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コドモ発射プロジェクト『なむはむだはむ』森山未來インタビュー

インタビュー

2017.03.11


*このインタビューは城崎アートセンター滞在中の1月20日に行われました。

◎インタビューの前に◎
「舞台と映像を縦横無尽に」や「演技もダンスも高いスキルで」という形容詞は、森山未來を語る時にまだ有効ではある。けれど去年あたりからどちらも、類のないスケール感になった。シアターコクーンのプロデュース公演と岡田利規とのコラボ、イスラエル人ダンサーのエラ・ホチルドとの創作再演を数ヵ月の間に実践し、ダミアン・ジャレと名和晃平の『VESSEL yokohama』では肉体の限界を超えた高次元の作品をダンサーとして成立させた。この人の動向をチェックする=世界の窓を覗くことではないか。インタビューはそこから始まった。


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©引地信彦



── 森山さんのコラボ相手の選び方、コラボの仕方にとても興味があります。一緒に作品をつくる人のジャンルや国籍、個性がバラエティに富んでいるということもですが、演劇でもダンスでも映像でも、ワン・オン・ワンの向き合い方ができる人を選んでいるように見えるからです。コドモ発射プロジェクトもその延長線上にありますよね。

森山 まあ、そうですね。

── 特にこの1~2年は、その意識がかなりはっきりしてきているように見えるので、意識の変化があれば聞かせていただけますか?

森山 確かにこれまでは、大きなバジェット(予算)の大きなプロダクションで仕事をさせていただくことが多かったです。でも、とりわけ舞台を考えた時に、お互いの声が通る関係、ちゃんと会話が出来るメンツで、ということが僕にはすごく大事で。というのは、やっぱりクリエイションとして、信頼できる人、おもしろいセンスだと思う人と小さな座組でつくるほうが、作品がピュアで健全なものになるから。
 それと、イスラエル(での留学。2013〜14年)から帰って来ての変遷があるんだと思います。帰国後の1年間は、自分がひとりで晒される時間、空間をちょっと避けていた。避けていたというか、そこに恐さを感じていた部分があったんです。
 それに対して、去年1年はソロ感が強い仕事を選んだ。岡田さんとの『in a silent way』も、もちろん岡田さんとつくったけど、舞台に立っている時間は僕ひとりでその空間を背負わなくちゃいけなかった。年末には音楽家の渋谷慶一郎さんに誘われて(『Keiichiro Shibuya Playing Piano Plus』)に参加しましたが、やっぱりひとりで80分間という時間を踊った。ドイツでやったソロパフォーマンスから始まって、即興的な身体で自分を外に晒す機会が多かったんです。

── コラボではあったけれど、ソロに近い部分もかなりあったと。逆に言うと、密接な関係があったから、ソロに近い形の参加が引き受けられた?

森山 ま、後付けですけど(笑)。去年を振り返ると、全体的にそうなっていたなぁと。それはそれですごく大事で、自分の手癖みたいなものを知る時間になりました。メソッドっていうほどでもないけれど、自分自身の身体に流れるコンテキストみたいなものが構築されたというか。

── とすると、コドモ発射プロジェクトはその流れとは違うコラボになりますね。

森山 ですね。今度は“どこかのポジションにいる”ことがやりたくなったんでしょうね。でも明確にダンサーとして、というわけでもなく。ポンポンポンと三角形、わかりやすく言ってしまうと、言葉と音と体をポイントにした三者が集まって、でも、ひとりがひとつを引き受けるのではなくて、3人の間でどう共通言語を見つけられるか。

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©引地信彦


──  観客として森山さんの活動がおもしろいのは、そういうことに意識的な点と、『メトロポリス』のようなプロデュース公演に参加したり、映画で大きな賞を獲ることが並行して成立しているところです。

森山 『メトロポリス』は、例えば飴屋(法水)さんが出てくると、いるだけでそこにある空気そのものが生々しくなるというか。片や松(たか子)さんは 彼女自身がまず、自分の存在を打ち出すような感じで。そんなふうに、まったく違う存在の仕方をする人たちの中で、自分の立ち位置をつかんでいくのはおもしろいし、単純に大きい箱に立つのは、自分がどのぐらい空間を埋められるかを知ることにもなるので、意味があると思っています。
 映像に関しては、別に僕、線引きをしているわけではないんですけど、いつも言っているのは“居合い”みたいなものだと思っていて。舞台のように稽古期間がなくて、みんなで一緒に嘘を構築できないから、ある程度ひとりで用意していくわけです。で、スタッフに昔気質の人が多いと、俳優が最初に現場入りするところから観察している。礼儀とかはどうでもよくて、どの部署の人間も、最初の一手を出し損なったらあっという間に斬られる、みたいな緊張感があるんですよ。その、ギラッとしているところが非常にスリリングであり、同時にとても楽しい。

── 一緒に仕事をする人やチームの選び方をあまり失敗しない印象がありますが、ご本人としては?

