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<先月の1本>東京演劇道場 第二回公演 『わが町』 文:植村朔也

先月の1本

2023.02.28


良い舞台は終わったあとに始まる。強く長く記憶されることが、その作品を良作に成長させていく。けれども人間の記憶は、記録しないと薄れてしまう。「おもしろかった」や「受け入れられない」の瞬間沸騰を超えた思考と言葉を残すため、多くの舞台と接する書き手達に、前の月に観た中から特に書き残しておきたい1作を選んでもらった。

***

柴幸男 劇場の制作論


1-1
 演劇作家、柴幸男。その代表作とされる『わが星』は、2010年に第54回岸田國士戯曲賞を受賞し、作家の名を一躍有名にし、同時にあまたの批判をも呼び込んだ。その典型的なパターンの一つで、同作はソーントン・ワイルダーの『わが町』から想を得ているのだが、その想の借り方がいくらなんでも行き過ぎていないかとの指摘は繰り返しなされてきた。『わが町』『わが星』を知る人にとっては冗長な説明になるかと思うが、両作のあらすじも含め、このあたりの事情をまず三段落分を用いて共有しておきたい。不要な方は読み飛ばして1-2に進んでいただければ、柴の『わが町』の上演の失敗のどこが奇妙だったかという本題に早速入れる。
 さて、『わが町』と『わが星』の類似をいうものとしてはまず、岸田賞の選評での鴻上尚史のコメントがある(「柴幸男さんの『わが星』は、僕にはどうも、ソーントン・ワイルダーの『わが町』の感動をかなりの部分、借りているのではないかと感じて、乗り切れませんでした」)。それからこれを受けた内野儀による批判があり、作品が『わが町』の「翻案」であると言い切った上で、「少なくとも他の文学賞では有効なはずのオリジナル作品という評価基準はどうなってしまったのか」(p. 222)と嘆いている[*1]。
 『わが町』はニューハンプシャー州グローヴァーズ・コーナーズの町を生きる人々の一生を描く。物語は特にウェブ家とギブス家の二つの家庭に焦点を当て、平凡に暮らしていた子どもたち(第一幕)が結婚し(第二幕)死を迎えるまで(第三幕)を三幕構成でたどっていくのだが、最後、亡くなったエミリー・ウェブは、12歳の誕生日(1899年2月11日)の自分へと生まれ変わり、すでに死んだ者の目でかつての自分の生を見つめ返す。そして、あまりに貴重な生の時間が、あまりに冷酷に素早く過ぎ行くこと、しかも生者たちはそんな事実に気づかず平然としていること、そのつらさに耐え切れず、死後の世界に帰っていく。「ああ、この地上の世界って、あんまりすばらしすぎて、だれからも理解してもらえないのね」(p. 136)[*2]。
 『わが星』は、現代の東京の団地で過ごす少女の一生を描く。主人公の「わたし」は、冒頭から早くもこんなふうに言う。「おぼえてる、全部、おぼえてる。はじめて生まれたこと。はじめて泣いたこと。はじめて燃えたこと。はじめて死んだこと」(p. 7)[*3]。燃えたこと、というのは、火事に巻き込まれて亡くなったのを指す。『わが町』のエミリーと同様、「わたし」は死者の目に立っており、その目を通じて生のまばゆさが語られていく。「ちーちゃん」という名前で呼ばれる「わたし」とはどうやら地球のことでもあるらしく、少女の死は時空を超えて惑星の滅亡とリンクする、というか一致する。この設定はもちろん『わが町』には無いわけだが、地上の視点と宇宙的な視点をあっけらかんと重ねてしまう詩情はワイルダー譲りであって、たしかに『わが星』の感動の構造は『わが町』のそれに近しいと言えるのである。ただし、「ちーちゃん」は早くも冒頭の時点において『わが町』第三幕のエミリーと同質の視点を獲得している。詳しくは後述するが、そこから物語は『わが町』とはまた別様の展開へと進んでいくし、良くも悪くもそこにこそ作品の特徴は集約されていると考えられるので、わたしは『わが星』がワイルダーの翻案にすぎないとする二氏の意見には与しない。

