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<先月の1本>幻視譚 第2回公演『かぎろい』 文:植村朔也

先月の1本

2023.04.30


良い舞台は終わったあとに始まる。強く長く記憶されることが、その作品を良作に成長させていく。けれども人間の記憶は、記録しないと薄れてしまう。「おもしろかった」や「受け入れられない」の瞬間沸騰を超えた思考と言葉を残すため、多くの舞台と接する書き手達に、前の月に観た中から特に書き残しておきたい1作を選んでもらった。

***

メンテナンスとしての上演/場をヨコにひらく


 『かぎろい』は二重の意味で禁欲的な作品だった。
 話としては、ククリというところにある女子僧院が異端信仰に蝕まれているということで、タヌラエという町の若く真面目で敬虔な導師ウーリが調査に派遣されることになる。そこでウーリは盲目の少女サアメに出会い、心惹かれてしまうのだが、サアメは人の傷や病を治す特殊な力を持っていた。このサアメが人々を救うために舞いを踊る秘儀がタヌラエの教会からは異端とみなされていたのであった。
 しかしウーリはサアメのことを断罪できない。むしろ、僧院を司るアダという女性とやりとりしていくうちに、自分がこれまで信じてきた教会の権威を疑うようになる。そしてタヌラエの教会の腐敗に見切りをつけ、アダやサアメの側につくことにウーリは決めるが、時すでに遅く、追って派遣された審問官にみな裁かれてしまう。以上が筋の大枠である。
 全体を貫通する軸になっているのはウーリの「回心」である。教会が押し付ける信仰よりも、むしろ異端の側にこそ真実の神への愛があるのではないか、という気づきを、2時間を超える長い時間をかけて丁寧に追っている。ところが、ウーリがククリ側に立つのだろうということは前半あたりで見通しが立つので、これではサスペンスが弱い。
 ここからしばらくは、ありえた筋を提案してみる。まず、ウーリがククリ側に立とうとしても立てないような状況をつくれば、彼はタヌラエとククリのどちらにも安易に帰属できない宙ぶらりんの状態に置かれるので、ここにまさにサスペンスが生じることになる。作中でアダはサアメを溺愛していて、サアメに言い寄ってくる男女を陥れたり殺したりと、恐ろしいことをしている。もしウーリがサアメにただならぬ思いを寄せて、アダがそれを許さなければ、関係性が複雑化するし、ウーリも安全に正義の側に立つことはできなくなって、腐敗した教会を批判することはそのまま自らの行いの内省につながるだろう。
 結局サアメはアダがある導師との間に設けた娘だったことが明らかになるのだが、注意して話を追っていると、アダはこのかつての恋人にウーリを重ねているという気もする。すると、そのウーリがサアメに欲情してしまえば、三者の関係は擬家族劇として輻輳化し、サスペンスは持続しただろう。
 作中ではサアメが見せる夢のなかでウーリの立場が揺らいでいき、夢と現実の区別もあいまいになっていくといった描写がみられる。夢というモチーフがある以上、ウーリの情欲の表出は容易に実現できたはずだ。ウーリが現実では敬虔なのに夢のなかではサアメを欲していて、その上現実と夢がごちゃまぜになる、といったふうな展開は、演劇的でもある。

 言いたいのはこういうことである。教会への疑いというテーマは早めにはっきりさせておいて、その上で信仰と情欲の間でのウーリの引き裂かれを描けば、ストーリーのフックはより強くなるし、しかもそのための要素は十分作品に内在していた。だから上記の展開案も一度は作家によって構想されていただろうことが推察されるのである。しかし、話はそのような方向に進んで行かず、情欲への回路は絶たれ続ける。作品が二重に禁欲的だと最初に書いたのはこのためである。『かぎろい』は9月の上演を予定したのがこの3月に延期になったと聞いているから、そのタイミングで改稿が図られたのかもしれない。
 このように、『かぎろい』の構成は求心力をいささか書いているが、その難を誹るのは一面的な見方である。ウーリの人としての業というテーマがこのように回避されているのは、いかに人は敬虔でありえるかという別の困難な課題のためではないかと推察する。つまり、いま東京で過ごすおそらくは無神論者の若者たちが、キリスト教を信仰する人間を演ずるという、ごく単純で、それゆえにごく困難な課題に、真摯に取り組んだ結果ではないかということだ。ウーリが最後にたどり着く「真の信仰」が物語のうちで脅かされずにいるのは、それがもともと、舞台上に表現されるということ自体自明ではない、あやうくもろいものだからだろう。全体を貫通するサスペンスは表向きはウーリの回心かもしれないけれども、実のところ、信仰を持つ人間をいかに演じられるか、というごくシンプルで根源的な問いの方だったわけである。その演技論的な問いが筋の放埓を制限する。『かぎろい』が示したのはまさにそのような演技のストイシズムであった。


