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<先月の1本>パショナリーアパショナ―リア『人の気も知らないで』/『かぞくららばい』 文:丘田ミイ子

先月の1本

2023.01.31


良い舞台は終わったあとに始まる。強く長く記憶されることが、その作品を良作に成長させていく。けれども人間の記憶は、記録しないと薄れてしまう。「おもしろかった」や「受け入れられない」の瞬間沸騰を超えた思考と言葉を残すため、多くの舞台と接する書き手達に、前の月に観た中から特に書き残しておきたい1作を選んでもらった。

***

「わかってほしい」と「わかりたい」、その拮抗の行方で


私が「丘田ミイ子」というこの屋号を名乗り始めたのは、約五年前のこと。
上京し、転がり込むようにファッション誌のライターになってからというもの、私はずっと生まれた時の名前で文筆活動を行っていた。文筆家としてどうありたいか、どんなことを書いていきたいか。朝起きてしばらくしたら忘れてしまう夢のような曖昧さでなりたい自分をイメージすることはあったものの、具体的な指針や展望についてはほとんど考えたことがなく、目の前にある仕事をこなすことで精一杯だった。
そんな私が文筆業七年目にして初めて付けたペンネームである。そしてそれはそのまま、「本格的に演劇について書くための名前」とも言えた。響きは本名と一文字しか変わらない。店も事務所もない。つまり屋根はない。それでもなんだか、小さいながらももう一つの自分の船ができたような、そんな気持ちになったことを今でも覚えている。
その命名は、一つのカンパニーとの出会いがきっかけであった。俳優の町田マリーと中込佐知子が立ち上げた「パショナリーアパショナーリア」(通称パショパショ)である。その旗にはこうあった。「家庭と演劇の両立」。旗揚げ公演のクラウドファンディングで掲げていたミッションは、公演の託児費用と小中高生のチケット無料化。第二子を出産したばかりで、観劇はおろか仕事も家事もままならないような状況だった私にその言葉は強く響いた。すぐさまクラウドへの参加を決め、申し込みの氏名に本名を記入した(余談だが、私の本名は少し変わっている)。観客としてその旗揚げ公演を観劇した後、「次回作はライターとして取材したい」と密かに誓った。その取材が叶った時に私は初めて「丘田ミイ子」を名乗った。
「劇評」と呼ばれるものにはまるで不必要で、そして不相応な私情報である。しかし、「誰が何を書くか」という点において、私がパショナリーアパショナーリアの演劇について語るときにはどうしてもこの前置きだけは欠かせないのであった。その出会いがなければ、今ある「演劇について書く日々」は叶わなかった。そんな演劇との特別な出会いがあることは、ライターとしてはもちろん、いち観客としてもとても幸福なことだと思う。今回のレビューは第二回公演からその演劇を追い続けているライターとして、そして、旗揚げ公演から欠かさず観劇している観客として、その魅力を伝えられたらと思っている。

12月に東演パラータで上演されたパショナリーアパショナーリアの五周年記念公演。パショパショにとっては初の二本立て公演であり、iaku主宰で劇作家・横山拓也の戯曲『人の気も知らないで』の演出を荒井遼が、町田マリーの新作戯曲『かぞくららばい』の演出を荒井と町田が共同で手がけた。

