演劇最強論-ing

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徳永京子の2018年プレイバック

特集

2019.02.15


▼徳永京子の2018年プレイバック

2月も半ばになってしまった。『演劇最強論-ing』自体の更新もままならず不甲斐ないが、こうして1年を振り返る機会をもらえることは心からありがたい。
観た舞台について言えば、海外に何度か行ったこと(6月にルーマニアの「シビウ演劇祭」、8月にタイ、10月と11月にパリの「ジャポニスム2018」)、9月末に本を出したこと(『「演劇の街」をつくった男 本多一夫と下北沢』)、早稲田大学演劇博物館の企画展『現代演劇のダイナミズム』のサポートに急遽入ったことなどがあり、本数は200本を超えたものの、秋のハイシーズンがほとんど手付かずになった。それだけが原因ではないだろうが、さまざまな演劇賞の受賞作や受賞候補作も見逃していて、あまり人と共有できない演劇地図を描く結果になった。
それでもやはり思うことは多く、その感想を要約すれば「流れはますます早く、細分化して、細い束を観察している間に太い束にも変化があり、どこを見ればいいのか途方に暮れそうになる」。というわけで、自分の視界に残っているのは、現実の速さを反映していないかもしれないが、スローモーションの1コマから見える全体があることに希望を託し、残像のいくつかについて書き記したい。

なお、ご存知の方も多いと思うが、藤原ちからさんが海外でアーティストとして過ごす時間が長い生活を送られていて日本の舞台をほとんどご覧になっていないため、私だけが選出することに意味や価値があるのか考え、前回まで設定していた賞を今回は取りやめた。勝手に贈っていただけではあるが、もし楽しみにしていた方がいたら、ご了承いただきたい。

■「そこ」を補填するのはつくり手と、バラける観客

 シアターガイド休刊の話から始めたい。発行元の(有)モーニングデスクの倒産とともに突然の休刊が発表されたのが10月末日。発行部数が減少していたのはかなり前からだったし、そもそも紙媒体全般の淘汰に歯止めがかからないのは誰もが肌で感じていた(18年12月の雑誌は前年同月比25%の落ち込み。博報堂調べ)ものの、やはり、約28年間続いていた演劇専門誌がなくなったことは、多くの人にショックと喪失感をもたらし、その穴は大きく深いまま、いまだに埋まらない。
 目新しい言い方ではないけれど、媒体とは人が集まる場所なのだとつくづく思う。シアターガイドは情報の集積場所ではあったけれど、今、ロスを抱えている人の気持ちは「新しい情報が網羅された形で入手できない」といった不便さよりも、「行けば誰かいる、と思える場所がなくなった」という寂しさのほうが、より大きいのではないか。言うまでもなく「そこ」とは、編集部があったビルの一室という具体的な場所ではなく、いくつかの趣味嗜好や前提や目的が共有された概念的空間だ。シアターガイドは、プロデュース公演から小劇場、宝塚、ミュージカル、新劇、古典と多様なジャンルを網羅し、国内外の広い地域をカバーし、続いてきた年数も長いから、演劇というジャンルに固定されていたとはいえ、集まっていた人はさまざまで、知らない顔も次々と出入りしていた。「そこ」に該当する場所は、ネット上にも劇場にも、それらをミックスしたメディアにも生まれ続けるけれど、共有される趣味嗜好や目的はどんどん限定的になっていく。シアターガイドは、何かのエキスパートではあるが何かのビギナーである(たとえば、東京の小劇場には詳しいが、宝塚は観たことがない)自分を常に意識化してくれるある種の広がりがあったが、そんな場所はおそらくもう生まれないだろう。

 そのわずか前、横浜の急な坂スタジオが、従来のアーティストの育成とは別の新しい取り組みとして、劇作家・演出家の綾門優季を、ジャーナリスト的なポジションで迎えてサポートしていくことを10月に発表した。これは、自分たちでつくらなければ「そこ」は生まれないことを察知した運営の覚悟だろう。

