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<先月の1本>白いたんぽぽ『ひももも』 文:山口茜

先月の1本

2023.03.31


良い舞台は終わったあとに始まる。強く長く記憶されることが、その作品を良作に成長させていく。けれども人間の記憶は、記録しないと薄れてしまう。「おもしろかった」や「受け入れられない」の瞬間沸騰を超えた思考と言葉を残すため、多くの舞台と接する書き手達に、前の月に観た中から特に書き残しておきたい1作を選んでもらった。

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白いたんぽぽ「ひももも」


白いたんぽぽ「ひももも」は、大阪芸術創造館の「ぱくっと!2023」で上演された30分の短編作品だ。白いたんぽぽは、大阪府・清風南海高校演劇部の卒業生劇団で、現在、東京と大阪の2拠点で活動している。脚本を中辻英恵さんが執筆し、両都市をツアーしたり、今後は演出家を替えてそれぞれの都市で上演されたりする予定だそうだ。

「ひももも」は、会社にこない派遣社員、谷山の様子を見に自宅へ向かった社員の山谷が、紐まみれになった部屋にたたずむ谷山を発見し、その事情を聞き取ろうとする、という話。 部屋が埋まるほどの長い紐がついたスウェットに違和感しかない山谷に対し、対策を練る余力すらない谷山が、山谷の改善に向けた提案を次々に却下していく。二人はその苗字から、会社で名コンビとして扱われているが、谷山からすれば、ウダツの上がらない派遣社員の自分は谷谷で、正社員でいつも元気よく挨拶ができる山谷は山山・・・つまり、名コンビはおろか、永遠に分かり合えないだろう、凸凹コンビだと感じている。

途中でハンターを自称する人物が部屋を訪れる。ハンターは伸びた紐を発見するのが得意で、今日も勘だけでここにたどり着き、伸びきった紐を見て感動する。ハンターと聞くと猛々しさと想像するが、その外見は非常に牧歌的である。大きなカゴを背負った、山菜を摘みに来たかのような服装を自ら「ダサい」と評し、しかしそういう服装で来なくてはならないほどに、今回の紐は伸びきっていると判断したという。ハンターの爪はさらに綺麗にネイルされていて、ハンターが帰って行った後に谷山と山谷が思うのは、ハンターのネイルが可愛かったことだ。

この台本で言いたいことはこの台詞に集約されている。

   谷山「自分のなかはグチャグチャなのに、外側はフツーなの、
     そうやって頑張んなきゃいけないの……、しんどいじゃないですか」

   谷山「何か、だから、すっごいしっくりくる外側なんです今。
     それで何も解決しないんですけど……」

つまりこの、部屋を覆うほどの紐は、谷山の内側を表現している。グチャグチャに絡み合い、歩くことは愚か、立ち上がるのも困難で、そのうち体をも覆ってしまう紐。この紐を排除するなんていう発想は内側も外側も「フツー」な人だけのもので、張本人である谷山には内側と外側のズレがたまらなく気持ち悪い。どちらかだけが整っていることよりも、両側が揃っていることの方が重要だと感じている。

個人的なことで恐縮だが、私は若い頃(今もか)、外側も内側もグチャグチャだったので、なるほど、外側が「フツー」な人の悩みとはこういう感じなのか・・・と半ば感心するような気持ちで観ていた。両方がグチャグチャだと、とりあえずは社会生活をスムーズに行うために、外側の整備から始めてしまう心理を知っているだけに(そしてもちろんそれはうまくいかない)、ズレているぐらいなら両方グチャグチャにした方がましだと考える人がこの世にいるのか、と言う発見があった。

そして、例えばここで、山谷の内側はフツーで外側がグチャグチャだったらどうだったろう?と考えてみたりもした。「ひももも」では山谷の「外側」は、おそらくフツーかそれ以上、つまりグチャグチャではないという設定になっている。ところがこの話は最後、彼女の着ていたコートのベルトが伸び始める気配を残して終わる。山谷もその実、谷山と同じく、外側はフツーで内側がグチャグチャだったのではないか。

今のままの構成がとても面白いし、これこそが脚本家である中辻さんのオリジナリティだと思うものの、登場人物の全員が取り立てて外側に問題がないという同質性の高さが、物語を平坦にしている可能性はあると思った。