森山 失敗したと思ったことは、ここ数年はないですね。

── 何か指針のようなものはありますか?

森山 そんなに意識してはいませんけど、あるとしたら、その人がポップかどうか。

── 以前のインタビューで、前野さんのことをポップだとおっしゃっていましたね。

森山 そうそう。ポップって何かという答えは、まだちゃんとは出ていないんですけど、マエケンはポップだなと思いますね。要は、存在しているだけで世界が成立している人。どこにいても、何をしていても、その人として成立するというか。そういう人とは、ジャンルが違っても、シンプルに会話が出来るんじゃないかなってなんとなく思っています。

── 今の定義とは少し違うかもしれませんが、森山さんは“ポップ界のストレンジャー”と言える気がします。

森山 ポップ界のストレンジャー(笑)。

── 表現をメジャーとマイナーのふたつに分けるつもりはないんですけど、大きい数を相手にする仕事というのは確実に存在しますよね。森山さんはそこでもすごく馴染んで活躍されているけれど、痕跡にアートの成分がしっかり残るので。

森山 大きな作品はどうしても、マジョリティについて考えなきゃいけない。その場合、小さいプロダクションより何かが薄まったり浅くなったりする可能性は高くなります。でも、マジョリティのことを考えるのもすごく大事だという気がするし。メジャー路線に乗っけてくるカルチャー的なものって、絶対に小さい場所から生まれてきたものの吸い上げじゃないですか。だから、多くの人に届くことを考えながら、濃いものを上手く吸い上げられることができたら、自分の心の健康にもいいんじゃないかと、今は思ったりしています。
 僕はもともと、いわゆる王道のエンターテイメントが好きだと自分では思っていたんです。でもおそらく、メジャーとかマイナーとかの線引は、あまりよくわかっていない。たとえば酒とヤニにまみれた小さな店で、安いギャラでなんとか食いつないでいるようなジャズミュージシャンたちのすごいテクニックを注ぎ込んで、凝縮された3分のポップソングが生まれてきたわけじゃないですか。それってもう、絶対に両方ないとダメってことなんですよ。

── お話を聞きながら思いましたけど、ポップって、凝縮でもあるかもしれないですね。凝縮する過程で取捨選択があったり、最終的に重要なものがはっきりわかる。漫画家の江口寿史さんは昔、ポップとは整理することだとおっしゃっていましたが。

森山 なるほど。だからこそ、一般の人が受け入れやすいということですよね。
 そうそう、僕、『モテキ』の時もずっと解せなかったんです、あの映画の中で使われる楽曲とかがやたらと「サブカル」と言われることが。でも川勝正幸さん(*1)のポップの解釈(*2)を知ってストンと腑に落ちて、だから僕は自分の好きなものは全部ポップと感じるんだと納得したんです。いわゆるサブカルチャー、カウンターカルチャーと言われているものって、マジョリティの場所では出来ないことをしているかもしれないけど、打っているパンチはそこに向かっているというか。その奔放さと強さは何ものにも代え難いと思います。ま、どっちも好きでどっちもやりたいと思っていますけど。

── 『なむはむだはむ』で取り上げている子ども達の言葉は、まさにポップではないですか?

森山 うん、おもしろいです。いちいちすごいなと思うんですけど、僕はあまりそっちに引っ張られないようにあえてしていますね。言葉に関しては、岩井さんとマエケンがビンビン反応してくれているから、僕までそこに乗り過ぎるとバランスが悪くなるんじゃないかと思うので。
 そっち(言葉)より、例えばワークショップで子ども達と関わった時に、彼らがどういう仕草をしていたとか、どういう間で遊んだりするのかを観察していたので、視覚的なところからアプローチできないかを一応の自分の課題にしています。
 でもそれも無理矢理ではなくて、もともと子ども達から出てくる話が、すごくビジュアルのイメージを持っているので、そういうものが人が動く動機につながったり、美術に対するイメージとつながるといいなと考えています。それを最終的に言葉の世界と融合させられたらおもしろくなるだろうと。

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©引地信彦


── ところで森山さん、この作品も城崎アートセンターで2週間、創作に集中されましたが、最近は滞在制作が多いですよね。たまたまですか、それとも仕事を決める時に意識して?