 もうひとつ、開催は今年1月だったが、フェスティバル『これは演劇ではない』が時間をかけて用意されたのは、作家たちが自分たちで「そこ」をつくるという真摯な自発性、というよりも、「そこ」の必要性を切実に感じての自主的な行動だったと感じられた。類似の企画として、同じアゴラ劇場を会場にした、05年の『ニセS高原』、09年の『キレなかった14才♥りたーんず』が思い出されるが、『これは演劇ではない』につくり手の切実さを強く感じられたのは、10年前や14年前は、宣伝や批評が上演とは別の場所に、かろうじてではあっても存在していたからではないか。自分たちのことは自分たちで、という流れは数年前から始まった。若手を中心に、戯曲をネット上で無料公開したり、劇団員へのインタビューやコラムを劇団のサイトに掲載する取り組みが目立つようになった。『これは演劇ではない』はそれが非常にこまやかに、手際よく準備された。上演の企画と同時にサイトを立ち上げ、俳優も含めて関係者が言葉を積み重ねてコンセプトを固め、プレイベントやアフタートークを計画し、批評の場を準備するといったタスクの課し方は、もしかしたら当事者は純粋に楽しんでいるのかもしれないが、演劇を巡る環境の変化を感じてしまった。
 そして、つくり手がそれぞれに準備を進めるようになったことで、前提とされる観客像がバラけてきたのではないかという危惧もある。つまり、準備が丁寧にされるほど、事前にそれをどれだけ取り込んできたかで理解度はかなり差が出るわけで、事前に準備してきた人だけがその団体にとっての観客となる、といったことは起きないか。少なくとも、良い観客とそうではない観客の差は生まれないか。演劇を観に行くハードルは高くならないか。そんなことを考えた。
もちろんシェイクスピアの上演でも、原作のストーリーを詳しく知らない人、翻訳を読んでいる人、原文を読んだ人など、観客の理解のグラデーションは昔からあったが、新しいことをしようとしている人たちの、新しいことを広めていくはずの努力が、内を向く結果にならないよう注意が必要だと思う。

■連続した公演中止と、劇団の制作不在

 大きく注目された18年の問題として、夏から秋にかけて東京で集中した公演中止があった。具体的に書くと、8月、水素74%が戯曲の遅れなどによる一部俳優の降板から『ロマン』を中止(後日、会場とキャストを変えて上演)。同月、Mrs.fictionsが予定していた新作をとりやめ、出演者はそのままに振替イベントを無料で上演。やはり8月、(劇)ヤリナゲが、体調不良により作・演出家が降板、出演者のエチュードによる『みのほど』を上演。9月、the pillow talkが「諸事情により」とのことで『我が闘争。気軽に、(仮)』を中止した。これだけ続いたことには何かしら共通の原因があるはずで、最初に世代論を疑ったが、キャリアは長いところも短いところもあった。そんな折り、ある演劇関係者から「それぞれの制作者に集まってもらって、何が原因だったかを話してらえば、今後の課題が見えてくるのではないか。それを記事にすれば演劇界全体の財産になる」と言われて気付いたが、その企画を立てたとして、集まる制作者が不在だということが、一連のトラブルの最大の原因かもしれない。「大学でアートマネージメントを勉強している学生に将来の希望を聞くと、ほぼ100%、公共劇場に就職することと答える。劇団の制作をやりたいという人はいない」と聞いたのも去年だったが、先に書いたように劇団の自主性、プロデュース能力が当然になってきている今、劇団の制作が不在、あるいは弱いのは、かなり致命的で、事故が起きるのも当然だろう。上記の劇団の制作の体制を私は把握していないが、ハイバイや木ノ下歌舞伎、iakuなど、安定した成長を遂げている劇団に専任の制作者がいることは、やはり無視できない共通点だろう。

■高齢者演劇の可能性が芽吹く

 こういう表現は適切でないかもしれないが、昨年、急成長した演劇のジャンルは、売上的には2.5次元ミュージカル、社会的には高齢者演劇だ。ここでは後者について書き記しておきたい。キーパーソンのひとりは、東京から岡山に移住し、高齢俳優おかじいを擁したOiBokkeShiを主宰し、老いを組み込んだ作品をつくっている菅原直樹。介護の経験をベースにした話には説得力と実践へのいとぐちがあり、講演でも公演でも全国で引っ張りだこだ。そしてもうひとりは、劇団はえぎわの作・演出であるノゾエ征爾。菅原が小さな活動を細かくおこなっているとすれば、蜷川幸雄が演出するはずだった16年の『1万人のゴールド・シアター』を引き継ぎ、さいたまスーパーアリーナを使いこなすという大役を果たしたノゾエは、集団創作のダイナミズムを具体的に示す。昨年、モリエールの『病は気から』を約700人の高齢者(ほとんどが演技未経験者)で演出した手腕は、老人のイメージを軽やかに覆す部分を持つ。
この4、5年、公共劇場は気鋭の演劇作家をパートナーに子ども向けの演劇に注力してきたが、「世界ゴールド祭り」で先鞭をつけた彩の国さいたま芸術劇場の続く動きが、他の公共劇場からも活発に出てくるだろう。