『人の気も知らないで』は、三人の登場人物による全編関西弁の会話劇だ。舞台中央にドーナツ型のベンチが一つ、その上に桜の木が吊るされている他は何もない、シンプルな美術であった。
3人は同じ会社で働く同僚である。カフェの店内で沈んだ面持ちでいるのは、綾(中込佐知子)とその後輩の心(土居志央梨)。同じく同僚であるアデコのお見舞いの帰りだった二人は、会社イベントの花見の帰路で事故に遭った彼女の怪我が想像以上に深刻であったことに落ち込んでいた。カフェに集ったのにはもう一つの理由があった。別の同僚・田中とカオリンが近く結婚することになり、その挙式でやる余興の打ち合わせである。余興に参加するのは二人に加え、長田(町田マリー)の三名。営業部で働く長田は、同部署であるアデコ分の仕事も担うことになり、彼女曰くその“尻拭い”で多忙を極める日々に苛立ちを隠せずにいた。そんな長田のことを心は「愚痴多すぎるでしょあの人」とぼやき、アデコの文句を言っているところで、右腕を切断するにまで至った彼女の状況を知らせるのはどうか、と言い出す。そんな心を「性格悪いで」「あの子も色々あるからなあ」と諭す綾は長田とは同期入社の縁がある。
少し遅れてカフェに到着した長田はやはりイライラしており、開口一番「ここむっちゃ分かりにくい」「ただでさえ疲れてんのに」と文句を言う。そこから他愛ない会話が続くも、心は、今しがた目の当たりにしたアデコの姿が脳裏から離れず、長田への苛立ちを隠しきれずにいた。「好きで飲んだ酒やろ?飲むの分かってて自転車で来たんもアデコやろ?」という長田の言葉を聞いた心はいよいよ居た堪れなくなり、右腕切断のことを告げるのである。それでも長田は動じるどころか、「心はちゃんと理解してるん?」「何を理解したん?」と詰め寄る。そこから、アデコの今後のサポートに話が及ぶも、二人の価値観は噛み合わず、互いが考える正当性や正義をぶつけ合ってしまう。しかし、これがこの戯曲のリアルなところなのであるが、口論の合間にも取るに足らない会話が差し込まれ、話は時に脱線し、笑いをもが起こる。そこには彼女たちが明日も会社で顔を合わせ、この先も長く付き合ってはいかなくてはならない、という人間関係の継続が横たわっていた。
心と長田の仲裁に入っていた綾にもまた事情があった。長田が余興自体もやめた方がいいのではないか、という提案をした時に、綾は過去に田中と付き合っていたことを心に明かす。しかし、これは単なる「元カレの挙式で余興をするのが気まずい」という話ではなかった。綾には綾の正義があったのだ。花見でアデコに自転車で来るように言ったのは田中であり、上司にそう言われたら真っ先に自転車でくるのが近所に住んでいる部下のアデコであることを田中は分かっていたはずだと綾は言う。さらにはそのことをひた隠しにしていることが腹立たしく、挙式の場で一言言ってやりたいと、綾は長田に打ち明けていたのである。それを止めさせるために長田は余興を取りやめようとしているのだと。その話を受けた心は「結婚式と事故は関係ない」としながら、「何よりもやったらなアカンのはアデコのサポートでしょ」「長田さんも一回行った方がいいですって。アデコのお見舞い」と話を戻す。そこで、長田が取引先の社長とともにすでにアデコのお見舞いに行っていたことが発覚する。それを聞いた心は、それなのになんでそんなに冷たいことが言えるのか、と一層長田に不信感を抱く。「自分の体の、目に見える一部分がなくなったんですよ?」「長田さんの想像力どうなってるんですか」。それを聞いた綾は思わず「ごめん、長田、言うていい?」「こんなんフェアちゃうって」と長田の過去を切り出す。長田もまた体の一部を、数年前に発覚した乳がんで片側の乳房を失っていたのだ。心は「そんな後出し、ずっこいわ」と小さく呟き、もう何も言い返せないと荷物をまとめ出す。その場を立ち去ろうとする心の胸中を慮って綾が引き止めるが、心は「大丈夫です。なんか、長田さんのこと触りだけかもしらんけど、ちょっと分かったような気がするし。それだけで今日はもう、お腹いっぱいって言うか。一回持って帰らんと」とその場を去る。残された綾と長田は、取引先社長の愚痴、田中の結婚について、そして長田の今の恋愛など他愛もない話を続ける。片胸を失ってから恋愛にも気が進まなかった長田に新たな出会いがあったことを綾は友人として喜び、「よし、やっぱ行こ。ケーキ」「長田の恋バナを聞く会やんか」と、先ほどまでの喧騒を仕切り直すかのように店を後にする。

