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<先月の1本>二兎社特別企画 ドラマリーディング5『探りあう人たち』 文:私道かぴ

先月の1本

2023.03.31


良い舞台は終わったあとに始まる。強く長く記憶されることが、その作品を良作に成長させていく。けれども人間の記憶は、記録しないと薄れてしまう。「おもしろかった」や「受け入れられない」の瞬間沸騰を超えた思考と言葉を残すため、多くの舞台と接する書き手達に、前の月に観た中から特に書き残しておきたい1作を選んでもらった。

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「リーディング公演」もしくは「若手俳優公演」の危うさと結実


観客がぞろぞろと客席についていく。会場に音楽はなく、観客同士で交わす控えめな声だけが所々に聞こえる。空間全体に開演前の静かな時間が流れていた。舞台上には十脚の椅子が客席に向かって半円を描くように並び、照明が当たって存在をくっきりと浮かび上がらせている。椅子の下に小道具のような物が置かれているのが見えた。何かはわからないが、その道具を使って何か演じるのだろう…と思った瞬間、ある疑問が浮かんだ。それは「リーディング公演とは何か?」ということで、これまでも幾度となく考えてきたことだった。

「リーディング公演」と聞いて思い浮かべるのは、俳優が椅子に座った状態で脚本を手に持ち、自分の台詞やト書きを読んでいく上演形態だ。演技も演出も十分に施された従来の公演とは異なり、脚本を読む、という演劇の始まりをのぞき見できるような仕組みだと思う。しかし、中にはそんな「演劇の始まり」からはみ出るようなリーディング公演もある。役に合わせて小道具や装飾を足して、ある部分だけ演出を施すもの。ただ座って本を読むのではなく、歩き回ったり、ト書きの動きをしてみせたり、本を持ってできる範囲の演技で設定を補足するもの。椅子の位置を変えるなどして、舞台上に特定の空間を限定的につくって見せるもの。観客に対して「より想像しやすいように」という思いからなのかもしれない。ただ、正直に言うと、そんな公演を観る度に困惑してきた。舞台上で達成したい目標がよくわからないのだ。役者の演技を観ればいいのか?それとも読まれる文章に集中して、情景を想像すればいいのか?本来の舞台公演よりも控えめに、しかし確実に施されている演出は、どう考えればいいのか?

結論から言うと、今作品に対しても同じような疑問があった。とくに、役者間の「演技」の範囲や程度の違いは大きかったように思う。手に持った脚本をどこまで読むか。中には、大体の台詞を覚えており、ほぼ本を読む必要がないシーンがある役者もいて、「じゃあ今持っている脚本にはどういう意味があるのか?」というようなことも考えた。実際に用意されていた小道具と、その場には実在せず、あくまで観客の想像に任せる小道具の違いは何か。舞台上の移動の範囲や空間設計なども、各役者の認識にゆだねられており厳密には統一されていないのではないかという気がした。

ただ、こうした疑問を考えるための手掛かりとなる要素が、今回のリーディング公演にはあった。それは、「演劇界の若手俳優を集めて行う公演」ということである。恥ずかしながら事前の情報はほぼゼロで客席に着いたので、最初の演出に驚愕した。開演前の静かな空気から一転、上演開始と同時にドンとアップテンポでリズミカルな音が入り、舞台上に直線の照明がにぎやかに交差し、その中を役者たちが歩いて来る。それぞれ縦横無尽に歩き回り、自分のタイミングになると中央に立ち、自己紹介をして椅子に座っていく。自己紹介の時間は一瞬ながら、自身の名前について話す人、座組の立ち位置を話す人、笑いを誘う一言を入れる人などそれぞれの力の入れ具合がわかる。なんだかド直球すぎて恥ずかしさも覚えた。なかでも「名前だけでも覚えて帰ってください!」という一言は、まさに演劇をやっている人の常套句のひとつだが、最近ではあまり聞かなくなったのではないか。俳優たちが、今回上演されている脚本の書かれた時代の空気をまとっているように感じた。

この「若手俳優公演」と「時代」というキーワードは、この公演を考える上でとても重要な要素だと思う。
どこまで演ずるかの範囲について役者間でばらつきが見られたのも、これから経験を積んでいくと考えれば納得がいく。「脚本を持たなくてもいいのでは」と思った、すでに諳んじている台詞については、おそらく本人がその台詞に最も思い入れがあって、何度も稽古したのだろう。そういった役者ごとの力や熱の入れ方の違いが所々に現れている舞台だからこそ、ばらつきがあるように見えるのだと思う。しかし、統制されているわけではない舞台ゆえに成立する奇跡的な瞬間もある。読むのは永井氏の昔の戯曲と言うこともあり、随所に時代を感じる部分がある。学生運動をテーマにした戯曲には、役者になじみのない設定も多い。ただ、わからないなりに体当たりで演じている部分が「若さ」を象徴する演技に結びついている側面もあり、観客の年代によって新しくも、懐かしくも感じられたのではないか。
「リーディング公演」という上演形態と、「これから伸びていく若手俳優」という組み合わせは、ある意味では、この先の発展形を想像しながら、「未熟さ」を楽しむものとしての相性がとてもいいのだと思う。終演後に役者たちに向けられた温かい拍手は、客席からの応援に違いなかった。

一方で、やはり引っ掛かるところもある。「リーディング公演」という形は、果たして「未熟さを含んだもの」というイメージで固定化されていいのだろうか 。「本を読む」という人間の姿形や、読むことが転じて「演じる」という運動につながっていくこと、その先に装飾や演出が加わっていくことを、本来もっと丁寧に見せていける可能性があるのではないだろうか。
「稽古時間がないから」「公演予算がないから」という条件をクリアできる裏技的な側面も持ち合わせている形態だからこそ、その部分に今一度向き合って考えてみたい。そんなきっかけを与えてもらった公演だった。


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しどう・かぴ/1992年生まれ。作家、演出家。「安住の地」所属。人々の生きづらさに焦点を当てた会話劇や身体感覚を扱った作品を発表している。身体の記憶をテーマにした『丁寧なくらし』が第20回AAF戯曲賞最終候補に、動物の生と性を扱った『犬が死んだ、僕は父親になることにした』が令和3年度北海道戯曲賞最終候補に選出された。国際芸術祭あいちプレイベント「アーツチャレンジ2022」において映像作品『父親になったのはいつ? / When did you become a father?』が入選。


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【上演記録】
二兎社特別企画 ドラマリーディング5『探りあう人たち』

撮影:本間伸彦

2023年2月25日 (土)~26日 (日)
東京芸術劇場シアターイースト
構成・演出:永井愛
出演:阿岐之将一、畦田ひとみ、栗原菜瑠、重岡漠、柴田美波、長南洸生、福原冠、藤田頼奈、
三浦葵、吉田朋弘

二兎社公式サイトはこちら

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