■劇場なきパルコ劇場の健闘

 18年の振り返り、場所をめぐる話をもうひとつ。16年に建て替えのため一時閉館になったパルコ劇場は、新国立劇場やサンシャイン劇場、KAATなどを借りる形でプロデュースを続けているが、場所が定まらない分、活動がフォーカスしづらかった。それが昨年から(もっと早くから気付いていた人もいるのだろうが私は)、旧パルコ劇場時代とは違う流れ、つまり、新パルコ劇場時代の方向性が見えてきた。それは2.5次元からの人材の取り込み、ミュージカルとダンスへの積極性だ。非常に興味深かったのは、三島由紀夫の『命売ります』という文学路線の作品に東啓介、上村海成という2.5次元の舞台で活躍していた若手を配するやり方で、いわゆる一般的な演劇と2.5次元の俳優、観客を、さり気なく出会わせることに成功していた。「ある界隈では有名人、そこ以外では無名」「あるジャンルは詳しい、別ジャンルは無知」という分断がますます進むことは必至で、その差を埋めながら双方の人材を集め、大きな興行的成果を上げることをエンターテインメントと呼ぶのかもしれない、と思う。芸術監督だった蜷川幸雄亡きあと、海外の演出家に骨太な路線を託しているシアターコクーンが、これからも重厚長大な作品をプロデュースしていくとしたら、明確に個性が異なる民間劇場となる。

■不寛容さに抵抗する「弱いい派」

 どうしてもその話がスタートになってしまうのだが、東日本大震災と福島原発事故があり、さまざまなことが変わったり止まったり戻ったりした。その多くはネガティブなことで、やはり大きいのは、思いやりとつながっていた我慢や忍耐などの感覚を、自主規制や変化の拒否に置き換えてしまったことだと思う。以降、この国は同調圧力を強め、痛みの感覚を鈍化させ、人を思うことの余裕を失った。16年に起きたやまゆり園事件はその象徴で、あの事件の犯人が日本でたったひとりの異常思想の持ち主でなく、確実に存在する人たちの代表であることは、昨年、現職の議員が性的マイノリティを「生産性がない」と一般誌に寄稿したことからもわかる。
 この不寛容さ、身勝手な上から目線に対して、拳を振り上げて反対意見を唱えるのでなく、自らの弱さを肯定した上でそこにある価値をしなやかに示す作品を目にするようになってきたのが、この1、2年のことだ。具体的に名前を挙げると、贅沢貧乏、ゆうめい、範宙遊泳、コトリ会議、伊藤企画(現・やしゃご)などだが、昨年はそこにウンゲツィーファ、いいへんじが加わった。彼らの作品に私はことごとく揺さぶられ、そこに共通するのは何かと考えた結果、「弱くていいよね」「ささやかですが、何か?」と作品全体が問いかける作風だと、「弱いい派」と名付けた。弱者に寄り添う演劇はこれまでも、今も、あふれるほどあるが、寄り添う人たちが“当事者性”によって作品を成立させるとしたら、「弱いい派」は当事者の言葉と論理があり、それゆえの切実さと呑気さが流れている(1番大変な人がそれをわかっていないことは往々にしてある)。『現代演劇のダイナミズム展』の論考集に書いたことを、ここに少し引用する。
 「弱いい派」は糾弾や復讐、戦いではなく、毅然と、あるいは柔らかく、「弱いですけど、それが何か?」と問いかけて相手との関係をフラットにし、見下そう、切り捨てようとする先方を脱臼させる。立場は弱いと思われるのに、泣きも吠えもしない不戦勝の態度が「なぜそうしていられるんだろう?」と疑問を呼び、それが今の社会からすっかり失われてしまった想像力を押し広げるきっかけになればいい。“(震災)直後”よりも続く“その後”を生きていかなければならない私たちが、本当に戦わなければならないのはその時間であり、想像力はその長旅に耐える必須アイテムだからだ。

