演劇最強論-ing

徳永京子&藤原ちから×ローソンチケットがお届けする小劇場応援サイト

【連載】ピックアップ×プレイバック 藤原ちから編(2018/04)―ニシガワ図鑑Ⅱ「OiBokkeShi図鑑」『カメラマンの変態』『ポータブルトイレットシアター』

ピックアップ×プレイバック

2018.04.30


作品を観た数だけ、綴りたい言葉がある。
いま、徳永京子と藤原ちからが “ピックアップ” して “プレイバック” したいのは、どの作品?
  
  
2018年04月 藤原ちからのピックアップ×プレイバック ⇒ ニシガワ図鑑Ⅱ「OiBokkeShi図鑑」『カメラマンの変態』『ポータブルトイレットシアター』
2018年3月23日(金)19:00 岡山・西川アイプラザ 5Fホール

◎『カメラマンの変態』舞台映像上映
映像:南方幹 作・演出:菅原直樹
映像出演:岡田忠雄、ポール・エッシング、申瑞季
◎『ポータブルトイレットシアター』
構成・演出:菅原直樹
出演:岡田忠雄、金定和沙、菅原直樹、関美能留(三条会)



 老いとボケと死、をテーマに、岡山を拠点に活動する劇団OiBokkeShi。超高齢化社会の日本でネガティブな問題とされてきたそれらを、ユーモラスなものへと読み替えるようなその活動について、噂を耳にした人も多いのではないだろうか。わたし自身はというと、主宰・菅原直樹さんのワークショップを受けたり、インタビューを読んだり、トークでご一緒させていただいたりはしたものの、その公演を観たことはなかった。いつか観たい、と思い続けてきたが、2018年3月に岡山で公演があると知り、「いつかじゃない、今じゃろ!」とついに思い立って、京都から青春18切符でトコトコ岡山まで向かった。鈍行なのに意外と近かった……。もしも新幹線を使えば一瞬。京都から岡山まではわずか1時間の距離しかない。
  
 OiBokkeShi主宰の菅原直樹は、もともとは東京で俳優として活動していた。とてもいい俳優だった。独特な存在感を放ちながらも、主役を張るのではなくむしろその舞台の世界観を影で支え、それでいてここぞという場面で飛び道具的な怖さも出せるタイプで、名だたる演出家たちから重宝されていたように思う。けれども彼は東京を去り、介護士になったと聞いていた。もう役者はやらないのかな……いい俳優だったのにな……と思っていたら、いつの間にか岡山でOiBokkeShiという劇団を立ち上げ、テレビでも取材されたり、各地にワークショップ講師として呼ばれるなどめざましい活躍をしている。彼が岡山で出会った、今や看板俳優・岡田忠雄(おかじい)との二人三脚で。おかじいはなんと御歳91歳。噂に聞いていた彼の勇姿を初めて目の当たりにできたのだが、その彼の演技については、また後で。
  
   *
  
 この日はOiBokkeShi図鑑と題された企画で、年末年始に上演された『カメラマンの変態』の映像上映と、新作『ポータブルトイレットシアター』上演という、2本立てだった。会場の西川アイプラザではパフォーミングアーツの祭典「ニシガワ図鑑Ⅱ」が連続上演されており、このOiBokkeShi図鑑はそのプログラムの一環だった。だから初めてOiBokkeShiを観るという観客も少なからずいたように思われる。ややアウェイな空気で公演は始まった。
  
 1本目の『カメラマンの変態』は、単なる記録映像ではなく、写真家・南方幹による独立した映像作品と呼べるようなものだった。スクリーンには左右2つの映像が流れている。左の映像は、「引き」のカメラが全体の状況を俯瞰的に映している。右の映像は、「寄り」のカメラがある部分をクローズアップして被写体に迫る。そういう左右の複眼構造になっている。
  

『カメラマンの変態』映像   撮影:南方幹(画面右:南方幹 左:井手豊)

  
 面白いのは、この右の「寄り」のカメラが、本来ドラマティックであるはずのもの(例えば俳優の表情)をほとんど映さないことだ。確かに被写体に迫ってはいるのだが、指先や背中のような細部をむしろ映している。といっても特にどこかの部位に対してフェティッシュな感じではない。だが「変態」的ではある。虫や動物が本能で匂いに惹かれるように、ひたすら被写体に肉薄していく。
  