・メンテナンスとしての上演

 <先月の1本>でのわたしの連載は今回で終了する。前回も話題にしたように、このコーナーでわたしは1200-2400字という字数規定を破り続けてきた。だから最後はそのちょうど中間、1800字でひとつまとまりのある作品評を書いてみた。それがここまでの序文であるが、連載を通じて追いかけてきた「場」の問題についてもう少し付け加えておきたいことがあるので、最後ということもあり、それについても書く。
 書いたように、わたしが『かぎろい』に見て取ったのは、演技という奇怪な行為の根源的な度し難さであった。そして、この演技という奇態を許容し日夜上演を促している、劇場という場所の例外性についても改めて再考を迫られた。もちろん演技や劇場ははじめからそのように奇怪なのであって、わたしのように観劇を習慣化しなかば業務化している人間がそれを勝手に失念しているだけのことなのだが、それにしても、『かぎろい』の舞台がなぜそのように演劇の基礎にわたしを立ち返らせたのだろうか。筋の禁欲のほかに思い当たることがひとつある。

 わたしにとって不思議でありつづけてきた劇場がある。東京大学駒場キャンパスにある駒場小空間だ。この劇場はなかなか人手と技術を要する。平時には平台や箱馬が積まれていて、それらを動かして舞台を組まなければいけないのだが、その上やけに広いので非常に手間がかかるのだ。音響や照明を使いこなすのにも一苦労だ。サークルが舞台を組む時には他サークルの人手も借りながら総動員で上演を準備していると聞いている。
 しかしわたしとしては、なぜどのサークルも律儀に舞台を組むのかがよくわからなかったのである。この駒場小空間で平台や箱馬をそのままにして上演を行った土田高太朗の例を以前紹介したが、もう少しローコストで上演を行う手立てはありそうなものだ。しかし土田の例を除けば、わたしはそのような上演に立ち会ったことがないのである。つまり演劇サークルはなぜもっと楽に上演しないのだろうかということで、嫌味な難癖にも聞こえかねないのだが、こんなことが気になるのはコロナの一件があったからなのである。
 コロナ禍のさなかにあって駒場小空間ではしばらくの間公演が禁じられた。公演が許されるようになってからも東大生以外の立ち入りは禁じられたが、東大内の主要演劇サークルはみなインカレサークルなので、この制約によって人手をごっそり失うことになる。それに劇場がキャンパス外の小劇場での公演が続いたことからいっても、新規世代にとって駒場小空間での公演はきわめてハードルが高かったはずなのだ。それなら、楽をする公演があってもよかったはずである。
 しかし考えるうちにひとつ答えのめどがついた。東京大学の学生は1,2年生のうちは駒場キャンパスに通い、3年以降は本郷など別のキャンパスに移るのが一般的であり、そのため演劇サークルの構成員は主に1,2年生に限定される(この論理にはもちろん穴があるがそれについては後述する)。このため上演に関わる技術の継承は非常に短いルーティンで行われる必要がある。作劇や演出、演技のノウハウの継承ということがどの程度なされているかはわからないが、テクニカル面での技術や知見は1年のうちに実践を通して学んでおく必要がある。このように、駒場小空間での演劇サークルの公演は、その劇場の使い方を継続的に学び、運用し続けるというメンテナンスの意味を暗に秘めていたのではないか。公演という、技術の継承の貴重な機会を、たとえば素舞台などで楽にこなしてしまっては損失があまりに大きくなるのだ。そして上演のこうしたメンテナンス的性格は、平時においては自然化され忘却されていたかもしれないが、コロナ禍を通じてむしろ前景化したのではないかとの推測が立つ。
 そして『かぎろい』を上演した幻視譚は、東京大学の演劇サークル劇団綺畸でコロナ禍の駒場演劇の経験を経てきた二人が主宰する団体なのである。『かぎろい』が上演されたのは駒場小空間ではなく、王子小劇場でのことだったのだが、ともあれ、観劇しながら劇場という場の例外性についてわたしの思考が及んだのはこのためだっただろう。