 大声で言ったもの勝ちの厚顔無恥が実例としてますます増えている今、「弱いい派」を観て命を永らえたい。



▼2018年ベスト10

1)ウティット・ヘーマムーン✕岡田利規『プラータナー:憑依のポートレート』


撮影:Sopanat Somkhanngoen

もし、演出家クレジットが伏されていても18年のナンバーワンはこの作品だったけれど、観たあとで「実は岡田利規だよ」と教えられたら、納得すると共に意外さも感じたと思う。
作品のアウトラインを説明すると、チェルフィッチュの岡田が、国際的な評価も高いタイ人の作家、ウティット・ヘーマムーンの自伝的小説を舞台化したもので、出演者は全員、現地でオーディションしたタイ人俳優。発端は、数年前からアジアのアートシーンをリサーチし、実際にタイで生活したプロデューサーの中村茜がふたりを引き合わせ、ヘーマムーンが岡田をバンコク各地に案内するうち気が合い、岡田が「次のあなたの小説は僕が脚本化して演出する」という話になったという。それが実現した世界初演を、幸運にも8月にバンコクで観た。
75年生まれのヘーマムーンは、大学で美術を学び、映画や音楽制作に携わったあと、2000年から小説を書き始めるのだが、生まれてから作家になるまでの25年間をタイの激動の歴史と重ねたのが原作だ。タイの民主主義は一筋縄では行かないと知っていたものの、それが個人の人生に当たり前にくっつき、大小さまざまな局面で影響すること、政局は不安定でも若者は欧米のユースカルチャーをキャッチし、先行世代とは異なる通過儀礼を経験することなどを、頭の理解でなく、匂いや温度を媒介にしたように感じ取れた。
ヘーマムーンは経済的に不自由のない環境に育ち、また、バイセクシュアルでもあり、作品全体に、爛熟に近い成熟と知性が流れている。それらを俳優が非常にスムーズに内に取り入れ、放出していて、そうした内面と外側の関係は、まさにチェルフィッチュでなされていることなのだが、扱う言語の違いや俳優たちのたたずまいによって、「官能を因数分解すると、成熟✕知性になる」のだとはっきりと示されたのが新鮮だった。原作者の人生の前半を反映させたストーリーゆえに、たくさんの若さならではの痛みもあるのだが、常に流れる瑞々しい倦怠は、アジアの若い知識層特有のもののはずで、11人の若い俳優(20代から40代)がそれを実現していたことに心底、驚かされた。日本の演劇(映画もテレビも)にはユーモアと官能が足りない、というのが私の長らくの不満だが、俳優個人の個性としての「あの人は色気がある」ではなく、舞台に上がり、匿名性や集団性を通過して発揮される官能性に触れた、というか、浴びた時間は忘れがたい。
実は観劇の合間に、プロデュースのプリコグから「俳優のプレゼンテーション」の時間が設けられ、それがどんな内容か始まるまでわからなかったのだが、演出助手とキャストの何人かが、カンパニーを主宰している演出家だったり、劇場を運営していたり、自分で振り付けもおこなうダンサーだったりといったプロフィールの持ち主で、自分の活動や将来のビジョンを、私を含めた日本のジャーナリストに紹介する時間だった。彼らは、良い意味で自分を把握していて──つまり自分を過剰にも過小にも喧伝しない──、自主的で、ユーモアと行動力があり、シャイで魅力的だった。
原作には過激な性描写があるそうで、大胆なセックスシーンはcontact Gonzoの塚原悠也の振り付けを手がけており、それは「こう来るか」という表現で、この作品のテンションが大きく触れるパートのひとつとなっている。塚原は「セノグラフィー」としてクレジットされており、舞台美術も担当。付け加えると、翻訳は福冨渉、衣裳は藤谷香子と、強力な日本人スタッフが召喚されている。けれども前述のような俳優のポテンシャルを考えると、おそらく稽古場は高いクリエイティビティが保たれていたと予想する。
 6〜7月にかけて東京での公演が決まった。上演時間は4時間あるが、その4時間が今から楽しみで仕方ない。