1-2
 さて、その柴が東京芸術劇場で『わが町』を上演した。同劇場が実施している、演劇人の育成を企図した東京演劇道場というプログラムの、第二回目の公演であって、道場生のうちオーディションで選ばれた総勢23名もの俳優が出演している。
 すでに書いたが、失敗している上演だった、というのが率直な意見である。そしてその失敗の質感はとても奇妙だった。なぜこんなことになっているのかわからない、という類の失敗は、その背後にある奇妙な問題構制の所在を浮かび上がらせる。それをたどっていくことで、この失敗への解像度を上げてみたい。
 ごく些末かつ端的な失敗の例を挙げよう。ワイルダーの『わが町』では「舞台監督」なる人物がしきりに筋の進行を中断し、物語に注釈をしていく。その注釈のひとつで、学者の「ウィラード教授」を呼んで町の歴史について話させ、次にジャーナリストの「ウェブ氏」に町の政治社会的状況を説明させるくだりがある。ここは、学者の話がよけいなところで長たらしく、退屈であるのに対し、編集者の説明は明瞭極まりないという落差で笑いを取りに来ているシーンで、実際、「ウィラード教授」の話は「舞台監督」でさえまともに聞いていないらしいのだが、「ウェブ氏」の方には町の聴衆からもいくつか質問の声が上がったりする。
 ところが、柴の『わが町』ではどちらの人物もわりと低温度というか、淡々とした喋り口で発話をするので、このあたりのおかしみがまるで表現されていない。だからといって、その発話がなにか別の効果を生んでいるようにも感じられない。第一幕は一事が万事この調子であって、わたしはすでに何度か戯曲に目を通していたにもかかわらず、なんだか話が頭に入ってこなかった。『わが町』はなんでもない平凡で退屈な日々が最後には美しく見えるという認識の転換に面白みのある舞台であるから、わざと第一幕は退屈に演出したのだろうかと、へんに勘繰りたくなったくらいで、台詞に込められたニュアンスを咀嚼して演技に落とし込めているとはとうてい言い難い。
 そう、ニュアンスが台詞に込められているから、事態は奇妙なのである。先ほどの学者とジャーナリストのくだりのおかしみの機微は、発話された文面それ自体からは十分伝わってきた。それはおかしいのである。というのも、今回の『わが町』は柴がみずから翻訳を手掛けているから。そもそも柴は『わが星』の柴である。2008年には中野成樹とともに「ワイ・ワイ・ワイルダー!」なる企画を立ち上げ、ワイルダーについての上演やワークショップ、トークセッションを行ってきた人物でもある。『わが町』の言葉には人一倍以上に精通していて当然であり、そのことは柴が翻訳したテクストにも如実に反映されていた。そして、にもかかわらず、そのニュアンスは演技の次元においてきれいさっぱり無視されて見えるのである。これはただごとではない。
 では、そもそも柴の『わが町』はなにをしようとしていたのだろうか。まずは公演当日に配布された柴のステートメントを確認しておきたい[*4]。そこにはだいぶ変なことが書かれている。


出自も、趣味も、思想も、キャリアも、未来像も異なる演劇人の集まり東京演劇道場。その道場生たちの唯一の共通点は東京芸術劇場に集ったという事実しかないと思いました。だから東京こそが道場生のみなさんと私とで共有する、共有できる、最適解だと予想したのです。
しかし今では、そこにこそ演劇の未来があるのではないかと私は考えています。個人の才能でもなく、演劇論でもなく、社会運動でもなく、劇場という場所に集い、結果として演劇が生み出される。これまでの権力構造や因習から脱却した新しい演劇の集団はもしかしたらこんなふうに生まれるのかもしれないと私は夢想しているのです。



この主張 はおかしい。東京は誰とでも共有できる。柴がほかでもない道場生たちと共有しているのは、『わが町』の上演のために集められたという事実の方であって、戯曲こそが創作の共通の土台として認識されるべきなのである。そこに柴はわざわざ東京を持ってきている。そして、実現された演技を観る限り、どうも柴は戯曲よりもそちらを優先しているらしい。つまり、柴の『わが町』がおかしいのは、東京および東京芸術劇場で舞台を作ってしまっているからである。劇場に声を与えようとしているからである。「劇場という場所に集い、結果として演劇が生み出される」。
 しかも、柴はずっと前からそれをしてきた作家なのである。