パショパショが数多の外部戯曲、そして同じく数ある横山拓也戯曲の中でこの『人の気も知らないで』を選んだ決め手はどこにあったのだろうかとずっと考えていた。そして、その上演をついぞ見届けた時、にわかに腑に落ちるような感覚があった。これまでパショパショは姉妹や苦楽を共にした俳優仲間など親しい間柄の人間関係を主軸にした会話劇を上演しており、女性同士が脈絡なく繰り広げる井戸端的な会話に登場人物それぞれの悩みや葛藤が滲んでいく、という作品が多かった。そこに今作との親和性を感じたのである。
一方で、横山戯曲ならではの魅力を感じたのもまた然りである。家族や友人であっても他者であることに変わりないのであるが、「同僚」というもう一歩外側の他者との人間関係、つまりこれまでより対外的な趣を持つ会話劇をパショパショが選んだことにはわずかながら驚きがあり、新鮮な風景でもあった。しかしながら「同僚」は、ともすれば家族よりも長い時間を共に過ごす他者でもある。そんな間柄ならではの距離感がつぶさに表現されており、とりわけ「口論が本格化することを避けながら、しかし思いや考えをぶつけずにはいられない」といった、ある種社会的な会話の中に人間の本心や心の機微が表出されていく様はとても興味深いものであった。丸型のベンチに点在するように腰を下ろす3人は、時にその中心部から離れ、円周部分を彷徨うようにセリフを落とす。同じ円の中にいながらも距離を取らずにはいられないような瞬間、また距離をとったからこそ発することができた言葉もそこにはあったように思う。シンプルな美術に抽出された人間の複雑な心象風景。それらの景色には、戯曲へのリスペクトを胸に据えながらも、パショパショの新たな持ち味を引き出そうと苦心した演出・荒井の尽力があったのではないだろうか。他者と関わり生きていく上での価値観や正当性の衝突や軋轢、誤解やもどかしさ、そして、そういうものを飛び越えた時に浮かび上がってくる人間の思いの深淵。そんな戯曲の魅力が豊かに表現されていることに心を動かされた。
関西弁という言葉もまたこの戯曲の魅力の一つではないだろうか。なんとなくその場のムードが柔らかくなること、一方で、冗談か本気が真意を計りかねる塩梅でこそ言いたいことが言えてしまうこと。そんな関西弁特有のやりとりに馴染み深さを覚えるとともに、韻や言い回しによって大きくその印象が変わる言葉の持つ奥深さや複雑さをも感じたのである。
中でも三人の中で最も年少の後輩・心を演じた土居志央梨のセリフへの力のかけ方は見事であり、口論のシーンでは目上の人間にも自身の正義や正当性を貫く強さを見せつつも、要所要所に挟み込まれる雑談のシーンでは、彼女が日頃から周囲に可愛がられている後輩であることもうかがえた。セリフやシーンで描かれていないところにまで想像の余地を広げていく土居の表現は、三人の人間関係のみにとどまらなかった。アデコのことを語るシーンでは、おそらく心にとって同期か後輩であり、ともすれば綾や長田よりも近しい関係であろう彼女への想いが随所に忍ばされていて、その姿がまるで出てこないにも関わらずアデコの社内での様子や二人の人間関係がふと背後に立ち上がってきたほどだ。そこにいない者の存在感をも携えながらあらゆる葛藤を抱える心の真面目さ、その正義感故に、時に“人の気も知らないで”相手を追い詰めてしまう様も含めて、等身大の人間らしさが光っていたように思う。綾や長田の状況を“知らない”心は、喧騒の中、静かにその円周から離脱する。そこにはふと、人といる時にこそ強く感じざるをえない人間の孤独が浮かび上がっていたように思う。綾と長田のさりげないやりとりに歴史を元本にした連帯や共振が忍ばされていたこともまた、三人の立場の相違やそのコントラストを如実に伝えていて、他者と通じ合うことの果てしなさを痛感した。