2)飴屋法水たち『スワン666』 

この作品については、2度観た感想を書いたnoteを転載するので、それを読んでほしい。追記するなら、再演を望む。もし再演されたら、今度は小田尚稔がよく見える席に座りたい。>>note『スワン666』 飴屋法水たち のこと

3)ウンゲツィーファ『転職生』

基本的に創作に関わる人には「褒められたら疑う」という気概を持ち続けていてほしいし、特に相手が若い/経験が少ない場合は、褒める行為が才能をスポイルする場合もあると自戒しているので、慌てて称賛、絶賛しないようにしているのだけど、それでも時々、この素晴らしさを少しでも多くの人に伝えなければと興奮する舞台に出合うことがある。そして書いたばかりの自戒と反してしまうけれど、私がそう判断した人たちは、私が褒めたところで天狗になって自分の鼻の重さで転んだりしないだろうと判断し、良かったという思いを言葉にする。
去年、うれしいことにそういう劇団にいくつか出合い、そのひとつがウンゲツィーファだった。「弱いい派」にも分類させてもらったが、作・演出の本橋龍の、徹底して中立の立場から人間を扱う強さと繊細さに心を揺さぶられた。
物語は、テレビ業界の片隅、と言うより底辺寄りに位置する、下請けの下請けに当たるような映像会社で働く人々を淡々と描いた群像劇で、ロッカー室や休憩室、機材倉庫、玄関などいくつかの場所で、それぞれの建前と本音、関係性などが描かれる。引き算を施されたせりふで見えてくるのは、マウンティングや不倫だが、それらは小さな世界のデフォルトであり、特に事件には発展しない。ただひとつ、口数が少なくみんなと馴染まないひとりのバイトが、休憩時間になると真剣にPCを開いているので、興味半分でそれをのぞいた先輩バイトが、芝居の台本らしきものを発見し、しかも書かれたせりふは自分たちが普段交わしている会話だと知って腹を立てて文書を削除してしまう、という作家の実体験を匂わせる出来事は起きるものの、それでさえ、熱がたまって何かを爆発させることには至らない。本橋は決して、悪と善や、被害者と加害者といった立場に人を分けない。分けることがこれまでの演劇的なカタルシスを生む常道であっても。
ただそうした出来事が起きては流れて消えていく間、誰かが乱暴に片付けたケーブルを淡々と巻き直す人物を登場させる。その様子をスケッチするだけで、彼にその行動の理由を言わせたりはしないが、そこには誰にも踏み込めない聖域があるのは間違いない。誰かに指示されたわけでもなく、時給も変わらないが、次にそれを使う人が気持ちよく仕事ができるだろうというその一点で、自分が決めた行為を続けること。善行のつもりもないし誇りとも違うが、小さな手応えを信じること。それが「弱いい派」の「弱いですけど、何か?」の精神だと受け止めたのは私の勝手かもしれないが、かろうじてこの世界の地滑りを止める行動であることは、間違いない。

4) 屋根裏ハイツ『ここは出口ではない』

振り返り全体の「弱いい派」でも書いたが、震災との距離感の変化がもたらしたものに、傷の標準化、欠落の肯定のようなものがあると感じ始めたのは、幽霊がきっかけだった。演劇のみならず音楽、アート、映画で「幽霊」「ゴースト」「ghost」という言葉を、よく目や耳にするようになって、このシンクロはなんだろうと気になったのだ。死が人々に近付いたか、人々の生の実感が薄れたのかという考え方もできるだろうが、私は、きわめてかすかなもの、つまり、こちらが敏感でないと感知できないもの、信じなければ感受できないものに注目する人が一定数、出てきたのではないかと考えた。
そして屋根裏ハイツのこの作品は、究極のゴースト・ストーリーだった。若いカップルの部屋に、男の大学時代の友人で、かつまた、女の職場の先輩でもあった女性が訪ねてくるのだが、彼女はすでに死んでいて、カップルはそれを知っている。さらに男がコンビニの帰りに出会った、家に帰れなくなったという見ず知らずの男性を連れてきて、4人で朝までの数時間を過ごす話なのだが、客席が40あるかないかの小さなSTスポットでも最後列の観客が聞き取れるかどうかの小さな声で始まり(小さな声で話すのが不自然ではない設定が用意されている)、物理的に観客の耳をかすかなものに敏感になるようにチューニングする。そして戯曲上でも幽霊に違和感を感じさせない周到な用意で、観客をかそけき世界にひっそりと引っ張り込む。その最たるアイデアが、幽霊がスマホを持っていることだ。大事な電話がかかってくるわけでもない、自分からかける用もない、それでも当たり前のようにスマホを持って普段着で訪ねて来たなら、それはもう普通の友人と同じではないか。
幽霊は、遅かれ早かれ消えていく。だったら、消えるまでの時間を変わらない態度で過ごす。死者を迎え入れ、また、送り出すのにこれほど優しさはない。
ウンゲツィーファと同様、初めて見てすぐに「これは多くの人に知らせなければ」と静かに興奮した劇団だった。