2-1
 『わが星』への批判には第二の典型的なパターンがある。日常に対するほとんど絶対的と言いたくなるほど強い底抜けの肯定性に、ノれない、というものである。先述の内野の議論もこの論点を含んでいる。その肯定性を支えているのは達観したそぶりの死生観であり、時間観である。人の生と星の生とを重ね合わせた上で、その生の外側に立つもの、死者の目で日常を眼差すとき、生は有限なものとして時間的に枠付けられる。始まりと終わりが意識された目で生を強烈に意識するとき、すべての一瞬一瞬は死へと近づくかけがえのない貴重な時間へと転化される。
 しかし、福田恆存『人間・この劇的なるもの』ではないが、生を全体として獲得することの不可能性のなかにあって、なおいかに生の全体性に向けて行為しうるのか、というところに演劇の醍醐味があるはずである。人は自分の死をまなざすことはできず、かといってこれに先回りをして、自死により生を完結させようという安易な道は、「劇的」からはほど遠い。その問題をはじめから回避してこの全体に到達するというのは安易ではないか。作家がこの道をとることができたのは、生の時間を全体として得るという時間論的なアポリアが、空間論的、ならびに演劇論的な問いへとパラフレーズされた結果である。
鴻上は件の選評で『わが町』と『わが星』に共通する感動について次のようにまとめている。「とても大きなものととても小さなものを同時に扱うと、そこに「詩」が生まれます」。その詩情は『わが町』ではグローヴァーズ・コーナーズと宇宙、『わが星』ではちーちゃんの家庭と太陽系の対比を通じて実現されるのだが、スケールの異なる2つの空間を時空を超えて一致させるこの操作を確かなものとするためには、それぞれの空間があらかじめリジッドなものとして枠付けられ、そのことが確信されている必要がある。
『わが星』は演劇論的な射程を持つ。「ちーちゃん」の死を望遠鏡で観測した「男子」は、「この星にひと目会いたい、この手で、触れてみたいんです」(p. 61)と言う。「先生」は彼に、そのためには光速を超えるという不可能に挑戦する必要があると説明する 。よく言われるように、観測される星の姿は、いまよりもずっと前の時点のそれの光がこちらに届いたものでしかない。ほろびゆく「ちーちゃん」は過去にいる。だからこの距離は時間的でもあり、それを越境することはほとんど不可能である。「先生」もそのように言う。「もしはありません、光速を超えることはできません」(p. 57)。しかし、結局なんやかんやで「男子」は光速を超えて「ちーちゃん」に会う、というのが、『わが星』のおはなしのあらましである。「もし」はあった。
これは、演劇を観るという行為の喩になっている。目の前にあるのは、どこまでいっても、過去に書かれたものの再現にすぎない。たとえば、もしわたしが客席から立って実際に「ちーちゃん」に「この手で、触れてみ」ようとしても、驚き呆れた俳優の顔を目にすることになるのが落ちではないだろうか。だから先生は言う。「たとえ光速を超えたとしても、決して星を救うことはできない」(p. 61)。「私達にはそんな力はない、私達はただ見守ることしかできない」(同前)。にもかかわらず、舞台と客席の区別を超えて同じ地平に立つという奇跡を描くがゆえに、星間飛行の感動は観客の存在を意味的に取り込んで経験されるという、そういう構造になっている。
『わが星』の感動を効果的に実現するためには、観客は「ちーちゃん」を見守る遠くの星々として自らを意識している必要がある。つまり、『わが星』の観客たちには、より意味深く作品の感動を味わうために、「ちーちゃん」のいる舞台をあちら側と見なし、客席をこちら側とする境界画定を頭の中で行う必然性がある。繰り返しになるが、時空の異なる二つの場をつなげるという『わが星』の時間的・空間的な操作においては、それぞれの空間がリジッドな輪郭を持つ場として明確にイメージされている必要があるのだ。
劇世界を見つめるこちら側のわたしたち、劇場に集うわたしたちは、それ自体ひとつの場所として区画されていなければならない。劇場の「いま・ここ」が宇宙大のスケールに飛躍するためには、その「いま・ここ」が疑われてはならないという単純な話でもある。そしてこのとき劇場は、お互いに「いま・ここ」を共有しているという約束が相互に補強されればされるほどフィクションの強度を高めるような装置として機能する。劇場は内的な構成要素としてあらかじめ作品の内に取り込まれている。
このように、『わが星』の底抜けの肯定性の支えとなっているのは、明確な限界を持つ閉鎖系として純粋化された劇場イメージの明証性であり、その中道保守的な世界観は、劇場へのこうした信頼感と相即的である[*5]。
 この構造はすでにタイトルによって宣言されている。『わが星』の初演は、三鷹市芸術文化センター星のホールで上演された。わが劇場、わが星のホール。語られる星の物語を劇場の名に準えることが最初から観客に期待されているわけである。石井隆介「脳波計測による演劇作品『わが星』の分析」は巻末に柴幸男・宮永琢生との長大なインタビューを収めているが、そこでの柴の発言は非常に興味深い。ほとんど編集を経ていない、作家の生の声を論拠として挙げることはためらわれるのだが、貴重な証言と思いここに紹介する。「あれは星のホールだから『わが星』っていうのをやろうとしたんです」(p. 55)。「もともと星の話はやりたかったんですけど、いつかやろうと思ってたんですけど。星のホールだから『わが星』っていうタイトルやろうかって言ったんで。そこはもう星のホールありき」(同前)。繰り返し論じてきた、異なる時空の二つの空間を重ね合わせるという『わが星』の詩的操作は、まずこの劇場と惑星との間で行われたと言える。『わが星』は、なによりもまず、劇場に星の演技をさせる演劇作品であったのだ。

2-2
 『わが星』は時代を象徴する作品である。いや、してしまった作品である。
 改めて作品の来歴を辿ろう。『わが星』は2009年10月に初演を迎え、2010年には岸田國士戯曲賞を受賞。そして2011年には全国各地を巡り再演されるのだが、この間に『わが星』の受容のあり方は変質している。
 片山幹生「『わが星』、ことばと音によるノスタルジア」は、初演と再演とで対極的な感想を抱くに至ったことを正直に告白している。初演時には作品が「作り手の分身である「私」の周囲にある社会と歴史に対する視線を全く欠いた内閉的な現実逃避に過ぎないものであると受け取られる危険性を内包している」と感じられ、「周囲の絶賛のなかで、作品を受け入れることのできない自分に戸惑いを感じていた」片山は、再演に際しては「この作品の魅力に完全降伏してしまったのだ」という。
 理由はシンプルである。「震災は生々しい残酷さでもってわれわれの日常生活の平穏がいかに脆く、壊れやすいものであることを思い出させた。『わが星』で表象されている理想化された平凡を見たとき、私はその日常の平穏を支えている世界の不安定さを思い描かずにはいられなかった」。ここにおいて『わが星』は、「震災の後遺症に苦しむ人たちにとって大きな慰安と希望を与える」舞台にかたちを変えている。
 一方、片山の文章と同じ「マガジンワンダーランド第240号」に掲載された『わが星』評に、西川泰功「「現在にふれるために未来へ疾走せよ」に乗れないのはなぜか? ~ままごと『わが星』を批判する~」がある。西川の評も震災のコンテクストを踏まえたものとなっているが、その論調は一貫して批判的である。再演が2011年の4月に、つまり震災からほとんど間を開けずに公演を開始している以上、震災の記憶が『わが星』の物語に重ねて鑑賞されることは自然だとしたうえで、ゆえにこそ西川は作品を批判している。その理由は以下である。