 同時に、劇中にも年老いたカメラマンが登場する。演じるのはもちろん、おかじいだ。この元カメラマン・岡谷正雄(おかじいは常にこの、本名をもじった役名らしい)は右半身麻痺になっており、車椅子に乗り、介護施設で暮らしている。介助をしているのはオーストラリア人介護士のスティーヴン(ポール・エッシング)。岡谷は会話でのコミュニケーションができないので、時々、写真を撮りたくなると鈴の音を鳴らしてその意思を示す。けれども、岡谷が撮るのはモノばかりで、けっして人は撮らない。カメラを握ることもできないので、介助者に代わりに撮ってもらうしかない。そんな撮影タイムにスティーヴンはすでに飽きており、疎ましく思っている。両者の関係もけっして良好とは言えない。第一場では、スティーヴンはケータイで誰かと喋りながら片手間に岡谷に食事をさせている。岡谷はそれに苛立ったのか、食事を吐き出し、スティーヴンを困らせる。
  

『カメラマンの変態』映像   撮影:南方幹(画面右:南方幹 左:井手豊)

  
 そんなふたりの介助の日常を、突如現れた赤いドレスの女(申瑞季)が破る。どうやら彼女はかつて女優で、岡谷のモデルを務めたことがあるらしい。岡谷は突如として興奮し、彼女を撮りたいと介助者に伝える。その興奮が伝播する。これまでモノばかり撮らされていたスティーヴンにとって、これはまったく新しい魅惑的な体験だった。そう、かつて本職のカメラマンであった岡谷だけではなく、その介助者としていやいやながらも写真を撮り続けてきたこのオーストラリア人もまた、もうひとりの「カメラマン」なのだ。興奮状態の撮影のさなか、岡谷が車椅子から立つという奇跡が起こる。そしてその一部始終を、南方幹の「寄り」のカメラが這うように捉えている……。
  
 かつてのプロカメラマン、その介助者スティーヴン、そして記録撮影者である南方幹。『カメラマンの変態』は、この3者3様の「カメラマン」のそれぞれの視線を孕んだ作品だった。
  
 場面が変わり、ある朝、訪ねてきた女(申瑞季、だが先ほどとはどうやら別の女らしい)に、スティーヴンは、岡谷が亡くなったことを伝える。彼女は岡谷の娘・葉子で、この町につい最近引っ越してきたのだった。一方、その葉子と入れ替わるようにこの町を去ることになったというスティーヴンは、彼女に、食事の介助をしてくれないかと突飛なお願いをする。「介助されるのはどんな気分なのか、すごい知りたい」……葉子は戸惑いながらもその提案を受け入れる。
  
 かくして2人は、岡谷がもう死んでいなくなったこの世界で、これまでとは違う役割へとシフトする。劇作家・演出家の松井周がよく「役を着脱する」という言い方をするけれど、これはまさに、今までの役を脱いで別の役を着るという、とても演劇的な瞬間だった。
  
 その後のエンディングで気づけばわたしは滂沱の涙を流していたが、それはいつか実際にこの映像を見て、確かめてほしい。
  

『カメラマンの変態』   撮影:hi foo farm

  
   *
   
 2本目の『ポータブルトイレットシアター』は、どこからが「作品」なのか捉えどころのない作品だった。冒頭、さっきまでは映像の中だけにいたおかじいが舞台に現れて、菅原直樹との漫才みたいなやりとりが始まる。おかじいのボケっぷりは凄まじく、菅原のツッコミがまるで追いつかない。とにかくえんえん喋り続けるこの愉快なキャラクターを利用したのが『ポータブルトイレットシアター』だ。高齢のおかじいは決まった台詞を覚えるのが苦手というか、そもそも覚える気がないので、だったら無理して台詞を覚えるのではなくそのキャラクターを活かして演劇にしてしまえばいい、という発想だ。
  