 劇場は養われるべき空間である。前回の文章では、既成の劇場空間に帰属しない自律した上演の場の出来ということについて書いたのだったが、わたしは劇場というものの価値を決して低く見積もっていない。というのは、劇場が維持されること自体がひとつの例外的な事態であるからだ。わたしがここ数回に渡って書いてきたことの要諦は、「劇場は所与の空間ではなく、制作の対象である」という主張に尽きている。しかし劇場それ自体の例外性は実感されづらい。劇場は不朽性の印象という纏いにその身を隠すことで上演の世界を外部から守り、自律しているということなのかもしれない。
 メンテナンスとしての上演の問題について考えるために、わたしは幻視譚を主宰する西山珠生と加藤葉月に取材した。まず本節の以降の文章ではふたりの演劇サークル時代の経験について記述していく。浮かび上がってくるのは、コロナ禍以降の駒場小空間が経験したひとつのリハビリテーションの軌跡である。そして次節では、『かぎろい』制作の意義をこのリハビリテーションの延長線上にあるものとして語る。

 劇団綺畸は年に三度公演を行う。夏公演、冬公演があり、そして三月には新人公演がある。夏、冬の公演では上級生が中心になって活動するが、新人公演では世代交代を意識して1年生たちにイニシアティブが渡されるのだ。そして2年生たちはその新人公演を見守った後、3年次はじめの夏公演を以て引退する。以上のルーティンによって駒場演劇は続いてきた。
 ところが2020年度の夏公演はコロナのため公演中止となった。冬公演はいまはなきブローダーハウスという小劇上で、小規模な公演が打たれている。2年生に活動の機会が少なかったためと思われるが、この年度は新人公演の代わりに春公演が上演された。
 2019年度に入団した西山珠生は一年次は主に宣伝美術として働いており、公演とのかかわりは密ではなかったという。宣伝美術は仕事さえすれば本番に劇場にいなくてもよいので、夏合宿の折にも数日目からドイツに研修に行き、本番や打ち上げにも足を運ばなかったとのことである。
 その西山が演劇の世界に深くのめり込む機を与えたのは皮肉にもコロナ禍であった。2020年度に入り、大学の授業もほとんどがオンラインで実施され、学問に疲れを覚え始めていた西山に、突如として春公演の作・演出の機会が回ってきたのだ。繰り返すが、例年であれば春には1年生による新人公演が実施されるので、すでに二年生となっていた西山は本来公演の主導権を握るはずはなかった。
 そこで初めて長編戯曲を執筆した西山は、そのはずみで2021年度の夏公演『勿忘草』を上演し、劇団綺畸を引退した。そしてその後も幻視譚を旗揚げし、演劇活動を継続する。コロナがなければ今頃はドイツに留学していただろうと西山は語っていたから、『かぎろい』はまさにコロナ無くしては存在しなかった舞台である。
 一方、2020年に劇団綺畸に入団した加藤は、この『勿忘草』で舞台監督としての仕事のデビューを迎える。

 実は『勿忘草』の時点で加藤は駒場小空間での公演を経験していない。2020年の冬公演から、2021年の夏公演にかけて、どれも公演はキャンパス外部の小劇場で行われていたからだ。
 同時期にも駒場小空間で演劇をやっていた団体はあったので、そこの手伝いで経験を積んではいたとのことだが、舞台監督として駒場小空間を使ったのは2021年の冬公演『FORE』引退公演が初めてだったという。
 外部の小劇場での舞台監督の経験を経てなお、やはり駒場小空間での公演にはたいへんな苦労があったらしい。次に引用するのは取材時の加藤の言である。「冬公演で駒場小空間を初めて使うことになったときは、あまりに広いので大変でした。どう舞台を組めば空間をうまく使えるのかもわからなかったし、必要な作業量に人手がぜんぜん足りなくなって。先輩たちからは完成度が低かったってよく言われるんですけど、手探りでとりあえず積み上げたので」。
 注目したいのは、公演を成立させるためには公演の完成度には構っていられなかったという、ともすると言い逃れじみて聞こえかねない表現が聞かれることなのだが、当時観劇しておらず現在の視点から作品について判断するほかないわたしには、『FORE』上演の意義は疑いえないように思われる。そこではメンテナンスとしての上演が果たされていたに違いないからだ。
 しかもそのメンテナンスは、単なる伝統の継承にとどまるものではなかった。駒場小空間での公演を経験してこなかった加藤にとって、そのメンテナンスはあくまでも「手探りでとりあえず積み上げた」ものだったのだ。そこでは劇場空間の単なる保守に留まらないひとつのリハビリテーションが生じていた。