三人という小さなコミュニティでの会話劇から一転、次に始まったのは、町田マリー作の大所帯の家族劇『かぞくららばい』である。
袖から出てきたのは九歳の男の子・炎。「転換タイム♪」と楽しげに歌いながら舞台美術を変えていく。床を剥がすとカラフルな絨毯が現れたことはもちろん、先まで三人が座っていた丸いベンチの裏に手描きのリボンや木の実があしらわれていたことにはさらに驚いた。椅子は瞬く間に巨大なリースへと変幻し、舞台上部にそれが吊るされ、目の前の景色はクリスマス一色の賑やかな家の中へと生まれ変わった。カメラを設置した炎は「はいどうも、皆さんこんにちは!燃え尽くせ!炎です」とYouTube配信を始める。「今から始まるのは、オラの家族のお話。オラが四歳の時の話だ」。そのセリフを合図に、炎は四歳のハルという登場人物として物語に加わっていく。
家族の名は畑山家。舞台となるのはハルの母・加奈子(土居志央梨)の生家であり、親子は離婚を機に舞い戻ってきたようだ。加奈子の母(柿丸美智恵)、そしてもう一世代向こうの加奈子の亡き父・健三郎の母である祖母(中込佐知子)の四世代が共に暮らす家で行われるクリスマスパーティーに、加奈子の姉・みさき(町田マリー)とその夫の友樹(酒井善史)、二人の娘で生後6ヶ月のなっちゃん(パショパショ公演ではお馴染みの人形)も集い、賑やかなパーティーが始まろうとしていた。しかし、母はどこか疲れていて、必死に笑顔を作る練習を繰り返す。それもそのはずであった。母は認知症の義母の介護や遊び盛りのハルの保育で終始家の中を走り回っているのである。
一見賑やかなホームドラマに見える本作だが、その見どころは「アットホームな温かさ」のみでは決してなかった。亡き夫に代わって甲斐甲斐しく義母の介護を担う母、シングルマザーとしてハルを育てる加奈子の日々には女性がその人生において背負わざるを得なくなる重責が滲んでいた。また、友樹が妻のみさきを助手のように扱うシーンや、祖母が自身の亡き息子・健三郎と孫の夫である友樹を見紛い、「男の子はかわいいねえ」と仕切りに繰り返すシーンでは、中込佐知子と酒井善史の二人が体現したリアルな「無自覚さ」、それ故の「もどかしさ」や「憎みきれなさ」に、根強く残る家父長制とそれに対するアンチテーゼが忍ばされているようにも感じた。
この戯曲の、そして出演俳優らの素晴らしいことは、それらが本当にさりげなく、平熱のままに抽出されているところにあった。一見取るに足らないような会話や言動の端々で町田戯曲ならではユーモアにコーティングされながらも、それらはふと顔を出す。それは、女性がただ生きているだけでこんなにも日常的に生きづらさに直面するのだ、ということをまざまざと伝えていくようで、序盤からその辛辣さに私は掌をギュッと握ってしまったほどだ。それでも、畑山家の家族の絆は強く、その在り方をぶらすことなく貫いたところに、町田の思いの丈を見た。女性の生きづらさと同じくらい、町田は家族の持つ温かさや心強さをこの戯曲を通して伝えたかったのではないだろうか。
ところで、畑山家には亡き父・健三郎が遺したファミリーソング、通称ファミソンたるものがある。クリスマスには毎年それを家族全員で歌うというのが恒例で、母はそれを心から楽しみにしていた。亡き父のセクションであったギターは友樹が担い、今日も賑やかな演奏が行われていた。歌詞にはこうある。
「いつも穏やかに過ごしていれば 良いことが向こうからやってくる」。
『かぞくららばい』と銘打っているように、本作は音楽劇でもあった。数え切れないほど多様な劇中歌を手がけていたのは音楽家の絢屋順矢であり、家族に起きる様々な出来事やそこで波立つあらゆる感情にそっと伴走するような音楽で舞台に彩りを添えていた。中でも「畑山家 畑山家 これが畑山健三郎の家族だ」というサビが繰り返されるこのファミリーソングは、大人も子ども含む“家族の歌”というだけあって、初めて聴く歌とは思えないほどの親しみやすさがあった。しかし、これは単なる“ファミリー”ソングではなかった。父から母に宛てたラブソングでもあったのである。
「お母さんいつもごはんありがとう」
「お母さんいつも楽しいことしてくれる」
「お化粧なんかしなくてもかわいいー!若い時からほんとに美人なママ」