 公開稽古のようでもあり、ワークショップのようでもあるこの作品は、観客の参加を必要とするらしい。「誰かに舞台に上がってほしいんです」と言いながら観客席を見渡すおかじいは、「みなさん素敵だからほんとは何人も選びたいんだけど、ほんとに1人じゃないとダメなの?」と何度も繰り返し、そのたびに菅原に「ダメって言ってるじゃないですか! そろそろいい加減に選んでくださいよ! 9時には終わらないといけないんですよ!」と突っ込まれ続ける。このやりとりが仕込まれたものなのか、リアルにおかじいがゴネているのかは判別できない。最終的におかじいが「えいやっ!」と指を指して選んだのは若い女性で、
  
菅原「ほんとにこの人でいいんですか?!」
おかじい「いいよ」
菅原「え、でもなんであなた関係者席に座ってるんですか?」
女性「や、なんも聞いてないです」
菅原「えっと、とりあえず来てもらっていいですか大丈夫ですか?」
女性「あ、はい」
  
……みたいな(記憶で書いているのでこの通りではない)やりとりがなされて、カネサダさんという名のその女性が選ばれてこの観客参加型演劇(?)は展開していく。しかしその女性・金定和沙の名前は最初からこの『ポータブルトイレットシアター』にクレジットされているから、いわゆるサクラ(偽客)だったのだろう。けれども観ているこちらには、え? おかじいの気まぐれな無茶振りで関係者が舞台に引っ張り出された???というふうにも見えてちょっと混乱する。とりあえず、様子を見るほかない。
  

『ポータブルトイレットシアター』   撮影:南方幹

  
 そんな観客の疑念にはおかまいなく、舞台は飄々と進行していく。テーブルの上に台本が置いてあり、「そこに台本がありますので読んでください」という指令が菅原からカネサダさんに下される。おかじいはやはり岡谷正雄という人物にまたもやなっていて、認知症の妻・春江の介護をしている。妻が食べたいと言ったカレーを家でつくっているという設定だ。そこにケアマネージャー・柏原に扮した菅原直樹が「こんにちわー」と様子を見にやってくる。岡谷は春江の部屋にカレーを運ぶが、春江役のカネサダさんはカレーなんて要らないと拒絶する。認知症の彼女は、すでに夫にカレーを頼んだことを忘れているのだ。それどころか20代前半にまで記憶が若返っており、これからバスケして彼氏(今の夫、つまり岡谷)に会いに行くと言い出す。「ああー、またかー、毎日毎日こうなんだ!」と嘆き悲しみ、堪忍袋の尾が切れた岡谷は、春江の腕をむんずとつかむ(カネサダさんがもしサクラじゃなかったらどうしよう、と不安になるくらい強い力で)。
  
 そこに「まあまあ……」と割って入るケアマネージャーの柏原は、「ここは話を合わせて、バイト先の掃除のおじいさんということにして様子を見ましょう」と岡谷に提案する。実はこれこそまさにOiBokkeShiのワークショップのメソッドだ。認知症をただ頭ごなしに否定するのではなく、介助者がそこに合わせて演じてみることで、新たな関係の結び直しをはかるというのが、彼らの演劇ワークショップなのだ。その提案にしぶしぶ従った岡谷は、「実は映画に出たことがあるから演じてみるよ」とつぶやく。「え、そうなんですか?! じゃあこんなオーディションがあるから受けてみましょうよ!」という柏原の勧めに、「こんな年齢で今さら恥ずかしいよ〜」とモジモジするおかじい。「歳なんて関係ないですよ! だってほら、見てください、春江さんは20歳になってるじゃないですか!」
  
 ……確かにその視線の先には、20代にしか見えない春江の姿があった。おかじいはその「ボケ」て若返った妻の姿に勇気を得て、意を決して舞台のオーディションを受ける。
  
 物語の終盤、春江が失踪する。徘徊しているのだ。慌てる岡谷だが、すぐに春江を見つける。だが彼女の心は20歳のままだった。春江はこれから彼氏を探しにいくんだという。岡谷は今度はそれを否定しない。それどころか「彼氏が映画ばっかりにハマっていて私のことを本当に好きなのかどうかわからない」と不安がる春江に、大丈夫きっと愛してるから、と優しく告げると、一緒にその彼氏を探しにいくことに……。もちろんその彼氏が見つかるわけはない。岡谷こそが、その彼氏なのだから。だが、その絶対にゴールがないはずの探しものの中で、2人は一緒に美しい夕陽を見る……。
  