5)いいへんじ『過眠』

同じ読みの『夏眠』を5月11〜14日まで早稲田小劇場どらま館で、すぐ翌日の15〜17日まで『過眠』を池袋のシアターグリーンで上演。どちらも1時間ほどの短編のふたり芝居で、『夏眠』でダブルキャストだった男優が、『過眠』で同じ役の17歳と22歳を演じるという関連性はあるとはいえ、ほとんど同時に2作をつくり、しかも『過眠』は映像と演技の緻密なシンクロが求められて、どれだけポテンシャルが高いんだと心底驚いた。作・演出の中島梓織も、出演した萩原涼太と内田倭史も、まだ20代前半なのに。2作に共通するのは、昔の自分と未来の自分、そして死を受け容れることについてで、好きな男の子を死なせないように“私”が奮闘する『夏眠』より、もうひとりの自分から逃げる“俺”と、そんな“俺”を説得したい“俺”のやり取りを見せた『過眠』のほうが格段におもしろかった。彼らのやり取りは漫才のようでもあったが、入り口はふざけているのに出口は切なく、その間の疾走はあくまでも軽やかで(だから最後が胸に迫るのだが)、無数の段取りをまったく感じさせなかった。
余談だが、後日、『過眠』の映像があるか中島に尋ねると「固定ですけどあります、iPhoneで撮ったものが」という答えが返ってきて、iPhoneで記録映像を撮ることのこれまた軽やかさと、見せてもらうとまったくストレスのない質の映像が撮れるiPhoneのスペックに、間違いなく新しい時代が来ていることを実感した。

6)コトリ会議『しずかミラクル』

コトリ会議のコトリが小鳥でなく、何かがかすかに動く時の「コトリ」という音だと気が付いたのは前作『あ、カッコンの竹』だった。この作品でもやはり山本正典は相変わらず“かすか職人”で、まるで時計の修理職人のように、雑に扱ったらすぐに紛失してしまう小さな部品をどこからか集めてきては、美しく静かに動くものをつくってしまう。
月が消え、海がなくなった地球で、互いに想い合う宇宙人の女と暮らしていた男は「地球に昔あったものから名前をつけて」とせがまれて彼女を「しずか」と呼ぶことにする──。この設定だけで、どれだけの“かすか”が作動していることか。
その「しずか」が、理由を言わずに気配さえ見せずに自ら命を絶った時、男はそれを受け止められない。彼が「しずか」の死を受け容れられた時に本当にごくわずかに動くものがあって、その「コトリ」を聴くまでがこの物語なのだと思う。
それなのに静寂がぶち壊れる設定を次々と書くのは、照れ屋ゆえの性と、劇作家としてのバランス感覚だろう。それはとても良いことだ。

7)烏丸ストロークロック『まほろばの景』


烏丸ストロークロック『まほろばの景』撮影:東直子

設立が99年なので中堅だが、京都を拠点にしていたこともあり、私が初めて作品を観たのは14年。車谷長吉の語り口にも似た、肉感的で地に足の着いた戯曲に圧倒されたのだけれど、主宰の柳沼昭徳はそこに留まらないらしい。場所を移動し、出かけた土地の俳優を混じえて滞在制作をし、その人を連れて次の土地に進む。『ブレーメンの音楽隊』のようだが、この作品から、滞在先の街の物語も作劇に取り込むようになった。
『まほろばの景』は、東日本大震災で人生が変わってしまったひとりの男が、見えないものに呼ばれるように人と出会い、別れ、かつて日本列島を山脈の尾根づたいに移動した山伏の足跡をたどる物語。ラストシーンで、これは人間が生まれる直前、産道(山道)で見た夢だったとわかる。柳沼の、生活感があるのに観客に噛み付くようなヒリヒリ感をたたえた強いせりふはそのままに、雄大なスケールを獲得した。