 加藤の言葉を長く引用する。
 「駒場演劇の雰囲気はだいぶ私たちの世代で失われたと上の人達に言われていて。冬公演の昼休みに二個上の先輩たちに舞台監督がお説教を受けて、「雰囲気がなっていない」と叱られたんですよね。継承されていたしきたりがなっていなかったので。劇団綺畸にとっては仕込みがまわりの劇団から差異化するアイデンティティになっていたみたいで、それで雰囲気が気になったんでしょうね。私語が多いとか笑い声が上がるとか、返事が小さいのが問題視されただけで、進捗自体は悪くなかったんですけど。
 そこでかなり洗礼は受けたんですけど、逆にそれってほんとうに必要なのと考え直す機会にもなりました。だから私より下の代には仕込みの雰囲気を変に強制するのは絶対にやめようと思いましたね。技術は教えた方がいいし、危ないことは危ないと言った方がいいけど、空気を無理に厳しくつくる必要はないですし。
 2021年の8月に初めて外部で舞台監督の仕事に入っているので、それで客観的な目を持てたというのはあったかもしれません。色々な現場に入ってみて、実際には私語が少し飛び交うくらいの方が、気持ちよく仕事できるし、新たな発想や意見も出やすいんですよね。厳しく制限するよりも、団体の雰囲気も良くなりますし、結果的に劇場入り中の仕事の効率が上がると思うのです。小劇場規模だと迅速に仕込まなければならないということもそんなにないというのもあると思うのですが。
 もっと人数の多かった上の世代が統率をとるために空気をつくる必要があったのはわかりますけど、たとえば手が空いてだらけている人がいたらそこに仕事を割り振るとか、全体に目を向けるのが舞台監督の仕事ですし、それを空気を厳しくすることでカバーしようとするのは舞台監督の怠慢だとも思うんですよ。
 それにコロナ禍においては少しでも空気を楽しくしないと人がいなくなってしまうので。昔は仕込みが厳しくても他に楽しいことはあったと思うんですけど。私たちは次の世代にバトンを渡す以外に考えられなかったので、そこからさらに変に頑張るというのはできなかったですね。
 そもそもコロナ禍で従来のサークルの情熱みたいなものはだいぶ失われたと思うんですよ。公演も打てないし、外部の劇場を借りるとお金がかかるし、ただの集まりや打ち上げだってできないような中で、「演劇やろうぜ!」みたいな熱で人の時間を拘束するわけにはいかなくなったんですよね。それもあって精神論でなく実際的に演劇をつくる人、演劇を目的に来た人が増えたと思います。夜通し準備をして成績を捨てるんじゃなくて、学業と両立させる演劇があってもよいのでは、という考えも生まれてきました。
 授業に行きたがる劇団員に従来の舞台監督は「そんなことは許されない」って問答無用で言えたんですけれど、それをやってしまったら人がいなくなってしまうので、さまざまなやる気のグラデーションがある座組のなかで公演を成立させつつクオリティをどう維持するかというのが舞台監督の課題になりました。2年生になると就活や学業を意識して足が遠のく人も多いので、最低限やってほしい仕事を提示して人をつなぎ留めつつ、なんとか演劇は続けないとと思っていました。
 最後は同期が7人しか残っていなかったんですけど、次の代に渡すまでは各セクションのチーフを揃えていなければいけなかったからとても苦労しました。それもあって私は留年してしまって。舞台監督は責任がある仕事なのでどう頑張っても逃げられないんですけど、あまりのしんどさにチーフが途中で消えてしまった劇団も実はあったりしています。
 そうまでして演劇を続けたかったのは、やっぱり劇団綺畸っていう名前が駒場に残っていることに価値があるんじゃないかと思っていて。サークルという場所があるから演劇に触れられたという人はたくさんいたはずで、その多様性は守っていくべきだと思ったんです。特に駒場には大きな劇団が四つしかないので、一個なくなるだけですごい損失になるんですよね。今はもう従来の綺畸のスタイルとはかけ離れていると思うんですけど。
 だから劇団綺畸にいま人がたくさんいて、楽しく新人公演を打てているらしいという話を聞けるのは頑張った甲斐があったなと思っています。新しく体制をつくることの苦労もあるとは思うんですけど。私の一個下の代がいまの駒場の雰囲気をつくっているというのはあると思います。技術は継承するけど、どういう空気や厳しさにすればいいかは彼らが決めればいいと思っていたんです」。

