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<先月の1本>iaku『あつい胸さわぎ』 文:私道かぴ

先月の1本

2022.09.22


良い舞台は終わったあとに始まる。強く長く記憶されることが、その作品を良作に成長させていく。けれども人間の記憶は、記録しないと薄れてしまう。「おもしろかった」や「受け入れられない」の瞬間沸騰を超えた思考と言葉を残すため、多くの舞台と接する書き手達に、前の月に観た中から特に書き残しておきたい1作を選んでもらった。

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“いかにも”な関西弁の裏に潜む『あつい想い』


開演直前に劇場に駆け込み、舞台に近い前方の席に座ると、後ろからあつい気配を感じた。振り返ると、ぎっしりと詰めかけた観客の目線が、真っ直ぐに舞台に向けられている。表情はとても活き活きとしていた。客席全体が、これから始まる舞台を、前のめりで楽しもうとしているのが伝わって来た。

そんな観客の熱意は、物語の冒頭でさっそく反応として現れる。
それは枝元萌演じる母親の武藤昭子が、平山咲彩演じる娘の武藤千夏に晩御飯について尋ねるシーンだった。もうご飯を食べたのかと聞く母に、疎ましそうな態度で「パンを食べた」と答える娘。母は「パンなんかでお腹いっぱいにならない」と、損得勘定で考えがちな関西人らしい言葉で返す。その後も、娘のご飯を案じる割に「家にはなんもない」と言う母に娘がツッコミで返すなど、テンポのいい関西弁のラリーが続く。その都度、客席からも合いの手のように「あははは」と大きな笑い声が上がる。

そのラリーの真ん中で、私はどことなく居心地の悪さを感じ始めていた。
母親が話す関西弁の言葉が、ツッコミが入る前提で話される「いかにも」なものが多い上に、その応酬に対して律義に笑い声をあげる観客が多かったからだ。そんなに「いかにも」な会話を、まるで誇張するように演技にする必要があるのだろうか。また、「いかにも」が来るとわかっていながら、観客はなぜ笑い声を上げるのだろうか。

しかし、物語の終盤に、この「いかにも」な関西弁の印象ががらりと変化する。
物語は途中まで、昭子のパート先での淡い恋や、千夏の初恋などを語りながら、タイトルから想像できるような「あつい胸さわぎ」を描いていく。しかし、終盤で突然、親子に悲劇が訪れる。娘の千夏に若年性乳がんの疑いが浮上したのだ。観客は、そこで本作のタイトルである「あつい胸さわぎ」のもう一つの意味に思いを巡らせることになる。
乳がん検診の再検査の通知をもらって来た千夏に対し、昭子がかける言葉はたどたどしい。動揺する母を見て、千夏もいら立ちを隠せない。言葉は続かず、会話がつながることはない。

ここで、はっとした。ボケてツッコんだり、畳みかけるようにテンポよく喋ったり、二人の会話がラリーのように続くこと。そういった「一見お決まりのやりとり」は、本当は稀有なことだったのかもしれない。すれ違う母と娘の姿を見て、「相手からツッコミが返って来ることが当たり前だと思っている、あのかけがえのない会話をまた再現してほしい」と思う。わざとらしく感じた会話は、最初に私が感じたような「当たり前のこと」などでは決してなく、何にも代えがたい貴重な時間だったのだ。その時間を丁寧に積み上げていくところにこそ、この演劇の怖さと、素晴らしさがあるのだと思う。
物語の最後、ずっと距離があった親子の関係は、母親が娘を後ろから強く抱きしめることで縮まった。開演直後には笑い声が頻繁に上がっていた客席からは、いつの間にかすすり泣く音が聞こえている。物語の中で何か不幸があって、しかし前向きに生きていこうとする姿は、ある意味「いかにも」な展開だけれど、やはり強く胸を打つ。いつの間にか、観客の笑い声や涙を流す姿に、当初感じていたような違和感は薄れていた。

終演後、会場を出て駅まで歩く。パンフレットを取り出すと、その中には「受けよう乳がん検査」と書かれた、認定NPO法人のリーフレットが入っていた。そこに書かれた文字を目で追いながら、このリーフレットが、すべての観客の手に渡っていることを考えた。観劇後に、この紙を手に取る。「まさか自分が…」「私には関係のないことだと思うけど…」。そんな思いで読む観客の姿を、現在の私自身の姿を想像する。ふと、劇中で再検査のお知らせを手にしていた千夏の姿が浮かんだ。物語と現実が、突然ぎゅんっとつながり始める。
どこにでもあるような、わざとらしい関西弁の会話。観劇に行き、泣いたり笑ったりして、やがて家に帰ること。当たり前だと思っていることが、急にかけがえのないものに変化するという事実…。もしかしたら、と思う。もしかしたら、客席の中にも、物語のようなことを実際に体験した、またはこれから経験する人がいるのかもしれない。そして私も、いつかその経験をする時がやって来るかもしれない…。急に、自分の心臓が動いていることを意識した。ここに、当たり前に身体があることを自覚した。すると、あることに気付いた。「あつい胸騒ぎ」というタイトルは、観客にも当てはまる、三つ目の意味を含んでいるのではないか。当たり前の日々が簡単に変化すること、しかしそれでも生きて行くこと。帰り道、駅に続く観劇後の人の流れを見ながら、観客一人ひとりが、この「あつい胸さわぎ」を引き継いでいくのだと思った。


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しどう・かぴ/1992年生まれ。作家、演出家。「安住の地」所属。人々の生きづらさに焦点を当てた会話劇や身体感覚を扱った作品を発表している。身体の記憶をテーマにした『丁寧なくらし』が第20回AAF戯曲賞最終候補に、動物の生と性を扱った『犬が死んだ、僕は父親になることにした』が令和3年度北海道戯曲賞最終候補に選出された。国際芸術祭あいちプレイベント「アーツチャレンジ2022」において映像作品『父親になったのはいつ? / When did you become a father?』が入選。

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【上演記録】
iaku『あつい胸さわぎ』

写真:井手勇貴

東京公演/2022年8月4日(木)~14(日)ザ・スズナリ
大阪公演/2022年8月18日(木)~22(月)インディペンデントシアター2nd
作・演出:横山拓也
出演:平山咲彩、枝元萌(ハイリンド)、橋爪未萠里、田中亨、瓜生和成(小松台東)

iaku公式サイトはこちら

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