8)プルカレーテ『THE SCARLET PRINCESS』

6月の中旬にルーマニアのシビウ演劇祭に招かれ、約1週間で15本の舞台作品を観た。『THE SCARLET PRINCESS』は、鶴屋南北の『桜姫東文章』を原作に、鬼才・プルカレーテが演出した作品。シビウ演劇祭は世界中から演劇やダンスのカンパニーが選ばれ、集まっているのだが、私の実感で言うと「行くなら、上演されているプルカレーテ作品はとにかく全部観るべし」。これまでいくつかのレパートリーが来日し、17年には佐々木蔵之介を主演に据えた日本人キャストをプルカレーテが演出して『リチャード三世』が上演されたが、鬼才を鬼才たらしめるアイデアを100%発揮できるのは、本拠地・シビウに間違いない。シビウ演劇祭名物になっている『ファウスト』と『メタモルフォーゼス』はそれぞれ専用の劇場が用意され、治外法権的なド派手な演出が行われている。
昨年は幸運なことに、上記の2作と新作『THE SCARLET PRINCESS』と計3本が上演され、すべて観ることができたのだが、『ファウスト』も『メタモルフォーゼス』も噂に違わぬ凄さだったものの、最も目を奪われたのはこれだった。歌舞伎とは違う構成、演出はいくつかあったが、最大は桜姫を男優が、彼女と深い因縁で結ばれる権助を女優が演じたこと。しかも権助が洒落者風のスーツ姿、権助が桜姫よりかなり年上という設定で、それらが“歌舞伎をあまり知らない外国人が好き勝手にしたアレンジ”ではなく、こちらの固まった先入観にヒビが入る柔らかなアイデアとして理解できた。
権助役は、ルーマニアを代表すると言ってもいい、国立ラドゥ・スタンカ劇場の看板女優で、プルカレーテの信頼も厚いオフェリア・ポピ。そして桜姫役は、公演時は24歳という若さのユスティニアン・ターク。劇団のHPにあるプロフィールを見ると、彼もまたプルカレーテの信頼を得ているようで、いくつもの作品にキャスティングされている。以前から感じているのだが、ヨーロッパの劇場専属の俳優は自分を、スキルは備えているが個人としての感情は削除済みの素材として提供しているように思えて、それが観る側の想像力の自由度をかなり上げてくれる。桜姫が倒れ込んで着物の裾がはだけ、タークの生白い少年のような足が見えた時、そういえば桜姫は白菊丸というお稚児さんの生まれ変わりだったと、その一瞬で腑に落ちた。英語の字幕も追えていたわけではないので、せりふから理解できていたわけではないが、プルカレーテ版『桜姫』は、歌舞伎で描かれるような、世間の常識を大きく逸脱するほどの意志を持った女性ではなく、生きることそのものにまだ慣れず、目まぐるしく変わる運命から必死に逃げ惑う女性で、そのストーリーラインは説得力があった。