『わが星』に出てくる家族は大変に明るく、屈託なく、諦念というよりは無関心を携えて、自らの死に対峙しているように見えたからです。端的に言って「ちょっとはあがけよ」と思うわけです。〔…〕もしここに登場する家族が、震災により様々に苦しまれている人たちに重ねられて観劇されているとしたら、それは大変に失礼だと言う他ありません。これは創作者へのというよりはむしろ観劇リテラシーにおける批判です。


 以上のように、『わが星』の日常賛美は震災の前後でその意味をまったく変えてしまった。震災により脅かされた日常の重要性と肯定性を歌い上げる、癒しの劇となったのである。
 もっとも、『わが星』が東日本大震災にむすびつけて解釈されるというのはあくまで結果にすぎず、西川の言うように「観劇リテラシー」の領分に属する問題であると言えるかもしれない。しかし、作品が東北に結びつけて語られるようになることと、戯曲が賞を受賞して数多の人に読まれ、DVDも売られ、作品が星のホールから自律してゆくこととは、パラレルな現象である。そして、柴はこの流れにむしろ迎合していたと言える。というのも、2011年の『わが星 -TOUR-』の時点で、同作はいわきへの巡回さえ予定していたからである。同年6月4,5日にかけてリーディング公演が行われようとしていたのだ。『わが星』における日常性賛美の物語を、東北の人びとへの慰めとする意図がそこになかったとするのには、無理がある。片山は先ほどの文章を「6月に予定されていた福島県いわき市での『わが星』の公演が会場の都合で延期(中止?)されたことを本当に残念に思う」と締めくくっている。
 この時点で、すでに柴は星のホールとの作品の結びつきを切っているように見える。こうして『わが星』の劇場論的な性格は薄れ、あるいは抽象化され、そして見過ごされてきた。2023年3月18,19日には、福島県のいわきアリオス芸術文化交流館アリオスで、現地の30歳以下の若者たちを集めた総勢28人の『わが星』が上演予定である。

2-3
 東日本大震災のコンテクストで『わが星』が上演されることの意味についてもう少し考えたい。生を平然と投げ捨てているように見えかねない死者の姿勢には、西川がすでに疑義を呈しているが、わたしはここにもうひとつ論点を追加したい。気になるのは、2-1で論じたような、死者との時空を超えた邂逅である。実際のところ、『わが星』が人々の傷を癒すのは、日常賛美のためではなくて、死者に会えたような心持になるからである。それ自体は結構なことと思うが、その方法とあり方は問われていい。
 『わが星』は音楽劇である。ほとんど全編を通して、等間隔でビートが鳴らされ、リズムを放つ。台詞が刻む韻や、同じ台詞やシーンのリフレインも舞台の音楽性を強める。舞台上の身体はそれにノッてしまう。そうして俳優と観客の身体は共振する。
 作品がセラピー的な劇に変質したというのは、これが一種の音楽療法になったということである。西島千尋「なぜ人は音楽療法をするのか:福祉現場のフィールドワークから」[*6]は、『わが星』の音楽療法的側面の効果を考察する上で参考になるので、紹介したい。
 表題に掲げられた問いについて、「ここでいう「人」とは、音楽療法を受ける側(クライエント)ではなく、音楽療法を実施したり(セラピスト)、音楽療法を取り入れたりする側の人や機関(障害児・者の保護者や、障害児・者のための施設や高齢者施設など)のことである」(pp. 25-26)と、西島は大胆なことを書いている。音楽療法とはなによりもまずクライエントよりもセラピストの側のために必要とされるものだというのである。
 なぜ必要なのか。音楽療法を求める気持ちの「根底にあるのは「同じ世界」にいたいという気持ち、より具体的に言えば、介護者や保護者、障害児を相手にする施設保育士らの、言葉が通じない相手、意識のない相手とも「何かを共有していたい」という気持ちではないか」(p. 31)と西島は書いている。西島がフィールドワークを行っているのは、音楽療法の中でも「ミュージック・ケア」と呼ばれる種類の手法で、「曲にあわせて楽器を鳴らしたり、動作をしたりすることがセッションの中心」であって、「手をつないだり、相手の身体にタッピングをするなど、ペアもしくは複数での身体的なコミュニケーションを重視する」のだという(p. 26)。曲にあわせて身振りの共振が感じられたとき、人は相手との共在をもリアルに実感できる。また西島はゴフマンを引き合いに出しながら、「「半人前の演技者(被介護者)」と「一人前の演技者(介護者)」という関係から離れる機会を提供する」(p. 33)ことも音楽療法の重要な機能であるとも述べている。
 まとめると、西島の議論において、介護者はほかの手段では容易にコミュニケーションをとることができない被介護者と、音楽をともにすることで、同じ立場での共在の感覚を得ることができるとされているのだが、その感覚はあくまでも介護者本位である。証拠に、西島はあるクライエントについて、こんなことまで書いてしまっている。