 リハビリテーションとはもとの状態を回復することを意味するのではない。病み、あるいは傷つき、もとのようにあることはできなくなったとしても、なお存在を維持するための手立てを学ぶこと、そのために世界との関わり方を組み立て直すことがリハビリテーションの過程には含まれている[*]。
 コロナ禍を経て駒場小空間が経た変化はまさにリハビリテーションそのものである。照明機材の仕込みを中心に、舞台の準備には危険な作業が多く存在する。おそらく従来の劇団綺畸が重視していた「雰囲気」は、気のゆるみが事故を誘発しないように駒場小空間から促されたものでもあっただろう。しかしコロナを経てその雰囲気はリハビリを強いられた。傷ついた劇場がその厳しい空気をそのまま引き継いでいたら、いよいよ機能不全をきたしていたかもしれない。駒場演劇の多様性の維持のため、なんとしてもサークルを存続させようという強い意志と、そのための協調の努力なくしては、そもそもその公演は成立さえしなかったかもしれないというのである。劇場の物理的なハード面に改変が行われたわけではないが、わたしにとって、これは立派な劇場のリハビリテーションである。そして場の制作である。
 ところで、このリハビリは制作への参加を根性論で劇団員に強要できなくなったことにその一因があるらしいけれども、しかし同時に無視してならないのは、加藤が「2021年の8月に初めて駒場演劇外で舞台監督の仕事に入っているので、それで客観的な目を持てた」のだという事実である。王子小劇場で舞台監督の仕事の経験を積んでいた加藤にとって、OBが要求する空気は絶対のものではなかった。2021年冬公演時点で、加藤が複数の場をまたいで活動していたことが、駒場小空間のリハビリテーションのひとつの条件となっていたのだ。
 そしてこれはきわめて重要なことなのである。

[*]この視点は文學界2022年10月号に掲載された岡崎乾二郎のインタビューを踏まえている。


・場をヨコにひらく

 1967年に発売されてベストセラーになり、以来数多くの人に読み継がれてきた中根千枝の日本文化論『タテ社会の人間関係』(講談社)の核心はしかし、たとえば日本のタテ社会を告発するとかいった、タイトルからただちに想像されるような内容にはない。「場」と「資格」という集団を統御する二つの論理に着目することで、そこから帰結する人間集団の性格を鮮やかに描き出したところにむしろその魅力があるのだ。
 そして中根が日本に典型的とする「タテ」社会はこのうち「場」の論理によりかかるところから生じてくるものである。「資格」を共有する集団であれば成員の技量や能力に基づいて発言権や立場の優劣が自然に定まる。また成員の技量や直面する問題に応じて集団組織は柔軟に編成しなおすことができる。
 対して「場」の論理においては、突き詰めるとその場に居合わせていた人々の集まりということ以外に集団の根拠が存在しないので、能力による優劣を敷くことに抵抗がみられることが多い。しかし集団の維持のために、場への帰属年数の多寡によっていっそう強固な序列が敷かれ、上下関係の情緒的な結びつきが強調される。そしてそこでは家族的な一体感と排外性が顕著にみられる。
 タテ社会では上下の一対一的でパーソナルかつエモーショナルな結びつきが重視され、逆に水平的な関係性はないがしろにされることが多い。たとえば大学[**]では「同質のものを序列によって差をつけるから、同僚との連帯意識はきわめて低調で、その代わり、教授・助教授・講師・助手・学生という驚くべき「タテ」の関係によって結びつけられており、教授は同職の教授より、弟子である講師・助手・学生との関係がより親しかったり、それに重きをおく場合が多い」(p. 92)。
 このような集団は「資格」に基づくものよりも柔軟性に欠け、複雑な意思決定を苦手とする一方で、集団の中で見解の一致をみている明確な目的に対しては高パフォーマンスを発揮する。そのような利点を活かしつつ同時に「タテ」社会の柔軟性を高めていくためには、「ヨコ」のつながりを紡いでいくことが肝要である。
 ここで注意が必要なのだが、中根の言う「タテ」社会とは単に上下関係の強いことを意味するのではないし、「ヨコ」も集団内の水平性を言うのではない。中根によれば「タテ組織の温床は〔…〕場の孤立性」(p. 75)にあるのであって、「ヨコ」は特定の集団内部に限定されてはならないのである。むしろ「ヨコが機能するということは、異なる諸集団をクロス・カットする同類集団としてのネットワークをもちうることである」(同前)。ただし私見では集団内部の水平的な連帯を強化して発言権を強めることは、タテ組織の硬直性にたいする一定のカウンターとなるのであって、その重要性は見過ごされるべきではない。
 さて、中根がこのような「ヨコ」の働きに可能性を見るのは「集団を大きくしたり、異なる集団成員をつなぐ作用」(同前)のためだが、ここにはもっと別の意義も見いだしうるように思う。というのは、たとえ「場」が無根拠であるとしてもそれを妄信しては危険なので、さまざまな「場」と比較しそれを相対化することで自分の位置づけられている「場」がどのように枠づけられているのかを成員が自覚できた方がいいからだ。「ヨコ」のネットワークはこの「場」の自覚を促進するはずであるし、成員による集団の主体的な再編成はこの自覚からしか始まらないはずなのである。無根拠なら無根拠なりに場とその条件を見つめ、よりよき方向を志向するための根拠を制作していけばよい。