森山 していますね、実は。今回もそこでかなり釣られました(笑)。

── 岡田さんと直島でコラボされた時のインタビューで「東京みたいに情報が集まってくるところでやるのもクリエイティブの強度を上げるけれども、情報が届かないところで集中してつくるのもすごく大事だ」とおっしゃっていましたが、それが滞在制作の良さですか?

森山 そうです。それと、朝から晩まで顔を突き合わせてものをつくっていくと、やっぱり(作品の)深度は深まりますよね。そういう時間を経た作品というのは、一見シンプルなことしかしていないように見えても、そこにたくさんのレイヤーがあるってことは、お客さんも感じるじゃないですか。
 東京でも同じようにやろうと思えばできるのかもしれないけど、今の僕にとっては、そうやって静かな場所で集中して深めていく時間を過ごした方が有意義だと思えるんです。
 あとは、日本のいろんな場所、その土地の文化をもっと知りたいという単純な興味があります。やっぱりそれぞれ風土が違って、気候も違って、文化も人もみんな違うんです。そうやって知らないことを知っていくって、比較対象が広がるから自分が深まって、人に対して優しくなれるんじゃないかなんて、ちょっと期待もしたり。

── 例えば城崎はどんな土地だと感じられたんでしょう?

森山 まあ、僕の場合は飲みに行くことがその土地を知る方法になりがちなんですけど(笑)、城崎では子どものワークショップをしたので、そこでも違いを感じましたよね。参加してくれたのが、城崎アートセンターによく来ている子達で、ワークショップ慣れしていると聞いていたんですよ。確かにそうだったんですけど、やっぱり田舎の子どもならではの素朴さも持っている。城崎って小さな町だから人口も少なくて、幼稚園から中学校まで、もうずーっと一緒なんですって。幼稚園に入るとそこから12年間ずーっと同じ顔ぶれで同じ時間を過ごさなきゃいけない。そういう関係性が生む距離感ってあるじゃないですか。それひとつ取っても、東京とは全然違うし。

── 滞在制作=短期国内留学みたいなものですかね?

森山 そんなイメージですかね。

── でも確かに、1日だけですけど、滞在制作の稽古を見学させていただいて、時計の進み方がまったく違うなと思いました。すごくゆっくり進んでいる。そしてそこに焦りや罪悪感がない。

森山 そうそう。行き詰まって悩むとしても、すごく豊かに悩めるんですよ。それは間違いなく、東京に戻ってからもクリエイションにいい影響をもたらしてくれると思うな。

*1 音楽、映画、舞台などカルチャー全般を“ポップ”という概念で横断した編集者。多くのつくり手と読者にゆ有形無形の影響を与えた。
*2 固定観念や旧来のスタイルから軽やかに距離を取った、冒険心と遊び心あふれる表現。



◎インタビューのあとで◎
個人的なことだが、私は去年、仕事でなくシンプルな好奇心で、城崎国際アートセンターで実施されたチェルフィッチュ『God Bless Baseball』の成果発表会を観に行った。その時、滞在制作中だった藤原ちからさんに紹介してもらい、センターの方や近所の方と話をした。内容は、いわゆる世間話だ。それも限られた時間の中での。そして今回、2度目の訪問で何人もの人から「徳永さん、お久しぶりです」と声をかけられた。特に仕事をしたわけでも、長く滞在したわけでもない、たくさんいる“外からの訪問者”を覚えてくれていたのだ。そんな経験のない私は面食らい、感動し、「ああ、これか」と理解した。森山が言った滞在制作の良さは、こうして人と人が落ち着いて向き合う時間、すり減らない関係のことだ。それは確かに東京にはない(東京以外にも該当する都市はあるだろうが)。その豊かさはもちろん、『なむはむだはむ』のエンジンを回すオイルになっている。

【取材・文】徳永京子

ハイバイ

2003年に主宰の岩井秀人を中心に結成。相次いで向田邦子賞と 岸田國士戯曲賞を受けた岩井が描く、ありえそうでありえないそんな世界を、永井若葉・川面千晶・鄭 亜美・長友郁真といった外部公演でも評価の高いクセ者たちのおかげで「ありそうだぞ、いやこれが世界そのものだ」って思わせちゃうのがハイバイ。 代表作は 「ヒッキー・カンクーントルネード」「ヒッキー・ソトニデテミターノ」「て」「夫婦」「ある女」「おとこたち」。★公式サイトはこちら★