彼女にとって、セッションに参加することが良いことなのかどうかはわからない。同じ動作をしたり、楽器を鳴らしたりすることが彼女の施設での生活を豊かにするのかどうかもわからない。しかし筆者は単純に彼女の反応が嬉しかった。彼女だけが存在する「彼女の世界」から、私たちがセッションをしている「こちらの世界」に出てきてくれた、より具体的に言えば、同じ空間で同じ時間を過ごす相手が何かを共有できる可能性のある相手なのだと感じられたからである。(p. 36)


被介護者の利益や感情は、ここではほとんど問われていない。音楽で身体を寄せ合う以外には思いの理解できない相手なのだから、そもそもそのような問いは立てようがないということなのだろうか。福祉従事者にとって、この種の癒しが必要であることは頷ける。しかし、こと芸術となると話は別である。わたしは、この立てようのない問いを立てるところにこそ、演劇の嘘が生じるのであってほしい。だから『わが星』を批判するのである。
 「ちーちゃん」を見守る別の星という役割を与えられた観客は、舞台においては「半人前の演技者」にすぎないが、音楽による身振りの共振は、そんな観客たちと出演者の間の垣根を融解させる。舞台があり、それを取り巻き見つめる俳優があり、それをさらに外部から観客が見つめ、時に同じ客席に俳優も腰掛け、という同心円的構造を持つ舞台は、観客と俳優の境界を一層攪乱する効果をもつ[*7]。
 そしてこのことは、時空を超えた死者との交感をも意味しているのであった。ここでの死者との共在の感覚は、あくまでも生者の感得する主観的なエフェクトにすぎず、死者の実在性は不問とされている。ゆえにその癒しは決して脅かされることはない。この安全性のゆえに、セラピー劇としての『わが星』の成功は一層約束されるという構造になっている[*8]。

3-1
 劇場に語らせるという、柴の『わが町』の不思議な方法に話を戻す[*9]。実際のところ、「東京芸術劇場に集ったという事実」から舞台をつくるとはどういう事態なのか。ステージナタリーで公開された稽古場レポートから、その制作の在り方をうかがい知ることができる。レポートは稽古開始から約一週間後の、12月中旬の稽古場風景を伝えている。
 稽古場にはテープで線が引かれ、東京の地図が再現されている。そして、柴は次のようなお題を出演者たちに提出する。「今日は、“結婚式”を東京でやってみましょう」。そして、5組のペアをつくり、それぞれの出演者に結婚式の場面を演じさせるのだ。


カップルの様子は5組ともまったく違った。あるカップルは新婚というには気だるい様子で、別のカップルは同性同士。また別のあるカップルは新婦が“フィギュア”で、隣はジョージの“両隣”にエミリーがいる3人組で……とワイルダーの「わが町」のジョージとエミリーとはだいぶ印象が異なっている。さらにその後の結婚式の流れでも、指輪を交換するカップルのほか、三三九度のカップルや、2人で大きなハートを作って結婚を示すカップルなど表現はさまざまだ。1つのシーンでこれほど多様な結婚式が同時多発することに思わず笑ってしまう──が、東京のある1日で考えれば、都内各所で日々十人十色の結婚式が同時多発しているわけで、この結婚式のシーンで演じられていることは私たちの日常だとも言える。
  

この、「ワイルダーの「わが町」のジョージとエミリーとはだいぶ印象が異なっている」さまざまなペアの結婚式の場面は、本番でも披露されていた。したがって、このプロセスをクリエーション初期のエチュードのたぐいと同一視することはできない。レポートによると、柴はできあがったシーンを観て感想を述べ、出演者たちがアイデアを広げていく手伝いをしているようではあるが、シーンを完成させることは出演者たちに任せていたらしい。
 つまり、ここで柴がしているのは、まず東京の縮図としての稽古場を用意し、そこで為されるべきお題を出演者に与えること。そして、東京の場所性が喚起するイメージを受けて出演者が生み出していくその表現に、感想や助言を与えていくことである。それが東京を上演するために柴のとった戦略というわけである。東京という場所で、東京の人々 が演じれば、東京はおのずと上演される、というのがこうした制作方法の根幹にある発想だろう。
 結婚式が演じられるのは第二幕。第二幕の初めには、役者たちが色付きのテープを舞台の上に張り巡らして、東京の地図を再現する。そして、それぞれのテープの色に対応したアームバンドをそれぞれ腕に身につけ、自身の身体と東京の名所とを一対一対応させる。
 地図上の地点は、縮尺がどれだけ変わろうと同じ場所を指し示すことに特徴があるのであって、ここで稽古場―劇場―東京というスケールの異なる三つの場所は、同型的に対応を見せるようになる。つまり東京を模した稽古場には、あらかじめ劇場が畳み込まれている。
 このように、東京、あるいは劇場は、表現が自然と自生してくる土壌として制作の前提となっている。気だるい新婚夫婦のイメージも、同性同士のカップルのイメージも、『わが町』の読解からは自然には出てこない。それはもちろん俳優の創意によって生み出された表現であるには違いないが、舞台に載せられるのは、東京のイメージをまとった劇場空間に触発された身振りであり、イメージなのである。そしてそれはそのまま場の表現、すなわち東京あるいは東京芸術劇場を表現したものと見なされる。
 そういうわけで、俳優たちには、『わが町』の登場人物としてだけでなく、東京を生きるその人自身としても舞台に立つことが要請される。書くのが遅れたが、この『わが町』の第一幕は人形劇として上演されていた。第一幕では、舞台中央の床に箱馬が寄せられて方形を成しており、そこをグローヴァーズ・コーナーズの町に見立てて、俳優が人形劇の演技をする。そして、第二幕では一転して時と場所を現代の東京に移し、現在の自分たちにひきつけた視点から『わが町』を演ずるのだ。
 人形劇といっても、俳優の身体は隠れていない。そして、グローヴァーズ・コーナーズの住民を演じているという風でもない。狙いは明らかである。グローヴァーズ・コーナーズの人々を代理する人形と、東京を生きる出演者の身体が並置されることを狙っていたのだ。第二幕で東京を上演するための準備作業というわけだ。
 こうして、冒頭に記した『わが町』第一幕の失敗の所在が明らかになる。第二幕で舞台が東京に移ってからは、とにもかくにも台詞は根拠を持って言えるようになる。台詞を戯曲中の登場人物から切り離して、東京の自分として言ってしまえばいいからだ。足元のミニ東京たる劇場の床は意味的にもその身体を支えているわけだし、色付きのアームバンドはそうした土地のイメージに身を委ねることを助けるだろう。ところが、第一幕では舞台はグローヴァーズ・コーナーズに固定されているから、東京という根拠に頼って演ずることができない。かといって、テキストを精読し、解釈して、登場人物像を確立してそれを演ずるという方法は上記の方針によって退けられる。しかし、自分というものしかないところで言葉を与えられて、演技などできようはずはないのである。そこでは、出演者は自分が発する台詞に責任を持つことができない。第一幕で上演されていたのは、意図して演出された日常の退屈などではやはりなくて、場所との結びつきを喪って宙に浮いた言葉と身体の無根拠さだったと思われる。