[**]大学は試験を通過したものが集まるため一見「資格」集団のようにも思われるが、よく考えてみれば全くその反対である。たとえば「学歴で一律に個人の能力を判定するということは能力主義というよりも反対に能力平等主義である。なぜならば、学歴で能力が違うということは、誰でも在学した一定年数分だけ能力をもつということになるから、個人の能力差を無視した考えである」(p. 78)。

 このように書いてきたのは、「タテ」社会の集団特性が多くの創作集団にも妥当するからである。経験的に言って、オルタナティヴを標榜するアート・コレクティヴにこそむしろこうした特性は散見されるもので、「タテ」社会の構造は何とも根深い[***]。集団を「ヨコ」につなぐというのは、その聞こえに反して、あたりまえのことでは決してないし、ほとんど行われていない。上演による場のメンテナンスということに加え、今回書き残しておきたいのは、「ヨコ」への志向性による場の制作という事態である。
 なお、構成員の流動性の高い集団においても、その流動性に即して場がたえず作り替えられているような事例と、あらかじめ「場」が強固に前提されているがゆえに構成員は取り換え可能になっているといったような場合と二通りある。雇用の流動化が激しい今日、後者のような集団は社会的に増加しているが、おそらく演劇も同様だろう。ここでは細かく議論しないが、「ヨコ」の思考はこのような事例に関しても有効である。
 さて、演劇で「タテ」の構造がとりわけ顕われやすいのはたとえばサークルや部活の場合である。というのは、所属する教育機関とそこでの学年が条件を満たしてさえいれば誰でも参加できるので、集団の無根拠がとりわけ顕著であり、この無根拠を隠蔽するためにも「タテ」の結びつきは一層緊密になるからだ。それにこうした団体の場合、演出の技術があるからではなく、「演出をすることになったから演出をする」という無根拠な権力の割り振りがなかば前提とされもするので、いよいよ「タテ」社会化は促進される。
 書いたように、駒場演劇[****]は二年前後のスパンで代替わりが行われる[*****]。つまり成員は主に一・二年生という二階層から構成されるわけだが、ここでは序列が明快な分集団は強固かつ安定的に機能しやすい。公演のノウハウを次の世代に伝えていく必要があるから、テクニカル面でも上下の非対称な結びつきは強化される。
 ところで、公演が不可能になったコロナ禍の経験は学生演劇という「場」の無根拠をさらけ出し、その問い直しを迫る一つの事件であった。東京大学在学中の学生の公演にしては珍しく駒場演劇外の人々を制作陣に多く引き入れた『かぎろい』は、まさにそのような「場」の危機の経験を通過してきたかつての駒場演劇従事者たちによる「ヨコ」の場づくりの実践として注目に値するのである。
 急いで確認しなければならないのだが、わたしは駒場演劇の「タテ」社会ぶりを告発する意図を持ってこれを書いているのではない。繰り返しになるが、「タテ」についての指摘が上下関係の強さへの素朴な不平を意味していないことはまずなんとしても強調しておかなければならない。それにその無根拠は学生演劇という活動そのものの性質に由来する端的な事実であって批判の余地はないし、初めから根拠の約束されている制作はそもそも退屈である。
 しかし制作の無根拠という事実をどれだけ踏まえるかに舞台の質が左右されることもまた確かなことと思う。というのも、自らが位置づけられている枠組みをどれだけ自覚して制作できるか、ときにその枠組み自体を更新できるかが制作ということには織り込まれているし、とりわけ集団制作はつねに同時に集団を制作することでもあるわけだから。そういうわけで、わたしは駒場演劇の現役従事者にもこの文章を読んでもらいたいと望んでいる。わたしは大学時代に演劇サークルに所属せず、駒場演劇の門外漢に留まりつづけたから、わたしがこのような提言を行うこと自体が「ヨコ」の働きとして機能するといい。