9)パルコ劇場『豊穣の海』&『命売ります』

三島由紀夫のタイプの異なる小説、しかもあまり舞台向けとは思えない2作を連続で上演する企画で、チャレンジングだとは思ったものの、あまり期待していなかった。何しろ前者は四部から成る大長編だし、後者はそのユーモアが現在と相性が合うか疑問だったから。ところがどちらも非常に見応えがあり、三島という有名な小説家の二面性を、まったくアプローチの異なる演劇でほぼ同時期に見せたことは、文化的なことが廃れがちの今、価値が大きい。
『豊穣の海』は、人生をかけて早世した友人の影を追う主人公を、世代の異なる3人の俳優に振り分け、三島的な日本美を俳優たちを直線状に配置するミザンスで見せていき、観念的な戯曲を視覚から解きほぐした。演出はマックス・ウェブスターだったが、俳優たちとのコミュニケーションはおそらく上手く取れていて、ひとりの主人公を演じた大鶴佐助、首藤康之、笈田ヨシも良かったし、まだ舞台経験の少ない東出昌大、宮沢氷魚、上杉柊平も、端正に三島の世界を生きていた。長田育恵の脚本も良い仕事をしていたと思う。
『命売ります』は、先に書いた微妙なユーモアを、演出のノゾエ征爾がおおらかなユーモアで包み直し、田中馨の音楽とともに、一所懸命なのについていない人たちの連続ドラマのように生まれ変わらせた。柔らかな雰囲気で相手の懐に入り、よく考えるとラディカルな笑いをいつの間にか仕掛ける手口に関して、ノゾエはもはや無双である。目を見張ったのは主演の東啓介で、俳優が自分をオープンにできるかかが命綱のノゾエ演出の中で堂々と泳ぎ、主体性があるようで周囲に巻き込まれていく主人公を見事に演じていた。私は東を知らなかったのだが、2.5次元で活躍してきたそうで、どうしても見た目重視と思われがち(私自身が思いがち)なジャンルから、こうした人材が出てきたことは、2.5次元そのものが成熟してきた証だろう。

10)ジエン社『ボードゲームと種の起源』

18年は『物の所有を学ぶ庭』と2本を上演したジエン社だが、どちらを選ぶか最後まで悩んだくらいどちらも素晴らしい内容だった。あまりメジャーでないコミュニティに集う人々をよく作品の題材に選ぶ山本健介だが、この作品ではボードゲームのクリエイターとその周辺に集まってくる人々を選び、その業界特有の、と同時に、人間が集まるとどうしても生まれてしまう普遍的な関係性の瑕疵を、抑えた筆致で鮮やかに描き出した。もともと上手い劇作家ではあったけれども、ここに来て、同時多発の会話からはっきりと次のフェイズに移行。水紋を最大限に広げるための最小数のポイントを見極める感覚が身に付いたと思う。それと、実は色恋に関するせりふが上手い人で、『物の所有を学ぶ庭』ではなくこの作品を選んだのは、こちらのほうがその点が良かったから。

10)城山羊の会『埋める女』

岸田國士戯曲賞を獲った『トロワグロ』以来の山内ケンジの秀作。「傑作」「天才」「必見」という言葉は極力使わないことにしている私(多用すると、それぞれの言葉本来の意味と矛盾し、その価値が下がるから)なので、傑作という表現は避けるが、観ている間から興奮の止まらない作品だった。山内の書く話は、何がどう転ぶかわからないスリリングな展開ではあるけれど、転ぶ理由はたいてい恋愛感情か性欲という構造で、ダメな場合は恋愛感情と性欲がただ過激な表現に走ってしまう。良い場合は、肉体の接触は見せずとも、その下にあるものが爛熟、発酵していく様子がありありと見える。『埋める女』は久々のその快作だった。スタート早々に仕掛けられたいくつかのエロスの地雷(メンヘラと無防備のボーダーライン上で中年男性を誘惑する若い女性など)から遠い場所にいるように見せかけ、あとからじっくりと、視線だけで中年女性の欲求を匂わせる金谷真由美に唸った。俳優はみな良かったが、この舞台で初めて知った伊島空、そして岡部たかしが特に忘れがたい。ちなみに、劇団協議会発行の「join」掲載の「2018年の私の最優秀俳優」は、この作品と『またここか』の演技から、岡部たかしを挙げた。

徳永京子WORKS

演劇ジャーナリスト。1962年生まれ。東京都出身。雑誌、ウェブ媒体、公演パンフレットなどに、インタビュー、作品解説、劇評などを執筆。09年より、朝日新聞に月1本のペースで現代演劇の劇評を執筆中。同年、東京芸術劇場の企画委員および運営委員に就任し、才能ある若手劇団を紹介する「芸劇eyes」シリーズをスタートさせる。「芸劇eyes」を発展させた「eyes plus」、さらに若い世代の才能を紹介するショーケース「芸劇eyes番外編」、世代の異なる作家が自作をリーディングする「自作自演」などを立案。劇団のセレクト、ブッキングに携わる企画コーディネーターを務める。15年よりパルテノン多摩で企画アドバイザー、17年からはせんがわ劇場で企画運営アドバイザーを務めている。読売演劇大賞選考委員。