物はありません。
 いったいどこに行けば、演劇に出会えるのでしょうか?

 あなたは都会に出て、演劇をたくさん観て、作り手になりました。
 やがてそれなりに有名になり、あなたは意気揚々と島に帰ってきました。
 しかし、島では誰もあなたの活動のことなんて知りません。
 そして、あいかわらず島には劇場がありません。
 では、あなたはこの島では、演劇ができないのでしょうか?
 この島の人たちは、演劇なんて必要としていないのでしょうか?

 ……本当に?

     *  *  *

 この連載は、これから演劇を観始めたい、やり始めたい、関わり始めたい人に向けて書かれていきます。なんとなく17〜22歳くらいの若い人たちを想定して書くつもりですが、仮にあなたが60歳でも90歳でも問題ありません。演劇を始めるのに「遅すぎる」ことはないはずですから。

 でも、なぜ今、わたしは「演劇入門」を書こうと思ったのでしょうか?

 わたしはこれまで、主に批評家として活動してきました。ここ数年は自分でも作品をつくっています。しかし、俳優や演出家としてキャリアを重ねてきたわけではないので、演技や演出についての技術をお伝えできるわけではありません。また、そうしたいわけでもありません。

 とはいえ、わたしはこの10年ほどのあいだ、同時代の素晴らしいアーティストたちの作品を観てきました。時には彼らと一緒に仕事をしてきました。そのあいだに、演劇はわたしの人生をすっかり変えてしまいました。例えば、以前は主に東京で活動していましたが、そこを離れて漂流するような生き方に変わりました。おそらくそれは、いくつかの作品やその作家たちの思想に触れていなければありえなかったことです。

 ただ、そうやって漂流するとなると重い荷物は持てません。そこでわたしは、自分の抱く演劇も軽量化せざるを得ませんでした。巨大なセットを必要とする作品を作ったり観たりする方向へは行くことができませんでした。喩えて言うなら、スーツケース1個に詰められるような、あるいはポケットの中に忍ばせておけるような、そんな軽量サイズの演劇を手にしながら、移動を続けているような気がしています。

 その移動(mobility)のプロセスにおいて、国内外のいろんな土地で、いろんなバックボーンを持つ人たちと会ってきました。言語や文化の異なる人々との対話は、時には困難もあります。しかし少なくとも、かつてとはまったく違う景色が見えてはいます。ここでは、そんな今見えている奇妙な景色をつらつら綴っていこうと思っています。

 それはこれまでとは異なる書き方になるでしょう。作品やアーティストを紹介するための記事とは違って、固有名詞は少なめになりそうです。また、体系的な目次を用意してもいません。時にはただの旅日記のようなものになり、「演劇入門」からは程遠い内容に見えるかもしれまけん。

 けれども、何が「入門=入口」になるかは未知数です。演劇に関わっている人たちの多くは、たまたま偶然のきっかけがあって演劇と出会ったのではないでしょうか。どこにそんな運命的な「入門=入口」のチャンスが転がっているかは、誰にもわからないはずです。

 仮に演劇の起源を古代ギリシャ悲劇だとしても、ざっと見積もって2500年くらいの歴史があります。現存するどの国家よりも歴史があり、あらゆる芸術の中でもかなり古いものと言えるでしょう。その長い歴史の中で、演劇は時代や場所によってその姿を変えてきました。それは時には儀式であり、祝祭であり、弔いであり、娯楽であり、啓蒙であり、教育であり、伝承であり、闘いであり、癒やしであり、祈りであり、対話でした。そしてそれは他の芸術ジャンルとも交わりながら、様々な表現手段を開発してきたのです。

 これからも演劇は、変身を続けながら生き延びていくでしょう。わたしは今、その演劇の変身の一過程をたまたま目撃しています。あなたも、この文章を読んでいる時点でやはりそれを目にしています。わたしはその不思議な景色を書き留めて、投げかけてみたい。それが同時代の誰か、あるいは未来の誰かにとって、演劇への「入門=入口」になるかもしれないと思って。日本語で書きますが、自動翻訳しやすいシンプルな言語にしていくつもりです。

     *  *  *

 ところで、「入門=入口」というのは、あなたの知らない世界への「脱出=出口」でもあるかもしれません。もしもあなたが今いる場所に満足していないとしたら、演劇はそこからの「脱出」の手助けをしてくれるかもしれません。確証はできませんが、賭けてみる価値はあるんじゃないでしょうか?

 というわけで、これから演劇(theater)を始めます。始めてみましょう。



藤原ちから Chikara Fujiwara

1977年、高知市生まれ。横浜を拠点にしつつも、国内外の各地を移動しながら、批評家またはアーティストとして、さらにはキュレーター、メンター、ドラマトゥルクとしても活動。「見えない壁」によって分断された世界を繋ごうと、ツアープロジェクト『演劇クエスト(ENGEKI QUEST)』を横浜、城崎、マニラ、デュッセルドルフ、安山、香港、東京、バンコクで創作。徳永京子との共著に『演劇最強論』(飛鳥新社、2013)がある。2017年度よりセゾン文化財団シニア・フェロー、文化庁東アジア文化交流使。2018年からの執筆原稿については、アートコレクティブorangcosongのメンバーである住吉山実里との対話を通して書かれている。