3-2
 翻って、自分の振る舞いに責任を取ることができない事態は、しばしば場への過信から生ずる。ここで改めて冒頭に引いた柴のステートメントを検討してみたい。つまり「個人の才能でもなく、演劇論でもなく、社会運動でもなく、劇場」にこそ、「演劇の未来」があるという主張についてである。はじめにわたしの立場を述べておこう。「個人の才能」も「演劇論」も「社会運動」も簡単に一蹴されてよいものとは思われないが、「劇場」に「演劇の未来」を見いだす柴の視点に、わたしは同意する。場の制作の思想は日本の舞台芸術にとって、単なる制度批判にはとどまらない重要な意味を帯びるだろう。その上で、現状柴が「演劇の未来」のために採る具体的な方策については疑義を呈したい。
 中根千枝『タテ社会の人間関係』(講談社、1967年)によると、日本の人間集団はどこもかしこもたいてい同じような構造を持つ。社会集団の構成論理は主に「場」と「資格」の二つに大別できるが、日本では前者の方に傾きがある。つまり「記者であるとか、エンジニアであるということよりも、まず、A社、S社の者ということ」(p. 30)が優先されるのである。
 さて、「集団が資格の共通性によって構成されている場合には、その同質性によって、何らの方法を加えなくとも、集団が構成されるものであり、それ自体明確な排他性をもちうる」(p. 36)のであるが、「場」の論理で統御された集団は、その結束のために、資格の異なる異質な他者を内包するという課題に直面する。
 しかし、そこで一体感を演出しようにも、この一体感には、人々がその場に居合わせていたという、偶然的で恣意的な条件以外に根拠は存在しないのである。したがって、この根拠の乏しさが疑われることのないように、集団の枠はいっそう強固に前提される必要性がある。集団は「資格」によるものよりも一層の排他性と盲目さを呈することになるのだ。そしてそうした集団構造こそがタテ社会の条件でもある。単一民族国家というフィクションを自然と生きてきてしまったこの国自体が、そのような集団の格好の例となっている。
 演劇の未来のために求められるのは、集団の根拠を制作していく技術である。そうでなければ、同質性を確保するために資格の異なる他者を排斥していくか、集団の一体感を無根拠に妄信するか、その二択の隘路に迷い込むことになる。「個人の才能」よりも「劇場」に重きを置く柴の演劇観は、そのままでは日本的な組織構造の生成プロセスを再演するものでしかありえない。個人や集団と、それを規定する枠としての場の関係は、つど問いに付されながら、くりかえし制作される必要がある。東京は、劇場は、稽古場は、あらかじめ前提できる明証的なイメージではなく、それ自体制作の対象である。
 第二幕では、東京の地形をプロットした稽古場で出演者が制作した表現が、東京そのものとして上演されているのであったが、少なくともわたしにとっては、そのなかのひとつとして、驚きや詩的喚起力に富んだ表現は見られなかった。東京を所与の前提とするところでは、この前提の範疇に留まる表現しか生み出されはしない。
 もっとも、件のナタリーの記事に掲載された俳優インタビューによると、『わが町』の稽古はまさにこのような場づくりから出発したとのことである。以下に引くのは、藤井千帆の、「柴幸男さんの演出のどんなところに面白さを感じていますか?」という問いへの答え。


稽古初日に“稽古場をみんなで整える”という時間を取り、柴さんと道場生の皆さんと話し合いながらキャストの待機場所の椅子の配置や、荷物置き場、演出席の場所を決めました。居心地の良い稽古場をみんなで作るところから柴さんの演出は始まっているのだなと思いました。