[***]カリスマ的な人物を頼って人々が集まることで成立した集団である場合とりわけこうした傾向は強くなる。上下の個別的な関係性が主で、水平的な関係性は形成されにくい。そしてこの構造に自覚的に対処しない場合、オルタナティヴであろう、単独者であろうとすればするほど、かえって集団構造は保守化し硬直するおそれがある。
「タテ」社会は通常リーダーの複数性を許容しない。リーダーシップの所在を分散させていくマネジメントの技法は、成員に自己責任を強いるネオリベラリズムの管理術と結託する恐れもあるが、このような「タテ」社会の硬直性を打破する活路としてはそれなりに有効でもある。
[****]わたしは「駒場演劇」という言葉を用い、駒場の演劇サークルに所属する学生から反感を買ってしまったことがある。自分の帰属先はあくまで所属サークルの現在世代であって、駒場演劇という大きなレッテルを上から貼られたくはないということらしい。もちろんこの批判において大事なのは「上から」というところなのだが、それにしても、このような声は以前は聞かれなかったように思う。実際、コロナ禍を経てサークル間の無関心は以前よりも強まり、学生演劇もネオリベ化してはいないか。そのためこれをまさに「タテ」集団の排外性の事例と考えることもできる。そこで、サークル間をクロス・カットする「ヨコ」のネットワークを促進する意味も込めて、本稿ではあえてこの語を用いることにした。本稿が第一に主張するのは駒場演劇内外――中根が言う意味での「ヨコ」――の交流の重要性だが、同時に駒場のサークル間のつながりも軽んじられてはならないように思う。
[*****]駒場演劇では留年や休学などで学年が変わっていない場合にも、所属してから一定期間が過ぎれば必ず卒業を強いられるシステムになっているという。これはわたしの観察では、三年以上サークルに滞留し過剰な権力を持つ年長者が発生するのを防ぐとともに、年長世代としての二年生全体の優位性を確保する必要から帰結する構造である。つまり「タテ」社会の維持のためである。OB・OGとの交流が警戒される傾向についても同じ視点から説明がつく。

 前節終盤で論じたように、舞台監督として複数の「場」で加藤が仕事をしていたことは、駒場演劇の空気を刷新する機縁となった。個人が複数の「場」に所属するというこの事例は厳密には中根の言う「ヨコ」にはあたらないのだが、駒場演劇のように強固な枠をもつ「場」にとっては、個人の横断的な振る舞いが持つ意味は大きくなる。それに加藤が駒場演劇の外部に広げていった活動の線は、駒場演劇を「ヨコ」に開く実践としての『かぎろい』を用意するものであった。
 西山からは駒場演劇への帰属意識は薄いと聞いているし、『かぎろい』は王子小劇場で上演されていたから、これを駒場演劇の範疇で語ることに危険がないではない。しかし、実は『かぎろい』は当初2022年9月に駒場小空間での上演が予定されていたらしいのである。今回3月に王子小劇場で上演されたのは、その延期公演だったらしいのだ。そしてこの延期に当たり、出演者は一新された。座組は駒場演劇出身でないメンバーを多く迎え入れたのだ。したがって、駒場演劇を「ヨコ」にひらく実践として『かぎろい』を論ずることはむしろ自然である。
 座組変更の動機を加藤は次のように語った。「私自身が外の現場でお金をもらいながら舞台監督をやるようになって、昔駒場で舞台監督をしていた時に見えていなかったものが視野に入ってきたんです。王子小劇場でお世話になっている大石晟雄さんが若手の多い現場に意識的に私を入れてくれるようにしていたのもあって、同世代の方とのネットワークが生まれて、外の世界にもいろんな人がいるんだなということに気づけたんですよね。東大だとなんとなく閉鎖的な空間のなかで「演劇って楽しいのか楽しくないのか」みたいな問いを抱えてうつうつとしているような人ってわたしの同期には多くて。そういう人も巻き込みながらサロンみたいな座組をつくれたらいいなと思っていました」。
 一方で、西山の方でも、座組を駒場演劇出身者に限定しない利点があった。「大前提、私に至らない点が多かったのですが、9月の時は出身サークルとか演劇経験とかでグループというか温度差が生まれて、すれ違いが大きくなるのを感じて。もともと知り合いだと、友達付き合いの延長線上というか、お互い甘えてそういう気持ちをオープンにしてしまうので大変だったんです。でも今回の座組はみんな初めましての人が多かったので、それぞれの信条だとかを丁寧に出し合えたのがよかったんですよね」。
 互いの信条を確認する必要が生じるのは、「場」を「ヨコ」にひらくことの明確な利点のひとつだ。それぞれが所属してきた「場」における制作の(無)根拠を見つめ直し、それらを比較し、検討しあうことで、より納得のいく根拠を共有することができる。これも立派な場の制作と言えるだろう。
 出演者のひとり、井上国太郎にいたっては、そもそも演劇の出演経験自体がなかったということである。それもあって、駒場演劇のメソッドや慣習について、スケジュール感覚のレベルから細かい説明やすり合わせが行われたそうだ。ほかに、「キャストリ練」と言われる劇団綺畸の伝統的な稽古メニューやエチュードも問いに付されてアレンジされたらしい。
 しかもそのようなアレンジや稽古内容の提案が、演出者の側からばかりでなく、それぞれの出演者から提案されていたという。「その日その日で主導権を握る人も流動的に入れかわっていくような稽古場でした。たとえばJin-Zoくんはダンスをしているので身体の扱いについてはとても頼りになりました。演技について枠組みが決まっていない初心者が突破口になることも多かったです。みんなが思ったことをポンと出せる場づくりは上手くいったんじゃないかと思っています」。これは西山の言であるが、そのように個々の出演者のカラーを制作に反映させることと、集団のあり方は決して無縁ではない。
 『かぎろい』が「タテ」社会の硬直性を免れる仕方は、「ヨコ」への志向性ばかりではない。そこでは、駒場演劇の主要な特色であった、学年による強固な階層化が避けられていたらしいのだ。加藤の言葉を引こう。「初対面なのもあって、先輩後輩みたいな構造があまりなかったのは大きかったかもしれないですね。そもそも西山さんは私の先輩なんですけど普段はタメで話してますし。留年や浪人の人が多いので学年の感覚とかがわかりづらいのもあったかな。大学が別々なのもあって、いまも何年生で何歳なのかよくわかってない人とかもいて。ただ、演出サイドからも今回の稽古場は上下関係を気にしないようにしようと話はしていました。後輩にも「先輩って呼ばないで」とかは意識して伝えていたかも」。
 ここで西山と加藤の学年に拘束されない関係性が稽古場における一つの範例として機能しているのも注目に値する。[***]でもふれたとおり、「タテ」構造に対してはリーダーを複数化すること自体が有効なカウンターとなる。『かぎろい』の演出は加藤と西山の二人で行われたわけだが、この両頭体制が稽古場内でのリーダーの特権性を相対化し、そのほかの制作メンバーの発言を容易にした側面はあっただろうと思われる。
 ところで、この両頭体制は、実は駒場演劇の構造から帰結するものだ。というのは、駒場演劇においてはサークルの主宰として最も強いリーダーシップを持つのは舞台監督だそうだからである。とはいえこの権力の分立が駒場演劇において「タテ」の構造をそれほど脅かさないのは、両セクションの棲み分けが明瞭だからである。加藤と西山の両頭体制は、作・演出の人間と舞台監督との間で権力が分散される駒場演劇の集団のあり方を反映しつつ、それを演出という同一セクションに集約させて、「タテ」集団の構造を風通しよくしたのだと評価できる。

