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<先月の1本>KAAT×城山羊の会『温暖化の秋 -hot autumn-』 文:私道かぴ

先月の1本

2022.12.28


良い舞台は終わったあとに始まる。強く長く記憶されることが、その作品を良作に成長させていく。けれども人間の記憶は、記録しないと薄れてしまう。「おもしろかった」や「受け入れられない」の瞬間沸騰を超えた思考と言葉を残すため、多くの舞台と接する書き手達に、前の月に観た中から特に書き残しておきたい1作を選んでもらった。

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「聞こえてしまった会話」に含まれる、研ぎ澄まされた身体性


「これをわざわざ舞台でやる意味は何なの?映像でよくない?」
学生時代に、私が作演出を務めた演劇を観た先輩にそう言われたことがある。「確かにそうかもしれない」と思った。
その作品には、舞台ならではの大ぶりな動きや、技巧に満ちたセリフ回しは使わなかった。登場人物が舞台上でただ淡々と会話を進めていた。映像の方が、役者の細かい表情や、身体に現れた感情の機微を「寄り」で見せられるのだとすれば、この物語を表現するには映像でもよかったのかもしれない。逆に舞台では、役者の身体全体が観客の前に出る「引き」の構図になってしまう分、そうした機微の見せ方がとても難しい。ああ、日常の会話を舞台上に上げるのは、なんと難儀なことか。

今でも、会話劇の演出を考える時には毎回そう思っている。それだけに、城山羊の会の『温暖化の秋 -hot autumn-』を観た時には、「なんだこれは」と強い衝撃を受けた。
冒頭、若い男女二人がやってきて、頭上にぶら下がったリンゴに気づく。男性がよいところを見せようとしてリンゴを取るために飛ぶが、こけてしまう。それどころか、リンゴはそのままどんどん頭上高くに上がって、手が届かない所まで行ってしまう。男性は自分のことを「なんかすごい、かっこ悪い」と嘆く。すると女性が「ううん、かっこよかったよ」と寄り添う。この時の二人の声量の小さいこと。そして、言い方にほんの少しだけ、恋人特有の含みがあること。舞台に乗せるにしてはずいぶんとスケールの小さい演技だ。その様子を見ながら、これは「私たちが普段行う会話の距離だ」と思った。日常生活の会話の中では、普通はわざわざ他人に聞こえるような声量では話さない。そのことを忠実に守ろうとしているからこそ、この声量、話し方なのだ。
普段私たちが舞台上でよく見ているのが、声量も大きく、活舌がよい「聞かせるための会話」だとしたら、この演劇は「聞こえてしまった会話」のぎりぎりを狙っている。それ故に、所々聞き取れない部分もある。しかし、その聞き取れなさを、必ずしも残念に感じるわけではない。なぜか。会話の中に、言葉を発する人物の身体表現がしっかりと組み込まれているからだ。
今作では、人々は話しながら、あるいは話さずに舞台上にいる間も、たくさんの細かな演技を見せ続けている。話し始める際の言いよどみ。しゃっくりや息継ぎ。首をゆっくりと傾けること。指をほんの少しだけ動かすこと。その一つひとつが、舞台上の互いの演技と呼応し合っている。会話をする時、人は思っている以上に様々な動きをしているし、そうした身体表現が語るものは言葉に負けず劣らずとても豊かだ。それは十分に演技になりうるし、積み重なると、想像しているよりもずっとスリリングな演劇表現になる。

では、こんなに些細な動きなのに、映像ではなくて舞台でおもしろく観られるのはなぜなのか。
もちろん役者が達者だからというのはあるだろうが、こんなにも一挙一動にじっと集中して観てしまうのはなぜなのだろう。そこで少し視野を広げると、舞台の構造が目に入った。
今作の舞台は、観客が三方向を囲む三面舞台で、上手側と下手側に高低差がある(下手が高く、上手が低い)。舞台がアシンメトリーになっているので、上手側に座っている観客は、下手奥でさりげなく交わされた会話を聞き逃す確率が高いし、逆もまたしかりだ。席によっては見えない表情だってあるだろう。一つとして同じ見え方をする席はない。
そのことが、観客の目に舞台上の出来事を「盗み見る」という感覚を与える。たまたまおもしろい会話を聞いてしまった時のような臨場感が得られるのだ。細やかな動きが、自分の席から「見えた」と思う。ささやくような会話が、自分の席に「聞こえた」と思う。その特別感が、ただの会話劇ではない、スリリングな劇時間を作り出しているのだと思った。
一般的に、舞台は「聞き逃し」がないように設計されることが多い。どの席からも同じように物語を体験できる、ということが重要視されているのだ。しかし、今作で気づいたのは、「聞き逃しはあながち悪いものではない」ということだった。私は物語中盤の、下手にはける途中の中年夫婦の会話が聞こえなかった。しかし、「あ、聞こえなかった」と気づいた直後に、言葉以外の部分から今逃した情報を得ようと、二人に対する視線の鋭さがぐっと増した。言葉を発する前よりも後の方が二人の距離が縮まって、足取りも早くなったことから、何か些細な冗談を言ったのだということが推測された。仲睦まじく去る二人の姿は、もしかしたら会話をしっかりと聞き届けた時よりも、印象に残っているかもしれない。

「これをわざわざ舞台でやる意味は何か?」という一言を、改めて思い返す。映像ではなく、わざわざ舞台でやる会話劇。そこには、目の前の観客を「目撃者」にする、些細だが重要な仕掛けが研ぎ澄まされていた。


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しどう・かぴ/1992年生まれ。作家、演出家。「安住の地」所属。人々の生きづらさに焦点を当てた会話劇や身体感覚を扱った作品を発表している。身体の記憶をテーマにした『丁寧なくらし』が第20回AAF戯曲賞最終候補に、動物の生と性を扱った『犬が死んだ、僕は父親になることにした』が令和3年度北海道戯曲賞最終候補に選出された。国際芸術祭あいちプレイベント「アーツチャレンジ2022」において映像作品『父親になったのはいつ? / When did you become a father?』が入選。


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【上演記録】
KAAT×城山羊の会『温暖化の秋 -hot autumn-』

撮影:益永葉

2022年11月13日(日)~27(日)
KAAT神奈川芸術劇場大スタジオ
作・演出:山内ケンジ
出演:趣里 橋本淳 岡部たかし 岩谷健司 東野絢香 笠島智 じろう(シソンヌ)

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