ところでこの「ひももも」の観劇後感において、共感よりも不条理感のほうが強かったのは何故だろうと、ずっと考えていた。登場人物が一般的によくある名前であったり、主人公の悩みが明確であったりと、割とわかりやすい人間ドラマに思える設定なのに、実際に立ち上がった世界は、私たちの感情を突き放すような感じがある。

終演後しばらくしてから、台本を読ませていただいた。
台本を読んで初めて、私の座っていた客席からは、舞台上の部屋を覆っている紐がどこから伸びたものなのかが「視覚的に」わかりづらかったことを思い出した。そして、それが先に書いた疑問の原因かもしれないと思い至った 。ト書きには「ウェストの二つの穴から垂れた紐は長く」と書かれていて、文字だと脳が都合よくその情景を想像させてくれるのだが、それを実際に立ち上げるのは、すこぶる難しいのだと思う。今回の劇場は、客席から舞台を見下ろす形であるものの、客席の傾斜は弱く、二列目以降は舞台の地面が見えにくい。ところが今回は主人公が部屋に座り込んでいる芝居が長い。つまり、舞台の地面で演技が行われるので、客席から俳優の動き見えづらい。この部屋を覆う紐が、谷山の履いているスウェットと関係があるのかないのか、わからない。それが、文字で想像する脚本と、視覚に多くを委ねる舞台作品の、世界観を変えてしまう。視覚的に納得できないと言うことが、こんなにも登場人物への共感を損なうことがあるのか、と言う発見があったし、果たしてそれが狙いだったのかと言うことには疑問が湧いた。

ラストの、コートのベルトも同様だ。「ひももも」の世界ではハンター曰く、紐というのは「部屋から出る気力のない人、どうしても動けない、動く気力が湧かない人のところで見つかるもの」だそうだ。この物語の終盤、これまで谷山を励まし続けてきた山谷が、コートを着る。それを見た谷山が、黙ってしまう。

   谷山 ……山谷さん。……長い。
   山谷 何が?
   谷山 それ、

    山谷、コートのベルトを手に取る。

   山谷 え、こんなもん……でしょ、
   谷山 来たときより長いですって
   山谷 (笑って)やめて。

    山谷、ベルトから手を離す。垂れたベルトを見つめ、自信なさげに、

   山谷 気のせいじゃない?

    暗転。

文章で読むとゾッとするのだが、実際にそれを、リアルなコートのベルトでやるとなった時に、今回はおそらく台本どおり「伸びているかどうか、微妙にわからない」という演出を選んだのだと思う。しかしそうしてしまうと、観客もやはり、そう感じるしかなく、結果「勘違いの可能性も依然あり」のところで終わってしまって、文章で読んだ時ほどの衝撃がなくなる。

じゃあベルトだけとてつもなく長ければよかったのか、と言われると、そうとは限らない。ただ、とてつもなく長い方が「わかりやすかった」し、文章を読んだ時のゾッとした感じは出せただろう。ベタな方が心が動くと言う、この不条理に、私も随分悩まされてきたことを思う・・・。

もう一度書くけれども、どちらが優れていて、どちらが劣っているか、と言う話ではなく、演出の吉武沙織さんが、何を取りたいのか、どこにフォーカスするかと言うことだ。観客が共感できる余地をつくらず、 不条理全開で攻めるのか。それとも人間ドラマとして登場人物に共感する形を取るのか。それが、中辻さんの脚本から匂い立つものと同じほどの濃さで迫って来た時、この作品はさらに面白くなるだろう。


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やまぐち・あかね/1977年生まれ。劇作家、演出家。合同会社stamp代表社員。主な演劇作品に、トリコ・A『私の家族』(2016)、『へそで、嗅ぐ』(2021)、サファリ・P『悪童日記』(2016)、『透き間』(2022)、トリコ・A×サファリ・P『PLEASE PLEASE EVERYONE』(2021)など。


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【上演記録】
白いたんぽぽ『ひももも』


2023年2月12日(土)~13(日)大阪市立芸術創造館
2023年3月25日(土)~26(日)KAAT神奈川芸術劇場
作:中辻英恵
演出:小林留奈・吉武沙織
出演:卜部花音、小林留奈、吉武沙織

白いたんぽぽ公式サイトはこちら

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