 先々月の「柴幸男 劇場の制作論」先月の「その手のもとに「劇場」はある――渋革まろんの《ポスト劇場文化》論を検討する」で、二カ月続けて場の制作に関する議論を行ってきた。もっとも、この連載で執筆した文章の多くは同じ問題系に収束するものだ。しかしわたしは場の制作の技法に関する具体的な提案を行ってこなかった。そこで今回は 「メンテナンスとしての上演」、「場をヨコにひらく」という二つのトピックを提示したわけだが、より強調しておきたいのは後者の論点である。というのは、稽古場の場づくりに関する批評の枠組みを充実させることが、今日の演劇界の喫緊の課題であると考えるからだ。
 稽古場におけるハラスメントや性暴力の話題を耳にすることが多い昨今だが、そのたびにわたしは一種の無力感に襲われてしまう。既存の批評言語では、こうした事態に対して事後的に警察的に振舞うことしかできないからだ。しかし稽古場における権力の不当な行使は、倫理上の問題であると同時に制作上の問題でもある。こと演劇に関して言えば、「あの演出家はひとを傷つけはしたが、演出家としては優れている」とかいった言い方は、ごくナイーヴな主張になる。
 そして、制作においては意図せずともひとはひとを傷つける。その危険を制作上の問題として扱い、場や集団への解像度を上げてゆくこと、制作の無自覚な暴力を抑止する言葉を紡いでいくことは、いま劇評にかろうじてできる仕事のひとつである。わたしはその仕事を十分やりおおせたとは感じていない。今後しばらくわたしは劇評の執筆を休むことにしているが、少し時間をおいて、いずれこの仕事にふたたび取り掛かるつもりである。


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うえむら・さくや/批評家。1998年12月22日、千葉県生まれ。東京はるかに主宰。スペースノットブランク保存記録。東京大学大学院表象文化論コース修士課程所属。過去の上演作品に『ぷろうざ』がある。


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【上演記録】
幻視譚 第2回公演『かぎろい』

撮影者:西山珠生

2023年3月17日(金)~19日(日)
王子小劇場
脚本:西山珠生
演出:西山珠生・加藤葉月
出演:黒木 喬 日向たむ 加藤葉月 井上国太郎
音田優輔 川舩妃世 鈴木亜里沙 高橋敏文
ミア 矢島朱海 若武佑華 Jin-Zo

幻視譚公式サイトはこちら

演劇最強論枠+α

演劇最強論枠+αは、『最強論枠』の40劇団以外の公演情報や、枠にとらわれない記事をこちらでご紹介します。