「お父さん、歌でしかありがとうなんて言ってくれなかったから」と笑う母はやっぱり嬉しそうだったが、歌の途中で突如、その異変は起こる。母が脳出血で倒れたのである。大音量のアップテンポだったファミリーソングは、記憶が薄れゆくような質感で小さく、スローになっていき、そこに母の走馬灯が立ち上がっていく。

三つ編みをつけられた母は若かりし姿になり、父と出会う。
三つ編みが外され、その顔が花嫁のヴェールで覆われ、二人は結婚する。
二世帯住宅での嫁姑問題、二度の出産、日々の食卓の様子、娘たちの反抗期……。
やがて母のヴェールは娘の結婚式に受け継がれる。そして、夫の死がやってくる。
母や娘の顔を覆ったヴェールは、遺体の顔に被せられる白布へと変わる。
歳月とともに変わり続ける、振り返ればあっという間の人生。少女から女性へ、妻となり母となり、やがては祖母へとなりゆく姿。人生の季節に呼応して、折々の眼差しと横顔を時に切なく、時にコミカルに魅せた柿丸美智恵の佇まいが素晴らしく、その身体の動きや瞳の変化は詩的ですらあった。短いシーンながらも、一つの音楽と一枚の布で生と死をも表現した演出も含めて、最も心打たれる情景であった。

走馬灯は静かに閉じ、シーンは再び家のリビングへと戻る。母の入院支度を急ぐ姉妹がそれぞれの想いを衝突させているところに現れたのは、なんと今しがた搬送されたはずの母であった。生死の狭間を彷徨う、いわゆる幽体離脱である。娘たちが動揺する最中で、「これだけは譲れない」と言わんばかりの強い物言いで、来月に予定されている家族総出の沖縄旅行に自分を連れて行って欲しいと言う。死んでしまっては行けないが、幽体離脱状態なら付いていけるのではないかというのだ。
「帰ってもらおう!お母さんの体に!」と泣く姉と、「最後に会いに来たんだとしたら、話したいよ!ちゃんと、お母さんと!」と言う妹。そして、認知症が進み終始会話が通じなかったはずの義母は一際しっかりとした面持ちで「寝かしつけとくからいいわよ。たまには遊んでおいで」「大変な思いさせてごめんね」と伝えるのである。
「言いたいことも言えたし、今年もファミソン歌えたし」とその場を立ち去ろうとする母にまだ感謝を伝えきれない姉妹は、ファミソンのメロディに乗せて、これまでの礼を告げ、苦労を詫びる。そこで母が言ったのは、こんな言葉だった。
「そういうことは、歌にしなくても言えるようにようになりなさい」
その一言には、これまでの母の生きづらさや苦労、それでも明るく笑った生き様が諸共詰まっていたように思う。そして、母は何気ない時間にこそ、例えば食卓を囲んでいる時なんかに、夫や娘にそう言ってほしかったのではないだろうか。それを、そう言わずとも「わかってほしい」と願っていたのではないだろうか。
「いつも穏やかに過ごしていれば 良いことが向こうからやってくる」。
そう思いたかった母の、誰にも言えなかった本音であり、同時に、巣立ったとはいえ変わらず娘である子どもたちに伝えたかった苦言でもあったのかもしれない。
照明が暗くなり、再び、畑山家のファミソンが流れる。暗転した舞台には九歳の炎の姿があり、YouTube配信の終わりの挨拶をしていた。
「おばあちゃんはこの後、麻痺はあるけど退院できたんだ。去年みんなで沖縄も行った」