『ポータブルトイレットシアター』   撮影:南方幹

  
  
 『ポータブルトイレットシアター』というタイトルは、第一義的には、携帯型のトイレのようにお手軽にどこでもできる演劇をやりますよ、という宣言に受け取れる。実際、大掛かりなセットを必要としないこの演劇作品は、日本の津津浦浦で上演することが可能だろう。同時にこのタイトルには、観客がそこで得た体験をそれぞれの日常に持ち帰れる、という意味も含まれているように感じた。もちろんどんな舞台もその体験を持ち帰ることができるのだが、OiBokkeShiのそれには実践的な知恵も含まれている。たぶんこの演劇を観た人は、いつも一緒にいる身近な人に、少し、やさしくなれるのではないだろうか。日常で使えるちょっとした演劇的な知恵を使って。
  
   *
  
 2本の作品について書いたからすでに長くなっているけれど、もう少しだけお付き合いいただきたい。
  
 作り手も観客もたくさんいる……そういう東京の環境はかなり特殊なのだと、この数年、わたしは身をもって思い知った。それが幸福なことか不幸なことかは今は論じないが、とにかく特殊であるのは間違いない。そうした環境とは異なる場所で、アーティストがいかに活動していくのか?それは今やアーティストにとっても、各地の文化状況にとっても、重要なイシューになっていると思う。OiBokkeShiの活動は、そのひとつの回答であるように思える。answerというより、あくまでtryとしての回答。
  
 演劇はこの数年でとてつもなく多様化したと思う。作り手も観客も、柔軟な発想を持つ人たちが増えてきたなと感じる。けれども、つい最近も耳にしたところによると、ある地方都市では演劇は未だに部活動の延長なのだという。劇団にしても市民劇にしても、参加者のほとんどがフルタイムで別の仕事をしているにもかかわらず、時間のない中で台詞を一生懸命覚えて熱演する旧来のスタイルに未だにしがみついているのだと。そしてそれが離婚の原因になったりもしていて、もはや離婚は勲章ですらあるという。もちろん、離婚は悪ではないし、人は誰でも新しい人生へと踏み出す権利を持っている。けれども、熱いばかりが演劇ではない。演劇はもっと自由で多様なものであるはずだ。
  
 もちろんOiBokkeShiも、ラクしているわけではない。飄々として見えるおかじいにしても、年齢的にあれだけの活動をするのは並大抵のことではないはずだ。とはいえOiBokkeShiにおいては、おかじいはそんなに膨大な台詞を無理して覚える必要はない。むしろ「できない」ことをポジティブな価値として読み直し、そこから作品をつくっていく。その逆転の発想こそが、OiBokkeShiの演劇的な知恵なのだとわたしは思う。
  
 『カメラマンの変態』は、岡山県・美作の老人ホームで2日間連続で上演された。そのため、初日の後、その老人ホームにおかじいはそのまま宿泊して2日目の朝を迎えたらしい。「これはもう老人ホームのお試し体験なのか、アーティスト・イン・レジデンスなのか、まるで違いがわからないですよね」と菅原直樹は明るく笑っていた。ほんとにその境目はもはや存在しないように思える。91歳のおかじいこと岡田忠雄にとって、舞台に立つことは、イコール、生きることなのだから。
  

『カメラマンの変態』   撮影:hi foo farm

  

藤原ちから Chikara Fujiwara

1977年、高知市生まれ。横浜を拠点にしつつも、国内外の各地を移動しながら、批評家またはアーティストとして、さらにはキュレーター、メンター、ドラマトゥルクとしても活動。「見えない壁」によって分断された世界を繋ごうと、ツアープロジェクト『演劇クエスト(ENGEKI QUEST)』を横浜、城崎、マニラ、デュッセルドルフ、安山、香港、東京、バンコクで創作。徳永京子との共著に『演劇最強論』(飛鳥新社、2013)がある。2017年度よりセゾン文化財団シニア・フェロー、文化庁東アジア文化交流使。2018年からの執筆原稿については、アートコレクティブorangcosongのメンバーである住吉山実里との対話を通して書かれている。