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<先月の1本>東京演劇道場 第二回公演 『わが町』 文:私道かぴ

先月の1本

2023.02.28


良い舞台は終わったあとに始まる。強く長く記憶されることが、その作品を良作に成長させていく。けれども人間の記憶は、記録しないと薄れてしまう。「おもしろかった」や「受け入れられない」の瞬間沸騰を超えた思考と言葉を残すため、多くの舞台と接する書き手達に、前の月に観た中から特に書き残しておきたい1作を選んでもらった。

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道場生の「わが俳優人生」をあらわにした柴幸男版【わが町】


開演前、劇場内に音楽はなかった。着席した観客は物音もほとんど立てず、手元のパンフレットや、まだ俳優が現れる前の舞台をじっと見つめている。客席は異様な静けさと熱気に包まれていた。
どんな舞台作品でも、観客は出演する俳優に対する興味というものを多かれ少なかれ持っているものだと思うが、こと「東京演劇道場」の公演となるとその度合いはぐっと増す。パンフレットの「東京演劇道場とは」という箇所には、「東京芸術劇場の芸術監督・野田秀樹が様々な演劇人と出会うべく立ち上げた団体」であることや、2018年の公募には約1700通の応募があり、うち300名にオーディションを行い、60名あまりの一期生を選出したという記述がある。そう、ここには「超狭き門を潜り抜けてきた精鋭たちが集まる団体」であるからこその緊張感が痛いほどに充満している。今回は第二回オーディションを経て参加した二期生も加わる公演とあって、「厳選された俳優陣による」という印象はますます強まっていた。当然、客席の期待も高まる。
第一回公演『赤鬼』は未だ新型コロナウイルスの影響が色濃く残る中での上演だったが、世の中の暗い雰囲気を吹き飛ばすようなエネルギーに満ち溢れた俳優の姿が強く記憶に残っている。走る、伸びる、叫ぶ、息を吐く…躍動する身体を思う存分見せつけるすがすがしさ。コロナ禍で制限された身体を持った観客の一人として、度肝を抜かれたし、何より選抜された俳優たちの身体性が素晴らしかった。
そんな第一回公演の印象が強くあったものだから、今回はどのような身体が観られるのかと思ってわくわくしていた。ところが、その期待は第一幕から裏切られることになる。

開演後まもなく、俳優たちがぞろぞろと舞台上へ登場する。そのうち何人かは、人間の頭と同じくらいの大きさの頭部を持つ人形を手にしていて、それを舞台の左右に置かれた黒い箱の上に乗せてから、中央後方のひな壇に腰かける。
いくつかある箱の上にはずらりと人形が並び、ひな壇には出演者23名が座ったり立ったりした状態でいる。劇的な演出や音楽があるでもなく、するりと物語はスタートした。

数人が前に出て、演技を始めた。舞台の中央、複数のパーツで作られた板のようなものを地図になぞらえて、物語が展開するニューハンプシャー州のグローヴァーズ・コーナーズという小さな町の説明をする。その間、他の俳優たちは相変わらずひな壇の上にいて、時に頷いたり、座る体勢を変えたり、笑顔を向けたりしながら聞いている。説明している俳優をじっと見つめているだけの者もいる。舞台上で繰り広げられる説明への反応は個々によって違っているようだった。つまり、「このシーンではこう演じましょう」というような共通の決め事はないように思われた。その連帯の緩さがどこか不安な気持ちを掻き立てる。観客はいま、俳優のどのような状態を提示されているのだろうか。

違和感は、次の場面でより強いものとなった。
語りが町の細部に入っていく時、俳優が箱の上に置いていた人形を手に取り、それを介して演技を始めたのだ。その後はしばらく人形劇が続いた。ただ、この演技にも俳優間のばらつきが見られた。あくまで黒子に徹しようとして、自分の表情をできるだけ観客に見せないように演技する者もいれば、人形を動かしながら自らの身体の動きを隠さず前面に出す者もいる。
俳優の身体を観るべきなのか、それとも人形の動きに集中するべきなのか。ただ私は「俳優がいかに人形をうまく動かせるのか」を観に来たのではなかった。大勢の中から選抜された、身体性に優れた俳優の動きを目にしたかったのだ。しかし人形を持った状態では、それを望むのはなかなか難しそうだった。

納得のいく解釈を持てないまま、物語は第二幕に入る。俳優たちがゲームのような動きで床に色とりどりのテープを引くと、鉄道の路線図が出現する。第一幕でグローヴァーズ・コーナーズの地図に見立てたパーツを裏返すと、ビルや駅の絵が現れた。脚立を持ってきてタワーに見立てる。現在の東京の町を作っていく。第二幕では趣向が変わり、俳優たちは人形を置いて、自分自身の身体で演じ始めた。すると、身体たちは制約から解かれたようにいきいきと動き出した。第一幕の設定に加え、同性カップルや観光客など、現代のシチュエーションに合う役割を担うことで、それまでとは違った演技が現れてくる。しかし「やっとその俳優ならではの身体性が見えてきた!」と思ったのもつかの間、第三幕では再び人形を使った演技に戻ってしまった。