集団での場の制作の作業を集団制作の起点に設定する柴の姿勢に、わたしは好感を持つ。おそらく、レポートが伝えているような東京を表現した稽古場の姿も、共同作業の中で繰り返し制作されていったのだろう。というのも、レポートに掲載された写真は、床に描写された東京の姿が本番のものとは違って見えるから。柴の『わが町』において、稽古場はたえずつくりかえられたのだと思う。ゆえにこそ、この場の想像力の限界を規定したある拘束力の所在について、最後に推察したい。

3-3
 第三幕で、亡きエミリーがかつてのグローヴァーズ・コーナーズに戻るくだりでは、舞台中央で町の暮らしが人形によって演じられ、他の俳優たちは外側からそれを囲み、エミリーの台詞を大勢で一斉に発する。生者としての人形と、死者としての俳優の強烈な対比が、空間的に可視化され、強調される。
 人形劇の演じ手たちにも、舞台を取り囲むエミリーたちにも混じらず、離れたところでたたずんでいるひとりの黒服の姿がある。その人物こそ、柴が今回の上演できわめて強い意味を付与していた、「サイモン・スティムソン」である。
 『わが町』の宣伝美術には、三羽のカラスの姿が折り重なったシンプルで印象的なヴィジュアルが用いられている。その表現意図について柴はインタビュー中で次のように明言している。


作家性として、僕もワイルダーもきれいなもの、平凡なもの、日常の美しさに対して肯定的なところがあると思うのですが、ワイルダーはそれを否定する人物をちゃんと作品の中に入れ込んでいるんですね。その点で、サイモンもカラスも街に必要ではあるけれど集団から除け者扱いされたり、無視されたりする存在で、今回の「わが町」では僕もそういった存在を意識して作りたいと思っています。


つまり「サイモン」はカラスに姿を変えた上で、作品のキーヴィジュアルという重大な立ち位置を独占している。そして、他の出演者の白い衣装とは対極的な黒い服装で劇場の闇に溶け込みながら、舞台の隅に追いやられることで、集団からの除け者という特異な立ち位置を示しているのだ。
 『わが町』の登場人物数に比して、今回の出演者の数は多い。しかし、登場人物が人形に代理されていれば、持ち手を替えることで一役を複数人で代わる代わる演じることができるし、また舞台が東京に移る第二幕でも、それぞれの役は出演者たちが生きる別々の東京の生活に散らして表現されたから、出演者たちは役数に制約を受けずに出番を得られていた。しかし、この「サイモン」の役は固定されていたように記憶している。
 「サイモン」は台詞自体それほど多くないので、除け者としてじっとしているのが仕事のようでもある。この演出で、東京やグローヴァーズ・コーナーズの排他性を効果的に表現できていたのか、「サイモン」役の俳優は演技をやりたくてやれていたのかなど、さまざま気にかかるが、わたしの疑問は別のところにある。
 すなわち、「きれいなもの、平凡なもの、日常の美しさ」を称揚する作家性に自ら疑問を投げかけようとして「サイモン」を強調することは、そもそも大して効果的ではなかったのではないか? 作家に真に過信されてきたのは、グローヴァーズ・コーナーズでもなければ、東京でもなく、そのどちらをも平然と呑み込む魔法の空間として想定された、劇場という場所だった。問われなければならなかったのは、この劇場の虚偽である。
 「たったひとつ、この星だけが、なにかましなものになりたがって、年がら年じゅうあくせくと力みに力んでいる。あんまりひどい力みかただから、十六時間ごとに、だれもが横になって眠るという寸法で」(pp. 140-141)。「ふん……わが町はもう十一時――では、みなさんもぐっすりとご休息を。おやすみなさい」(p. 141)。
 『わが町』を閉じる、「舞台監督」の台詞の最後である。注目されるのは、「みなさん」と呼びかけられる観客たちが、グローヴァーズ・コーナーズの時間に従属する存在とみなされ、つまり作中世界に取り込まれながら、その上で、夜になれば眠る側の者、つまり生者に数えられていることである。構図的に考えると、グローヴァーズ・コーナーズの町の生をその外側から眺める観客のポジションは、死者のそれに近しい。しかし、あくまで観客は生者にすぎないと示唆して話を終えることが、ワイルダーの死生観であり、倫理である。目の前で上演されているのがあくまで演劇にすぎないと、虚構を脱色化させていく「舞台監督」の存在の意義も、同じところにあるとわたしは思う。つまり、演じられている死者は、しょせん死者などではなく、生きた俳優にすぎないという当たり前の事実を、あえて暴き立てること。
 生者の世界は「小さな箱に閉じ込められているみたいなのね」(p. 122)とエミリーは言うが、その通り、劇場に死者はいないのである。それが忘れ去られる時、実在性を喪った死と共に、『わが町』の感動は首尾よく達成される。
 人形に生者を代表させ、それを俳優が外側から眺める時、生と死の二項対立は空間上に安定的に表現され、生きた人間が死者を演ずるという嘘の緊張は失われてしまう。出演者と観客はともに、人形=生者を外側から眺める死者のポジションに、安全に立ててしまう。問われなければならなかったのはそのようなポジションの嘘であり、あるいは、そのような嘘を平然と可能ならしめる、劇場の詐術であったと、繰り返しておく。グローヴァーズ・コーナーズと東京をいともたやすく重ね合わせうる抽象的な基底面としての劇場像は、作家がこの詐術の罠をいまだ抜け出ていないがゆえに維持されているにすぎない。
 『わが町』が、そしてその翻案である『わが星』も、劇場という場のイメージの明証性を疑わなければならなかったとわたしが主張することの理由は、なによりもここに存する。上演されなければならなかったのは死者の不在であり、そうであるのに死者の世界との越境を演ずる、劇場の奇怪な姿であったのだ。