四世代に渡る女性の険しくも強かな人生と一つの家族の果てしなくも温かな歴史。柔らかい言葉でしかし強い思いで結ばれたその景色を眺めながら、私はパショパショの代表作の誕生と町田マリーの劇作家としての躍進を確信していた。そして、それは私個人の思い入れの強さを差し引いても、素晴らしく巧みな戯曲で演出であったと思う。
何気ない家族のやりとりの中にそれぞれの人生がギュッと詰まっていた。時に抱き合い、時に背き合い、「完全には理解しあえない」というもどかしさと、それでも「互いを理解したい」と願う等身大の家族の姿があった。そして、そこで図らずも私は、一作目の『人の気も知らないで』との接続をふと感じたのである。家族も友人も同僚もやはり他者であることに変わりはない。「わかってほしい」と「わかりたい」。人間関係においてその二つはいつも表裏一体のまま拮抗を繰り返し、時に前者が後者を追い抜いてしまうこともある。そんな時に独り善がりに感じる孤独や生きづらさというキャッシュを完全には消化できないまま、それでも他者に手を伸ばしてしまう。様々な円の中で生きる私たちは、その円周をぐるりぐるりと何度もなぞり、時に自ら逸れていく。それでも次第に色濃くなりながら、変わらずそこに在るのが、良くも悪くも家族というコミュニティなのではないだろうか。大きく賑やかに輝く丸いリースの下で、本音を言えないまま笑う母と本音をぶつけ合う姉妹、それでも互いの手を取ろうとする家族の姿を見つめながらそんなことを考えていた。

九歳の炎の長台詞から始まった『かぞくららばい』。その自由で瑞々しい感性と溢れんばかりのエネルギーを前に思ったのは、進化し続けるパショパショのスピリッツ、その眩さであった。炎は町田の息子である。旗揚げから「家庭と演劇の両立」をモットーに様々な作品を生み出してきたパショパショであるが、その両立は次なるステージへと駒を進めていたのだ。稽古場に子どもとともに訪れ、あるいは託児の都合をつけ、寝かしつけ後にそっと寝室を出て上演台本を執筆したり、セリフを覚えるという目まぐるしい季節もあったことだろう。そんな日々を駆け抜け、母の姿を誰より近くで見つめてきた我が子が母とともに舞台に立つこと自らの意思で選んだということ。四歳と九歳の時を往来しながら、家族の在りし日を豊かな表情で伝える炎は小さくも頼もしい、唯一のストーリーテラーだった。
「家庭と演劇の両立」は、五年の時を経て、「子どもとの共同創作」へと進化を遂げていた。そして、母としての喜びと、同じだけ抱えざるを得ない苦しみを『かぞくららばい』という作品に託した町田に、私は確かに劇作家の横顔を見たのである。この人にしか紡げないのではないか。この人にしか演じられないのではないか。そう感じる物語に、演劇に立ち会った時、私は心の底からその出会いに喜びを覚える。『かぞくららばい』は紛れもなくそれであった。

演劇について本格的に書き始めてから、五年の時が経った。
はじめは「丘田さん」、「ミイ子さん」と呼ばれても振り返るのに時間がかかるくらいであったが、ようやくこの船にも乗り慣れてきた。しかし、パショパショの取材に訪れる時、私は「みいきさん」と本名で呼ばれている。クラウドファンディングに参加した時の名前だ。私はそれがとても嬉しい。
パショパショの演劇に出会う度、いつも思う。漏れなく私も「わかりたい」と「わかってほしい」の拮抗を抱えながら生きているのだと。そして、演劇について書くために筆を執る私も、家庭の中で喜び苦しむ私も等しく自分なのだと。その両立を目指し、時には迷う自分をも丸ごと掬う様に「この海を行こう」と導いてくれる演劇が私にはある。それは、二つの名前を生きる私の人生を照らす、いわば北極星のような存在だ。航海は晴天ばかりとはいかないが、屋根はなくていい。その方が、星はよく見える。


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おかだ・みいこ/フリーライター。2011年から雑誌を中心に取材執筆活動を開始。演劇、映画などのカルチャーを中心に、ファッション、ライフスタイルなど幅広く手がける。エッセイや小説の寄稿、詩をつかった個展も行う。

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【上演記録】
パショナリーアパショナ―リア『人の気も知らないで』/『かぞくららばい』


2022年12月14日 (水) ~20日 (火)
東演パラータ
『人の気も知らないで』
作:横山拓也(iaku)
演出:荒井遼
出演:町田マリー、中込佐知子 / 土居志央梨

『かぞくららばい』
作:町田マリー 
演出:荒井遼、町田マリー
出演:中込佐知子、町田マリー/酒井善史(ヨーロッパ企画)、土居志央梨、炎(えん)、柿丸美智恵

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