ところが、その見え方は第一幕とは違っていた。人形を通じて、各俳優の演技の特徴が徐々に浮かび上がってきたのだ。
自らの表情を消し、人形の後頭部を見ながら、細かく顔の角度を調整して声を当てる俳優は、おそらく「自分はあくまで人形遣いとして居る」というスタンスなのだろう。人形の顔を振り向かせる速度やタイミング、首のかしげ具合に神経が研ぎ澄まされていて、本人が繊細なニュアンスの演技を得意としていることが伝わってくる。
自らの身体が先に動き、その延長として人形を動かすタイプの俳優は、おそらく反射神経がよくダイナミックな演技が得意なのだろう。人形だけ観ていると感情が読み取りにくいが、本人の表情、動きを合わせて目に入れると、人形に感情が移っていくようでおもしろい。
人形を使うことで、「俳優がどのような演技を得意としているのか」がより鮮明に現れてくる。演技を身体から引きはがし、人形で実践することになった時、初めて「その俳優が演技とどのように距離を取っているのか」がわかるのではないか。

ではなぜ、「俳優」と「演技」を一度引きはがす必要があるのかというと、この作品がソーントン・ワイルダーの『わが町』であり、演じるのが東京演劇道場の道場生だからである。本作は、俳優が観客に直接的に話しかける形式の戯曲だ。「みなさん」と俳優に言葉を投げかけられるとき、話しかけられた側は「観客」という役割を引き受ける。同時に、話しかけた側も「俳優」という役割を引き受けることになる。町の住人たちは(母や子や新聞配達や教会のオルガン弾きといった)役割を担い、それを演じる俳優も(母や子や新聞配達や教会のオルガン弾きといった)役を担う。この「何かを演じている人間を演じる」という自覚的な二重構造によって、役に奉仕するだけではない、俳優そのものの姿が浮かび上がってくる。もちろん、現代演劇においてこうした形式は珍しくないが、今回はそこに、「道場生が演じる」という重要な要素が加わっている。すさまじい倍率を勝ち残って舞台に立つ人々には、期待の高さゆえ厳しい視線が注がれる。彼らが人形を手に慣れない演技を繰り広げるとき、観客はどうしても「人形がない方が、その人らしい演技を観られたのではないか」と感じる。ただここで改めて考えてみたい。彼らが人形を持たずに、全編を通して自身の身体のみで演じていたとしたら、観客はどんな感想を持っただろう。「選ばれた人々はやはり技術が素晴らしい」と、表面的に感動するだけにとどまったのではないだろうか。
人形を介して俳優の本来の演技に揺さぶりをかけることで、俳優と演技を意図的に引き離す。観客はこの状態から、なぜ各俳優がその演技を選択したのかを考える。それを選択せざるを得なかった環境=道場内での、出演者間の様々な駆け引きにまで思いが及ぶ。「役割」というものに対する人一倍の執着を考える。
第一幕の、演技をしている俳優をひな壇からじっと見つめている共演者たちの目を思い返すとき、私はそこに「俳優本人の思い」を感じずにはいられない。あの目は役を見ているようで、演じている俳優そのものを見ているのではなかったか。自分は演じることのない役を目の前で演じている人間への、ある種の羨望が含まれた視線ではなかったか。

はっきり言ってしまおう。これは他の演劇公演とは全く条件が違う公演なのだ。「東京演劇道場」という、開演前から客席がしんと静まり返るような、期待と緊張と羨望の入り混じった視線を一切に引き受ける団体が行う公演なのだ。そこへ出演する俳優たちは、人形を通してもなお際立つ「個の強み」を武器にして勝ち上がってきた。終盤、登場人物のエミリーが自分の過去を顧みる有名な場面がある。今作はそこに、俳優全員が一斉に台詞を吐くという演出を加えている。声量も語り方も違う俳優たちの演技は互いの言葉を打ち消し合い、台詞はほとんど聞き取れない。しかし、あのシーンで観客が聞いたのは、役を取り合う俳優たちの俳優人生を賭けた叫びではなかったか。
あの日、私たちが東京芸術劇場で観劇したもの。それは、東京で切磋琢磨する俳優たちの現在地を、巧みに舞台上に出現させた『わが町』だったのだ。


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しどう・かぴ/1992年生まれ。作家、演出家。「安住の地」所属。人々の生きづらさに焦点を当てた会話劇や身体感覚を扱った作品を発表している。身体の記憶をテーマにした『丁寧なくらし』が第20回AAF戯曲賞最終候補に、動物の生と性を扱った『犬が死んだ、僕は父親になることにした』が令和3年度北海道戯曲賞最終候補に選出された。国際芸術祭あいちプレイベント「アーツチャレンジ2022」において映像作品『父親になったのはいつ? / When did you become a father?』が入選。


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【上演記録】
東京演劇道場 第二回公演 『わが町』

撮影:引地信彦

2023年1月25日 (水) ~2月8日 (水)
東京芸術劇場シアターイースト
構成・演出・翻訳:柴幸男(ままごと)
出演:秋山遊楽 石井ひとみ 大野明香音 大滝樹 緒形敦 小幡貴史 兼光ほのか 川原田樹 北浦愛 佐々木富貴子 代田正彦 末冨真由 鈴木麻美 谷村実紀 鄭亜美 手代木花野 藤井千帆 間瀬奈都美 三津谷亮 水口早香 吉田朋弘 李そじん 六川裕史

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