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<先月の1本>敷地理「Hyper Ambient Club」 文:私道かぴ

先月の1本

2022.06.20


良い舞台は終わったあとに始まる。強く長く記憶されることが、その作品を良作に成長させていく。けれども人間の記憶は、記録しないと薄れてしまう。「おもしろかった」や「受け入れられない」の瞬間沸騰を超えた思考と言葉を残すため、多くの舞台と接する書き手達に、前の月に観た中から特に書き残しておきたい1作を選んでもらった。
  
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観客の中に残るためのダンス


ロームシアター京都のノースホールは地下にあり、来場者はまず階段を下へ下へと歩くことになる。ぐるぐると回って会場前に着くと、多くの観客で溢れていた。
開演時間になると開くという扉の前では、たくさんの身体が待っている。動く足、壁にもたれかかる背中、和気あいあいと挨拶を交わす口。興奮のままに軽やかに動く人々を見て、浮足立つ。かと思えば全く動かずじっと待っている人もいて、一人ひとりの鑑賞に対する姿勢が随分違っているのに気付く。それは、扉が開いてぞろぞろと中に入ってから更に顕著になった。

床に横になった状態で抱き合う二人のダンサーが、ゆっくりと回転しながら地面を移動している。そのポケットに入ったペットボトルが身体の下敷きになる度ぱき、ぱきと音を立て、飲み口から溢れた水が床を濡らしていく。
人々の陰になってはっきりとは見えないけれど、どうやらその奥にも、会場の端に設置されたお立ち台のような台座の上にも、身体を預け合ったダンサーたちがいるようだ。
観客は、その光景を自分で決めた距離で観る。パフォーマンスの邪魔にならない程度に近付いてよいとされている場で、ダンサーの動き、速度に合わせて観客も移動する。一人が近づくと、その人の身体でダンサーが隠れてしまうので、周りも一歩近付くことになる。そのうちどんどんダンサーを取り囲む格好になり、中にはどきりとする程距離の近い人も出てくる。試すようにまじまじと見つめる観客。その視線を一身に受けながら、パフォーマンスを続行するダンサー…。
その時、ダンサーに最も近い観客の表情がふと目に入った。その目線が鋭いのを見て、どきっとする。「観たい」という欲望のままに動く身体はどこまでも歯止めが利かなくなりそうで、恐怖を覚える。そこに加わることに急に後ろめたさを感じ、少し離れた位置を取った。すると、自分と同じような場所に立ち位置を定めている観客が一定数いることに気付く。ダンスによって、それを見る観客の動きによって、いつの間にか場が整っていくようだった。

やがてダンサーたちが立ち上がり、照明と音楽が変化し次の展開が始まった。身体にずんずん響くビートが場内を盛り上げる。ダンサーたちは会場内を自由に歩き回る。照明が暗いせいか、観客の中にも音に合わせて身体を揺らす者が出て来たせいか、演者と鑑賞者の境目がどんどんわからなくなる。ただ歩いている状態のダンサーもおり、観客は次第に「観るべきもの」を失っていく。そのうちダンサーが全員外へ退場したことで、観客は会場に放り出されてしまう。
人々は、場に目をやったり、扉に投影された映像をじっと見つめたり、音に乗ってそのまま身体を揺らし続けたりなど、それぞれに時間を過ごす。まるで平気な顔でそこにいるけれど、場には何とも言えない心許なさが漂っていた。観る目的から解放された身体は自由になるかと思いきや、実際はすごく不自由で、徐々におとなしくなる。その状態を目にしてふと戸惑いを覚えた。さりげなく、そしてとても巧妙に、こちらの身体の動きが誘導されている気がしたのだ。それは後半に進むにつれて確信に変わった。

再び現れたダンサーたちを視界に捉えて、観客は息を吹き返す。音は強くなり、身体は更に揺れを増す。台の上に立って踊るダンサーたち、そこに上がって共に踊り出す観客たち、それを観て一緒に身体を揺らす人々。興奮が最高潮に達するかと思いきや、ダンサーの踊りはあくまでも冷静だ。踊り手はふっと台から降り、会場の中を歩き始める。観る先がなくなった観客は、新たな対象を目指して歩き始めるが、照明が徐々に落とされ歩幅を制御されていく…。
壁にもたれかかって会場を観ていると、音と光で巧妙に観客の身体が誘導されているのがわかる。暗くなると、視界不良で身体を機敏に動かせない。ビートに乗って踊る身体が視界に入ると、目から動きが誘発されていく。「自由に観ていい」ということは、「自由に観られる範囲が予め設計されている」ということだ。この、主催者に予想された範囲に自分がいる、という事実に気付いた時、突然「観られている」という感覚に襲われた。
主催者やダンサーからすると、この場所にいつか観客が来る、この距離に立つ、この動きを見る、というのはすべて計算されていたことなのだ。私は、冒頭で観客からダンサーに向けられた鋭い視線を思い出していた。どこか暴力的なものを感じていたが、それは決して一方的なものではなかった。ダンサーもまた、こちらの動きをしっかりと見返していたのだ。

終盤、ダンサーたちはそれぞれの台に乗って、リズムに乗りながら、しかしリズムに乗り切らないささやかなダンスを繰り広げる。それは服の裾を引っ張ったり、リップクリームを身体に沿わせたりと小さな動きに集約されていく。些細な動きを観ようと観客が近づき、目線をじっとダンサーに向ける。ダンサーはその目を見返さない。しかし、暗がりの中で視線を許容しながら、身体でしっかりと見つめ返している。

その様子を、ダンサーに近付くこともなく、安全な距離で見つめている私は卑怯だろうか。そう思っていたら、最後に音が止んだ時、壁伝いに身体を揺らしていた振動が同時に止んだ。そこで初めて、傍観者のように思っていた自分が、実はしっかりと参加者だったことに気付く。この場で共有していたリズムは、壁を伝って確かにこの身体も揺らしていた。ダンサーを追いかけて歩き、観客を観て距離を取る。そうなるよう振付されたこの身体も、また一緒に踊っていたのだと思った。
会場を出る時、妙な清々しさを覚えたのはそのためか。この場で経験したのは紛れもなく、私たちのための緩やかなダンスだった。

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しどう・かぴ/1992年生まれ。作家、演出家。「安住の地」所属。人々の生きづらさに焦点を当てた会話劇や身体感覚を扱った作品を発表している。身体の記憶をテーマにした『丁寧なくらし』が第20回AAF戯曲賞最終候補に、動物の生と性を扱った『犬が死んだ、僕は父親になることにした』が令和3年度北海道戯曲賞最終候補に選出された。国際芸術祭あいちプレイベント「アーツチャレンジ2022」において映像作品『父親になったのはいつ? / When did you become a father?』が入選。 

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【上演記録】
敷地理「Hyper Ambient Club」

Hyper Ambient Club 2022
Photography by manami tanaka

2022年5月4日 (水)~6日(金)
ロームシアター京都ノースホール
演出・振付:敷地理
音楽・DJ:荒井優作
出演:宇津木千穂、小倉笑、黒田健太、敷地理、服部天音、藤田彩佳、保井岳太

敷地理公式サイトはこちら

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