[*1]内野儀「一〇年代の上演芸術――ヨーロッパの「田舎」をやめることについて」『「J演劇」の場所:トランスナショナルな移動性へ』、東京大学出版会、2016年 初出:『ユリイカ』2010年9月号
[*2]ソーントン・ワイルダー『わが町』(鳴海四郎訳)、早川書房、2007年 
後述するように、今回の上演で使用された『わが町』の上演台本は市販されていない。そこで、訳は異なるが、本稿での『わが町』からの引用は上記の鳴海訳に拠ることとする。
[*3]柴幸男『わが星』、2015年
参照の容易さを考慮して、2009年の初演時のものではなくて、これに改稿を加えた、戯曲デジタルアーカイブにて公開されている2015年時の上演台本を引用する。
なお、2015年の公演映像が国際交流基金によってYouTubeで公開中である。公開終了は2023年10月19日を予定している。
[*4]一般に、作家のステートメントのたぐいにはすぐに飛びつくべきではない。作品のしていることが作家のねらいから外れていることはしばしばだし、またそこで語られていることが作家の真の思惑であるかも定かではないからだ。だが、特に上演芸術については、作家の意図はもっぱら裏切られることが期待されているために、ステートメントは確認する価値がある。また、ここで紹介する柴のステートメントは助成金の出資者や観客への耳あたりのよさをねらった類の文章とは質感が異なっており、真摯で、珍妙である。
[*5]以下、本稿では劇場のイメージの明証性について、これを疑うことが可能であり、実際に問いに付すべきであることを主張していくが、わたしはすでに別の視点から同じ問題に取り組んだことがある。「決定ルールを乗りこなす」を参照のこと。
[*6]野澤豊一・川瀬慈編著『音楽の未明からの思考ーーミュージッキングを超えて』、アルテスパブリッシング、2021年
[*7]『わが星』とは別に、柴は『わたしの星』という舞台も手掛けている。全体の論旨からあまりに逸れてしまうので踏み込んで論ずることは避けるが、わたしは同作を高く評する。『わたしの星』が同心円状の囲み舞台ではなくて、舞台と客性が向かい合う対向型の空間配置を採用していることにだけ、ここでは触れておきたい。
[*8]柴の影響を受け、現代口語演劇への批評性を音楽的な戯曲表現に宿して活動している作家に、ヌトミックの額田大志がいる。第66回岸田國士戯曲賞最終候補作となった『ぼんやりブルース』は東北の人々への取材をもとに書かれたとのことだが、震災を意識させるイメージが目だって表象されず、したがって被災者への明示的な立場がとられることもなくて、自身のとるべき姿勢と立ち位置へのぼんやりとした迷いがくりかえし表明されることに特徴がある。『わが星』とはまさに対極的な位置に立つ作品である。わたしが過去に作家に行ったインタビューも参照されたい。
[*9]劇場が演じるという柴の特異な演劇観を、ここでは『わが星』と『わが町』に絞って紹介し、論じてきたが、どうしても取り上げないわけにいかない作品がある。『恋と演劇について ―Tからの手紙―』である。2020年8月から2021年3月にかけて、つまりCOVID-19の影響で劇場に容易に足を運ぶことができなくなった時期に発表されたこの作品では、観客のもとに4通の手紙が送られてくる。まず、観客のもとにはラブレターが送られてくるのだが、読んでいくうちに、差出人は穂の国とよはし芸術劇場客席T列15番の椅子だったことが判明する。そのうち、この椅子と灯体の結婚が報じられたりもする。ここでは文字通り劇場が語っている。観客が劇場に足を運べない期間に展開される分その想像力を喚起し、また劇場に足を運んだ際には椅子や灯体が奇妙な存在感をもって意識されることになるから、この語りは効果的であると思う。しかし、観客と俳優の身体が劇場に共在するシチュエーションにおいて、この手は使えない。椅子が俳優の声で喋るとしたら、その嘘はあまりに大きすぎるのである。


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うえむら・さくや/批評家。1998年12月22日、千葉県生まれ。東京はるかに主宰。スペースノットブランク保存記録。東京大学大学院表象文化論コース修士課程所属。過去の上演作品に『ぷろうざ』がある

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【上演記録】
東京演劇道場 第二回公演 『わが町』

撮影:引地信彦

2023年1月25日 (水) ~2月8日 (水)
東京芸術劇場シアターイースト
構成・演出・翻訳:柴幸男(ままごと)
出演:秋山遊楽 石井ひとみ 大野明香音 大滝樹 緒形敦 小幡貴史 兼光ほのか 川原田樹 北浦愛 佐々木富貴子 代田正彦 末冨真由 鈴木麻美 谷村実紀 鄭亜美 手代木花野 藤井千帆 間瀬奈都美 三津谷亮 水口早香 吉田朋弘 李そじん 六川裕史

東京演劇道場 第二回公演 『わが町』公演情報サイトはこちら

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